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自分の内からくる原動力を大切にしていきたい

前回の記事で、撮影動機が自分の生得的な感情になったことでどんな街でも、どのような状況でも写真を撮れる気がすると述べた。つまり、写真を撮るという行為に関して自分軸が完成し、自家発電ができるようになったことを意味する。自家発電ができるようになると、他人の目や意見・評価に左右されることなく物事が進められるようになる。これは決して頑固になるということではない。
 写真を始めてからしばらくしてインスタグラムのアカウントを作成し、写真を投稿するようになった。しかし、いつの日かいいねの数が気になり始め、「自分の写真はいいねの数が少ない、やっぱセンスないのかな…」と悲観的になり、写真を一度やめようかと考えたことがあった。今振り返ってみると、もしそのまま他人の評価が伴わないからといって写真を辞めてしまうことがあったとしたら、それは非常に勿体無いことだと感じる。私はこの悲観的な状況から、ただがむしゃらに撮ることで脱却した。自分の軸に従って撮り続けることで、自分がどのように写真を撮りたいか、どのような写真を撮ってきたかということが言語化できる様になり、自分の表現に気づくことができた。いいねの数が少なくたっていいじゃないか、むしろいいねをしてくれた人がどの様な写真を撮っているのか、どんな人なのかに興味をもとう。自分の表現がトレンドからずれていたっていいじゃないか、むしろそれを貫けることが素晴らしい。下手くそでもいい、比較するのは過去の自分が撮った写真。
 他人の評価やお金など、その行動の先に付随してくるものに気をとられ過ぎてはいないだろうか?一番大切なのは自分の内からくる原動力で、先のものを取り除いてもなお表現し続けられるか、自家発電できるかということにある。自分で自分を分析し、評価し、開拓してゆくという姿勢をこれからも続けていきたい。
 

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