どん底のあなたへ、そして人生どん底の僕が抜け出せたキッカケ
人生、どん底の時は誰でもあると思います。僕は人生どん底でした。助けようとしてくれる人はたくさん現れましたが、結局は1人になりました。子供のころからいじめや虐待などでエネルギーを奪われている人は一定数います。僕もそんな1人でした。
僕も、親のメンタル疾患、不特定多数からのいじめでエネルギーを奪われていました。それでも声に出せなかったことがあるんです。
「助けて」
この四文字がどうしても声に出せませんでした。親にはいい子で育つのが素晴らしいこと、我慢強いのが素晴らしいこと、こんな風に教育されました。何百回もいい子とか、我慢とかが素晴らしいことを言われなくても、親にコントロールされていて、自分のやりたいことが何故かできなかったり、他人軸で生きている人は結構いると思います。
これを当たり前だとか言われるのは結構しんどいです。本人的には泥の中でどうやって助けを求めていいのかもわからない状態です。
僕にも助けを求めるという発想は全くありませんでした。そして当時は解りませんでしたが僕は明らかに発達障害でした。ただ発達障害という名前自体、浸透していませんでした。それは二次障害でメンタル疾患になって福祉の世話になっても、呪いの言葉は取れずに助けを求めることはできませんでした。福祉の人は助けようとしていたんです。しかし本人がSOSを出せなかったら始まりません。最初は、福祉の態度をみせていた、僕の通っていたところもだんだんスパルタっぽくなっていきます。そして僕はさらにエネルギーを奪われます。
僕の助けての第一歩は発達外来に行ったことでした。メンタルの通っていた病院に発達外来に行くから病院を変えてくれと言いました。これは本当に反対され当時の僕は発達障害などが本当に酷くて良くならないと思われていたくらいでした。そんな僕が発達外来に行ったのは進歩でした。
そして次の試練は発達外来で自尊心のことを強く言われました。当時の僕は自己肯定感が本当に低くて、医者の指示でまず自尊心ということでした。僕には自尊心を持てることなんて一つもないと思っていました。しかし、一年くらい通っていると心から卓球を楽しんだことを思い出しました。
それが初めて自分の足で立った一歩になりました。この自分の足で立った一歩はものすごい進歩だったと思います。
ここからだんだんチャレンジしていきます。亀のようにゆっくりと将棋をやってみたり漫画を読んだり発達障害の特性があってこだわりが強かったし、コミュニケーションが苦手でしたが一歩一歩と進んでいきました。
僕はその後に大きな一歩を歩むことになるんですが、助けてのSOSから始まったことは明らかです。
しかし、この助けてのSOSをなかなか出せない人もいると思います。そんな人には自分1人で頑張っていることを最大限に褒めてあげてください。そして1人で葛藤しているあなたは十分に素晴らしいです。
あなたにとっては何言っているのとピンと来ないかもしれません。しかし、あなたが半歩でも進んだ時に解るでしょう。