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偶然同じ電車に乗り合わせた人たち

アカウント削除しちゃおうかなぁ
なんかもういいや。

あと1ヶ月ちょっとで毎日更新一年達成になるのにそんなふうに思ったのは初めてだ。

書くことがすこし怖くなっていた。



ここは私の庭なので
とことん自由に書いているが

好き勝手自由気ままに書いた文章やつぶやきが
誰かの思いとリンクして
共感という形でその人の心に花を咲かせることもあれば、その逆だってある。

嬉しいことも嫌なことも
その時の思いとリンクすれば
まるで自分のことが書かれているように感じるときがあって、そこが文章の面白い部分であり怖い部分だ。




ここnoteで書いていて
たまたま偶然出会った人たちがいる。

交流が続く人もいれば途切れる人だっているし
いつの間にかいなくなった人や
そもそも交流なんかしてない人だっている。

たかがネットだ。
たかがSNS。
出会いとか別れだとか笑止千万。


それが普通の感覚だし
あくまで娯楽の一環である場所なのだからそれで良い。

良いのだけど、
やっぱ別れは寂しいものだ。


ああ出た出た、出てきましたよー!
名物妖怪メンヘラァ(?)が出てきましたー!と煽ってみるが

寂しいもんは寂しんだから仕方ないだろ。
素直になろう。



寂しさと文章を書くことの怖さが肩を組み、
「書いてどうすんの?意味あります?」と冷たく追い打ちをかけてくるのを尻目に

毎日更新を楽しみにしてるクリエイターさんの一人、いろさんの最新記事を読む。


いろさんの言葉が
共感という形で私の心に花を咲かせてくれた。


noteでの出会いって、
偶然同じ電車に乗り合わせた人たち、
というようなイメージがわたしの中にはあって。




たまたま同じ電車に乗り合わせ、
おしゃべりや世間話をして過ごした見ず知らずの人たち。

ホームに降り立ったその人を
私は発車した電車の窓から小さくなるまで見送る。

少しの時間だったけど楽しかったです。
元気で旅を続けてください。
ありがとう。
心の中で呟いて小さく手を振る。


この記事の中で
いろさんが公開を決めたマガジンのTOP画像も
イメージしていた出会いと別れにピッタリの写真だったので私の心は一気に満開花盛りとなった。




別れは寂しい。
でもそれでいい。

たまたま一緒の電車に乗り合わせた他人同士だ。

少しのあいだ世間話して、
笑ったり共感しあったりして、
できればこんな幸せな時間が続けば良いと
自分勝手に思ってしまうけど
電車に乗る理由も目的もそれぞれ違うのだ。


大切にしたいのは
一瞬でも思いを共有できたそのこと。

だから書くことも別れも、
必要以上に怖がらなくて良い。


自由に怖がらず書こう。

いろさん、ありがとう。

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