音読の宿題って
私は、国語と音楽が好きな子供だった。
4月の新年度の楽しみは、配られる新しい教科書。
毎年、配られたその日に、家で名前を油性ペンで書きながら、国語と音楽の教科書を全部読んでしまうのが、恒例だった。
小さい頃に覚えた歌の方が、鮮明に覚えていたりする。
(ただ単に、年齢的記憶力の問題⁈)
よくクイズ番組などで、昔は当たり前に知っていた歌の歌詞の穴埋め問題をテレビで見かける。
知らないの?
とむしろ不思議に思うが、子供の今どきの音楽、歌集をめくると、確かに載っていないものに気付いてしまう。
「一週間の歌」とか「もみじ」とか。
その代わりに、歌謡曲が載っている。
いや、それ自体は反対ではない。良曲なことは確かだ。
ただ、昔はダメだったのだ。
大好きだった「翼をください」も、歌謡曲だからと合唱コンクールの曲からはじかれた思い出がある。
話がそれた。
教科書内容が代わるくらいは、名曲ゆえ惜しい気もするが、時代だ。仕方ない。
今の小学生は、宿題が多い。
漢字、算数、音読は毎日のマスト。
それにときにはプリントやテスト勉強、自主学習まで入る。
習い事が多い子なんて、なかなか遊ぶ暇もないかもしれない。
私の頃だけだろうか?
そんなにたくさん毎日、やらねばならなかった記憶がない。第一、毎日毎日ランドセルパンパンに教科書を持ち帰ることすらなくて、全部学校に置いていたし。
「音読、聴いてー。」
ある日、子供が読み出したのは、「白いぼうし」
「白いぼうし!あまんきみこ!懐かしいー!」
思わず教科書を覗き込む。
「知ってるの?」
「知ってるも何も、お母さんもやったよ、国語で。」
もう、まだ教科書に採用されているのが嬉しくて、ノリノリで、授業さながらな解説まで始めそうになってしまう。
あぶない、あぶない。
そしてある日は、「ごんぎつね」
「ごんー!」
「ちょっと、何⁈」
そりゃ、子供はビックリするだろう。
いや、わかってくれとは言わないが、それは、それは
泣いてしまうヤツ!
「え、そうなの?お母さんの所に帰るのは…」
「それ、手ぶくろをかいに。大丈夫な話。」
同じきつねでも、だいぶ違う。
もう、その単元が音読宿題の間、
「ごんー 涙」
「いいから、聴いて!」
が、ずっと繰り返されることになる。
それだけ、やはり懐かしさと、話の悲しさと同じ話を子供も勉強するという感情が、音読という宿題には含まれるのだ。
先生方は、それに気づいているのかしら。
「大造じいさんとがん」
「椋鳩十!全部読んだわ、懐かしいー。」
もう、子供も無視を決め込んでいる。
昔々の思い出に、また出会うのが、子育ての面白いところ。
でも、子供と好みというか得意分野が違う場合は、一人で盛り上がることとなるが。
子供と児童書コーナーを巡った図書館で、「ちいちゃんのかげおくり」を見つけたときには、固まった。
小学生の私に、衝撃を与えた話。
知らない時代の、悲しい話。
そういう話も知らねばならない。
しかし、幼心にあまりに印象的だった。
私は、その絵本を手に取り、借りた。
そして一人で、読んだ。
昔ほどの、強い衝撃はなかった。
心にくるものはあったけど。
私は、いろんなことを知った、大人になってしまったのだろうか。