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人生のままならなさを抱えて走る人々 in 「Like the Wind 日本版 #01」

普段ランニングをしている時、マラソン大会に参加した時、号砲が鳴った瞬間に一斉にスタートするランナーたちをテレビで見た時。
走る人々を眺めながら、いつも思う。

「この人たちは人生におけるどんな現実を背負って走っているのだろう」

日々、もう生きていけないと思うほどの苦難や悲嘆を内に秘めながら、なんとか踏んばって、黙々と走り続けている人もいるだろう。

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国内外のランニングカルチャーをテーマとする雑誌「Like the Wind 日本版」(木星社)。

本書には、ままならぬ人生の痛みと共に走る人々の記事がいくつも掲載されている。今回は2つご紹介。

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「山のない国・リトアニアのチャンピオン ゲディミナス・グリニウスの旅」

世界最高レベルのウルトラトレイルランナーのグリニウス氏は、約20年にわたりNATOの軍人として生き、イラクでの戦闘体験によって患ったPTSDからの回復を目指して走るようになったという。

すさまじいトレーニングとレースの経験を積み重ねてきた中で、彼の症状は回復はしたようだが、そもそも戦争神経症としてのPTSDは「完治」するという類のものではないだろう。

ランニングだけではなく、人生の困難に直面することは――例えば家族とともに日々を生きていくことは――山を走るより難しいことでもあります。他にも色々なことがあるでしょう。何をするにしても苦しむことはあると思います。
だからどんなチャレンジに対しても、ディグニティ(品格)とともに向かっていくのが良いでしょう。ランニングするときも同じです。ランニングは人生そのものだし、私たちにとって一歩一歩前に進むことは誇り高いことなのです。

87ページ

彼の境地にたどり着くことはそうそうできることではないけれど、拭い去れぬ戦争の記憶に苦しみながら、なんとか生きていくための体勢を立て直すために走り続けているランナーは、今この瞬間にも世界中にいるのだろうと想像する。

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「ランナーの憂鬱 走ることとメンタルヘルス」

子どもの頃から自分の体が嫌いで、醜形恐怖症と双極性障害に苦しんできた作家のレイチェル・カレン。

自分の中に存在するメンタルヘルスの悪魔に「腐れチンパン」という名前をつけて飼い慣らそうとしてきたが、「チョコレートや酒類、抗鬱剤への過度の依存がその混乱に拍車をかけていた」(95ページ)

そんな中、生活にランニングを取り入れることにした。
ごく短い距離から始め、15年の歳月を経た今ではフルマラソンを3時間16分で完走するまでになったが、現在も「腐れチンパン」との格闘は続いているという。

メンタルヘルスの問題を抱えてこれからランニングを始める人たちに、レイチェルはこう助言する。

短期的な「応急処置」は忘れること。ランニングとは――どんな状況でも――長期間、真剣につきあうと約束すること。深い友情関係や大事なつきあいでそうするように、苦労や困難はあっても、切り抜ける。それは終わりを意味するものじゃないから。

95ページ

短期間で苦しみがきれいさっぱり消えることはない、長い目でランニングに向き合おうというのは、私自身も痛感しているところだ。

心身を整えるためにランニングがどれほど効果的だとしても、残念ながらそれは魔法のような特効薬ではない。

長期的に継続して、私も自分の中に棲む「腐れチンパン」をうまく飼い慣らし、じわじわと自己治癒力を高めていければ御の字である。

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次の記事へ続く。

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