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文章が好きって、その人を好きってことかも
本を読んでいて、ああ、この作家さん、嫌いだなと思うことがあります。
例えば、わたしっておしゃれでしょ?すてきでしょ?と耳元で囁かれているような気がするとき。
あるいは、隠しきれない差別心や傲慢さが透けて見えるとき。
嫌いだな、と思ってしまったのにその本を読み続けることは、尊敬できない上司の愚痴を延々と聞き続ける苦行と相似関係にあるように思います。
目の前にいるリアル上司と違うのは、本は自分の意志とタイミングで閉じることができる点。
上司も、閉じられたらいいのにね(怖)。
わたしは「人に称賛されたい気持ち」「差別心や傲慢さ」があることは仕方ないと思います。
わたしにだって、少しはあるし。
人間だもの。
でもそれを、きれいで理知的な文章でオブラートに包み、チラ見せされることが不快なのだと思います。
それならそうと素直に言えばいいのに、なんだか嫌らしいし、回りくどい。
そういえば件の尊敬できない上司も、大して意味も内容もないことを、持って回った言い方で表現する傾向にあります。
何?それで?
褒めてほしいのか?
だったらそう言え!
一方で、なんかこの人の書く文章、好きだなとしみじみ思うこともあります。
noteもそう。
読んでいて心地よく、ときどき哀しみを帯び、それでもずっと読んでいたい、この人が次に書くものも読みたい、と思うこと。
文章のうまい下手ではないように思います。
誤字脱字があろうが、時系列に少々乱れがあろうが、一文が長すぎて読みにくかろうが、好きな文章は好き。
逆に、美しく整い起承転結も完璧なのに嫌いな文章は、どうしても嫌い。
恐らく、その人のよく使う言葉、使わない言葉、留意していること、いないこと、今までの人生で感じてきた痛み、慈しみ…
そういった、ほとんど無意識で些細なあれこれが、そのことに文章では直接触れていなくても微かに流れてくる周波のように伝わってきて、好きだと思ってのめり込んだり、途中で閉じたくなったりするのだろうなと思います。
わたしの思う「好き」の基本は、まずフラットであること、そして誠実で正直であることです。
自分や他者や動植物や有機物無機物、妖怪幽霊、この世あの世、すべてを平らかな視点で見つめていること、そして己の汚くて吐き気のするような一面からも目を背けず、懸命に受け止めようとしていること。
書いたものからは、それがエッセイでも物語でも、人柄というものが滲み出てしまうものなのだと思います。
わたしは文章を読むことで滲んでくるその人そのものを、好きになったり、嫌いになったりしているのかもしれません。