【脚本】『イン・ア・センチメンタル・ムード (In a Sentimental Mood)』(5)~最終幕~
【最終幕】
(リカとケンジは、店内のテーブルを挟み、向かい合って座っている)
リカ:「はい、ケンジさんにお渡ししたその花には、私の思い出が詰まっています。。。私の母はかつて、自然界に存在しない青いバラがとても好きでした。その中でも、淡い藤色から青紫色にかけての繊細なグラデーションが一際目を引く品種があり、ロマンチックな気分を引き立てる香り、そして、どことなく感傷的な雰囲気を纏ったその青いバラは、母の一番のお気に入りでした。母はいつからか患い始め、その頃から、その青いバラの話を頻繁にするようになりました。母はやがて入院し、闘病生活が始まったのですが、病室で日に日に弱ってゆく母に、私はどうしても、その青いバラを贈りたかったのです。私の祖母、母、そして私はいつも、その青いバラの美しさ、そしてその背後にある意味をとても深く理解していました。『励ましと希望』。。。 かつて青いバラを再現することは非常に難しいと考えられていました。そのため、今でも不可能の象徴とされることがありますが、それと同時に回復の希望や困難を乗り越える力を連想させます。私は祖母と協力し、あの手この手を尽くして、当時の日本では入手困難だった母のお気に入りの青いバラを遂に手に入れました。そしてあの日、、、私が病室のベッドに横たわる母に贈ったバラの青、その見事なまでのグラデーション、、、年月を経た今でも、私はまるで昨日のことのように鮮明に覚えています。その青いバラは確かに、それまで母が見たどのバラよりも美しかった! 束の間でも、この世界のすべての苦しみを忘れられるくらいに! そして、、、それが何だか、私にはとても悲しかった。。。 ですが、、、母は、私が差し出した青いバラを見た途端、とても優しく、そして嬉しそうに私に微笑んでくれました。その笑顔を見たとき、私は少しでも母を元気付けることができたのだと思ったんです。ですから、このバラは私にとって特別な存在なんです。。。(笑顔になって)はい、私の思い出話は、これでおしまい!」
ケンジ:「(俯いたまま)この青いバラの裏には、そんなお話があったのですね。それで、敢えて私の祖母が病床に臥せていることを知って、この花を選んでくださったのですね。何だか、人工的で無機質だなんて言って、ごめんなさい。この青いバラをこうして眺めていると、何だか私の祖母の病気が良くなる魔法が詰まった花に見えてきました!」
リカ:「ケンジさん、人工的に作られた花でも、その背後にはたくさんの人の夢や希望が詰まっていることがあります。お婆さまに希望を届けてください。それがこの青いバラの持つ力なんです」
(そこで急にケンジの携帯電話が鳴る)
ケンジ:「あっ、ちょっとすみません」
(ケンジはリカに背を向け、電話越しの相手と話し始める(*ケンジの顔は客席には見えている)その表情は段々と険しくなっていく。電話を切ったケンジはリカに向き直る)
ケンジ:「失礼しました。今、病院から電話が。祖母の容態が。。。もしかすると、今夜がヤマかもしれないって。。。」
(ケンジは大きくうなだれる)
(リカが立ち上がり、ケンジの隣に移動する)
リカ:「ケンジさん、お婆さまのところに急いで向かってください」
(リカがケンジの肩に手をそっと置く)
ケンジ:「(元気ない声で)そうですよね。怖がっていても、仕方がないですよね」
リカ:「お婆さまにちゃんと届けてくださいね、お花と希望」
ケンジ:「リカさん、最後に気になったことがあるんです。ごめんなさい、こんなタイミングで。リカさんが教えてくれた青いバラの花言葉。『愛情』、そして『喜び』。。。ですが、最後の『苦しみ』、、、これが何だか今の祖母を象徴するようで。人はやっぱり、、、苦しみから逃れることはできないのでしょうね?」
リカ:「、、、ケンジさん、その質問に答えるのは難しいですが、私はこう思うんです。人生には、『喜び』もあれば、『苦しみ』も必ずあります。それが私たちを成長させ、人としての深みを与えてくれるのだと。その青いバラの花言葉には、その全ての感情が込められています」
(リカが青いバラを見つめる)
リカ:「このバラが象徴するのは、人生のすべての瞬間が大切だということだと思うのです。喜びがあるからこそ、苦しみも意味を持ちます。そして、その逆も然り。。。もしかしたら、お婆さまも今、そのように感じられておられるのではないでしょうか」
ケンジ:「祖母が今、、、そのように感じている?」
リカ:「はい、ケンジさん。お婆さまが苦しみの中にいる今だからこそ、この青いバラが特別な意味を持つのです。このバラには、愛情や希望、そしてその中に隠れる『苦しみ」を乗り越える力が込められています。
(リカが視線をバラからケンジの顔に移す)
リカ:「お婆さまはきっと、あなたの愛情とこのバラの持つ意味を感じ取ってくださるでしょう。それが、お婆さまにとって希望の光になると信じています」
ケンジ:「リカさん、そうですよね。辛いのは、、、本当の苦しさと闘っているのは祖母なんだ。苦しみを乗り越える力、、、苦しみ、、、希望、、、愛情、、、ううう、、、お婆ちゃん、、、」
(ケンジ、大きくうなだれ、堪えながらも嗚咽が漏れる)
(リカがケンジの背中を優しくさする)
リカ:「ケンジさん、お婆さまはきっと、このバラに心を救われると思います。人生には苦しみもありますが、その中で見つける希望と愛情が私たちを支えてくれます」
ケンジ:「リカさん、本当に苦しみを乗り越える力、その勇気が必要なのはボクなんでしょうね。これ以上、泣いている暇はありません。ボクはこれから病院に行きます。祖母に、ううう(またもや嗚咽が漏れる)、、、祖母に何があっても、ボクは、、、ボクは乗り越えなくてはならないのです。リカさん、感謝します。このバラを持って、今すぐ病院に向かいます。祖母にこの青いバラを見せて、少しでも元気になってもらえるようにボクも祈ります」
(ケンジが椅子から立ち上がり、リカに深々と頭を下げる。リカもつられてケンジに深く頭を下げる)
ケンジ:「(頭を上げて)リカさん、ありがとうございました。また暫くしたら、この店に来ますね!」
リカ:「もちろん! いつでもお待ちしていますよ!」
(店内のBGMとして『イン・ア・センチメンタル・ムード』が流れ始める。デューク・エリントンのピアノとコルトレーンのサキソフォンの音色が混じり合うあたりで徐々にボリュームが上がる)
(ケンジがリカに再度軽く会釈し、舞台袖に移動して、ドアを開け、一瞬立ち止まる。リカがケンジの背中に向かって叫ぶ)
リカ:「ケンジさん! 忘れないで、花言葉! ケンジさんの気持ち、お婆さまの心に必ず届きます! そして、青いバラが、ケンジさんの未来を照らし、苦しみを乗り越えられる力になることを願っています!」
(BGM『イン・ア・センチメンタル・ムード』のボリュームがより一層上がってゆく中で暗転)
(終幕)
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『イン・ア・センチメンタル・ムード(In a Sentimental Mood)』
脚本:ハミングバード
全編通してお読みいただいた皆さま、たいへんありがとうございました!
~🐦次回はおまけ🐦~
「【脚本】『イン・ア・センチメンタル・ムード (In a Sentimental Mood)』~🐦誰も求めぬカーテンコール🐦~」につづく
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