見出し画像

【掌編小説】生贄


 こののどかな町の、のどかな学校の、のどかな日常は、月曜の朝、突然、そしていとも簡単に、パニックと恐怖に取って代わった。
 小中一貫校の建物の一階、その端っこの、小学校一年三組の教室の、窓のところに吊るされていたてるてる坊主に混じって、首吊りにされた虎柄の猫が発見されたのだった。
 第一発見者は、クラスで一番早く登校した真面目な女の子。泣きわめきながら校門の警備員に駆け寄り、見たものを伝えた。警備員は教室を確認した後、二階の職員室へ駆け上がった。すぐに先生たちが大急ぎで下りてきて、教室を覗く。あたふたして、話し合う。どこかに電話をする。その間、小中学生たちがどんどん登校してくる。教室で猫が死んでるの、と泣きわめく女の子を見て、高学年の男子らが先生たちのいる方へ向かう。先生たちにブロックされると、建物を出て、校庭の方から教室の窓を覗いて回る。そして吊るされた死体を発見すると「あーっ!」とか「うわーっ!」とか叫びながら逃げていく。教室側からそれを見ていた年配の女の先生が外に飛び出て、窓に近づこうとする他の男子らを追い払う。
 だがもう手遅れで、噂はたちまち広がっていった。後から登校してきた小中学生たちは、死体を目撃した子から直接聞かなくても人づてに話を聞けたし、校庭で学生が窓に近付かないように先生がずっと立っていることからも、一年生たちが廊下に座って待機させられていることからも、噂が本当らしいということが分かった。
 しばらくするとパトカーが現れる。二人の警察官が学校に入り、後から別のパトカーが来て、また三人が入ってきた。警察官が五人も集まったのだから、直接見ていなくても大変なことが起きたのは誰の目にも明らかだった。
 まだ授業が始まる前だったから、警察のこともすぐに学校中に知れ渡った。どの階の廊下でも、どの教室の中でも、学生たちは寄り添って事件の話をしたり、窓の外のパトカーを見下ろしたりしている。
 そしてそれは、五年二組でも同じだった。
 窓を開け、身を乗り出して外を眺めている子たち、教室の端っこで輪になって話し合っている子たちがいる。
 その様子を見ながら小橋結衣がランドセルを下ろし、席に着くと、前の席の鈴村杏奈が振り向いた。
「ねぇ、猫のこと聞いた?」と杏奈。
「うん、廊下で」
「怖いんだけど、今日授業やるのかな?」
「う~ん、どうかな・・・ 急だと親の引き取りとか難しいから、そのクラスだけかもね」
「えー、嫌だ~」
「まあ、わかんないけど」
「犯人って生徒だと思う?」
「う~ん」と結衣は言うと、思いついたことを付け加えた。「でもそのクラスの子じゃ、絶対ないよね、まだ一年生だし・・・ もし生徒だとしたら、中学生とか?」
「私もそれ思った。中学生の不良グループいるでしょ? それじゃない?」
 その時、担任の男の先生が入ってきた。
 いつもと違う硬い表情で口を開く。
「皆さん、おそらく噂を耳にしていると思うけど、まだ調べている途中だから、何も分かっていません。本当じゃない噂が広まるかもしれないから、いい加減なことを言いふらさないでね。あと、今日は校庭の利用は禁止です」
 そう告げると、先生はさっそく国語の授業を始めた。
 皆そわそわして、事件についてもっと話したい様子だったけど、先生が強張った顔で淡々と授業を進めるので、何も言い出せる感じではなかった。
 一時間目が終わり、結衣と杏奈が一階に降りてみると、警察が校長先生らと話していた。一年生クラスが全部休校になったみたいで、廊下で親の引き取りを待っている子達がちらほらいた。急に仕事を休むはめになった作業着姿やスーツ姿の親たちが急ぎ足で入ってきて、自分の子を見つけては手を繋いだり、抱き上げたりしている。
 チャイムが鳴ったので、教室に戻った。二時間目は算数の授業。先生が話しかけても、みんな上の空で、やはり集中できていない様子。三時間目も、四時間目も、その調子だった。
 そしてやっとお昼時間。
 給食をはやく食べ終え、結衣と杏奈がまた一階に降りてみると、警察の近くに今度はまた別の大人達がいた。一眼レフカメラを持った男とスーツの女性。
「記者っぽくない?」と杏奈。
 確かに、そう見える。でも一眼レフだからテレビじゃなくて新聞かな、と結衣は思った。
 その時、体育の男の先生がこっちを見上げて「教室に戻りなさい!」と声を荒らげる。
 ビクッとして教室に引き返した。
「明日の新聞に載るかな」と杏奈。
「う~ん、どうだろう」と結衣。「取材はしても、これぐらいだと載らなさそうじゃない? 連続で起きたら載るかも」
 杏奈がびっくりする。「え、連続って・・・ 変なこと言わないでよ~」
 記事になるかどうかは分からないけど、大勢の大人たちが慌ただしく動いているのは確かだった。先生たちも、親たちも、警察も、記者らしき人達も、互いに熱心に話し合っていた。生徒たちも気が気じゃない感じで、普段とは違う言動をしていたし、普段あまり話し合わない子たちの間でもおしゃべりが増えていた。
 突然学校を襲った異常事態。不気味な興奮状態が続く中、色々なことが起き、色々な噂が飛び交った。
 まず翌日、朝礼が行われ、心のケアの大切さ、生命の大切さについて校長先生が延々と語った。直接的な表現は避けているけど、生徒が犯人である可能性もあると考えて言っているように聞こえた。
 あと、中学生の不良グループが一人ずつ職員室に呼ばれて、本当に君たちじゃないんだよねと何度も確認されたという噂だった。すると、自分たちを疑う先生たちに不良グループはさらに反発し、学校にもっと来なくなった。
 でも学生を疑う先生たちの方にも疑いの目は向けられていた。
 例えば、死体の見つかった一年三組の女の先生に彼氏をとられた三年一組の女の先生が腹いせにやったという説がまことしやかに囁かれた。本当にそんな泥沼の三角関係があったのかどこにも証拠はなかったけど、とにかくそういう噂が広まっていた。
 疑いの目は学校の中だけじゃなく、外にも向けられた。
 数年前に壮絶ないじめにあっていた中学生がいたけど、先生たちが何もしてくれなかったらしく、それで卒業後もずっと恨みを持っていたその人が今回の事件を起こしたんじゃないかという説が浮上した。
 昔、学校で首を吊った女の子がいて、その子の幽霊がやったんじゃないかという怪談も耳に入ってきた。そんな女の子がいたという話はそれまで聞いたこともなかったけど、クラスの子達は怯えた表情でその話を共有した。
 部外者の説もあった。近隣住民が、校庭で子供たちがうるさくしているのに腹を立てて、嫌がらせをしたんじゃないかという説。それに、いつも独り言をつぶやきながらこの辺りをうろちょろしているあの変なおじさんがやった説。
 でも部外者がやるのは簡単じゃないと思われたから、そっちを信じる子はあまりいなかった。
 まず、普通に学校に侵入したら監視カメラに映る。カメラには死角があるけど、学校によく出入りする人じゃないとその死角を知らないだろうという話だった。
 あと、校門から入ったら警備員に止められるし、学校は高い塀に囲われているけど、校舎の裏側の茂みを潜ったら飛び越えやすい低い所もある。それも学校の関係者じゃないと分からないという意見が多かった。
 小動物を虐待して殺すような奴は、どんどんエスカレートして、人殺しになるという話も出てきた。実際の例がいくつもあるという。次は学校の誰かが殺られるかもしれないな、とお調子者の男子が言うと、女子たちは「やめて~!」と悲鳴を上げた。
 その調子で、学校では緊張感と恐怖心が漂い続けた。学校の外では事件のことを耳にすることがなかったし、やはりニュースにはならなかったけど、学校の中では猫の死体のことが皆の頭からずっと離れない様子だった。
 その状況を見ながら、結衣は図書館で読んだ、むかし世界の各地で行われていた生贄の儀式の話を思い浮かべた。生贄というのは神に捧げるものだけど、実は神よりも、儀式に参加した人たちの心に与える影響を狙って行われた可能性もあると書いてあった。
 確かにそういう側面があっただろうと結衣は確信した。だって実際、猫一匹の犠牲によって、普段特別なことは何も起きないこののどかな学校が、一瞬で非日常的な空間に生まれ変わり、異常な興奮状態に包まれたのだから。これが二匹目、三匹目と続いたら・・・
 結衣は、雰囲気が大きく変わってしまった学校を見渡しながら、心の中でつぶやいた。

 ふふっ、思った通り。




<完>


____

夏なので怖い話を書いてみました😅。
良かったならスキをお願い致します。
以下では購読者向けに小説の解説をします。


ここから先は

909字
『Cirの文学夜話』を購読すると全記事の有料部分が読めます!(詳細は下のタイトルをクリック!)

Cirの文学夜話

¥120 / 月 初月無料

次の内容で月10回以上の投稿をします。 ①文学作品の事例を用いた心に響く文学的表現の探求 ②自分の各作品の背景となったエピソードと解説 …

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?