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緊急事態はどれぐらい緊急か。

ちょっとした緊急事態らしきものが身のまわりで起こり、急いで対応しなければならないことに追われnote更新が止まってしまった。

ほぼ毎日書こうと決めたときに書いたような「のっぴきならない理由」があった(しかも2つ)ということで間違いないんだが、それでも何日も止まっているとなにか不安な気持ちになったので、短くてもさっと書こうと画面にむかっている。

目の前で起こるいろんなことに対応し、その緊急事態らしきもののために他の決まっていた予定を動かし、もろもろ調整しているうちに、あっという間に時間は過ぎ、ほんの束の間の休息などはあるものの「さて書こう」と心で腕まくりをして文章を創作する気持ちには到底なれず、そうやってnoteを書くことからも遠ざかりつつあった。

とくにわたしはスピードを重視した決断がそんなに得意ではない。

その場その場でサクサクと決めて物事を動かしていく、というのが、だいたいの場面においてとても難しい。自分のなかではただ「遅い」というつもりはなく、すべてにおいて「よく考えて動く」タイプ、だからこそあまりスピードに押されると決断に失敗することも多い。

そういったことを加味しながら、ふだんはできるだけ距離をとっている世間のこの「スピード感」というやつに「緊急事態モード」なるギアを入れて自分なりに進んではいるが、それでも目まぐるしい展開が目の間にある、それだけでもだんだん息切れはしてくる。(こういうのはきっとHSP的な気質)

そんな毎日だから、noteから遠ざかってしまったことも余計に不安になり「また続けられるだろうか」などと思ったりするところもあった。

だがよくよく考えてみると、この不安は悪くない感情かもしれないと思い始めている。

上記の「ほぼ毎日宣言」記事でも紹介したように、新しくはじめたことが習慣になるまでに平均66日かかるという。わたしもこの「ほぼ毎日note」の習慣化をはじめてちょうどそれぐらいなのだ。(書いたのは50記事で、合間の書いてない日まで数えると近いイメージ。せこい?)

noteに何を書くかと日々追われていた20日目前後のころ、あまりの負担感で毎日更新をあきらめてnoteを書かない日をつくった。そのときの感情は「ラク」だったし「ホッとした」のだ。書かないことに小さな罪悪感こそあったものの、「今日はnoteを書かなくていい」という安堵から、ほかのやりたいことに喜んで取り組んだ。

ところが今のわたしはどうだろう。noteを書かないことで「不安」になっている。不安の理由は、まぎれもなく「書きたい」からだ。

書かなくても誰にも迷惑はかからないのに。もちろん「せっかく始めた新しい取り組みなのに、このまま離れちゃうともったいない」という気持ちもゼロではないが、自分のなかにそれより大きく存在しているのが「書きたい」という気持ちだ。「書きたい」からこそ「書かないと落ち着かない」のだ。

それって、、、
noteがすこし、習慣になってきているのではないか?(期待大)

もっとも、これが本当なのかは、もうしばらく経ってから振り返ってみないとわからないことだが・・・。

今日、時間がないなか「なにか書こう」と書き始めたのも、noteを書いている時間が「いい時間」だと思っているからこそ、その「いい時間」に没頭したいと切に願ってのことだった。

数日ぶりにnoteに向かっているわたしは、いまの自分をとりまく目まぐるしい日々を外側から見つめ、完璧とはいかないが私なりに「読める」文章にするため、あれやこれやと言葉を選びながらキーボードを叩くことで、嵐のような現実世界からすこし距離をおいて頭を休ませることができている。

いつの間にか、わたしにとってnoteを書くことは、とても大切で癒やしの時間になってきていたようだ。

緊急事態。

そういうことが起きると「それどころじゃない」とあれこれ自分に優しくすることだって、後回しにしがちになる。ある程度は仕方のないことだし、守りたい誰かや、足並みをそろえて進みたいと思える誰かがいることは、短い人生において本当にありがたく幸せなことだ。

だがそんなときこそ、そんなときだからこそ、あらためて今の自分に大切なものをしっかり認識しながら、自分らしく走っていけたら、もっといい。

#note継続 #ほぼ毎日note

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