森羅万象への敬意が生む、類まれなる調和
美しい時間の覚え書き。
赤坂見附で下車して、ぱっとしない地下道をせっせと歩いた末に辿り着く、綺羅びやかなサントリーホール。きらきらと輝くホワイエに気持ちが高揚しながらも、同時に少し安堵する。いつもここに来るときは少し気が張っていたのだけれど、昨夜は楽しみなばかりの夜だったのだ。
というのも私は昨年まで、サントリーホールのことを紹介する雑誌連載を受け持っていた。だからかなりの頻度で来ていたし、何度も演奏会を楽しませてもらったのだけれど、いつも「文章のネタを見逃してはならぬ!」と、目に映るものや耳に入るもの全てに注意を配る必要があった。
でも一昨日は、仕事ではないただのお楽しみ……として気楽に向かった友人、務川慧悟くんのピアノリサイタル。ここ3ヶ月だけでもは務川くんの出演するコンサート……ストラヴィンスキーの2台ピアノや、メシアンの交響曲、ラフマニノフのピアノコンチェルトといった、色々な演奏形態の、かなり個性の強い作曲家たちの大曲を聴く機会があった。いやいやいやいやこんな短期間で、いずれも鋭利で難解な曲ばかりに挑んで、よくあの繊細な心と身体が持つな?! ……と驚き半分、心配半分(ファンであればみなが心配になる激務!)だったのだけれど、リサイタルは彼の選曲で、心から敬愛する曲ばかりを並べたもの。
よく知っている場所で、よく知る友人の演奏会。それも彼の大切にしてきた楽曲が勢揃い ……という組み合わせは、聴く側としては楽しみなばかりなものである。
照明が暗くなり、そこにたった1人の奏者が登場し、聴衆たちは拍手で迎える。……と、演奏が始まる前に、まずそこで響く拍手のまろやかさに驚いた。何度も来ているホールなのに、過去最高にまろやかで豊かな拍手は何故?務川ファンダムは手の鳴らし方もお上手で……? と思ったが、むしろ女性客が多いのだから、拍手の音は高く尖ったものが多いはず。別の環境的な要因があるのだろう。
この夜は舞台上にはピアノ1台、そして聴衆たちは夏の装い。湿度の高い日ではあったけれど、ゲリラ豪雨もなかったので服や靴が濡れていることもない。つまり、舞台上の人や物が少なく、さらに聴衆たちの衣類の吸音性も低いので、拍手すら豊かに響いたのだろうか。ははぁ、サントリーホールの除湿機能もお見事! と完全に余計なことを思いながら私も手を鳴らす。
そうした拍手の響きが消えたと同時に始まった、バッハのパルティータ。端正な音の粒がホールの豊かな響きによってまろやかになり、芳醇なワインのような厚みのある前奏曲が響く。それもグラスに注がれた少量のワインではなくて、こちらが大きな樽の中に浸るようなたっぷりとした、豊かなワイン。えぇ、バッハって、こんなに芳醇な感じだったの……と、私が持つバッハ像がこれ以上ないほど美しく上書きされていく時間だった。
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恥ずかしい自分語りになるが、私にとってバッハは少々苦い思い出がある存在だった。
私は物心ついた頃からピアノを適当にのびのび習っていたのだけれど、小学3年の頃、「もう少しちゃんとやろう」という母の提案により先生が変わった。はじめてのレッスンではそれまでよく弾いていたモーツァルトを弾いてみたのだけれど、先生は私の音の鳴らし方、過剰な歌い方、座り方、ペダルの踏み方……それら全てに深い溜め息をつき、その日から「響かせて誤魔化してはダメ!」とペダル使用禁止令が発布されたのだった。私は話を雑に盛りがちで、じっと座って最後までなにかに取り組むことが苦手な子どもだったが、その人間性はしっかり音楽にも反映されていたらしい。
そこからの課題曲はバッハ。ひたすらにバッハ。ペダルで音を響かせることなく、リズムもタッチもぶれないようにバッハの訓練。ピアノがまだなかった時代に、チェンバロというペダルのない楽器で演奏されていた曲なのよ、という説明を先生から受けながらも、ペダルのあるピアノでそれを踏まない……というのは、集中力の乏しい大雑把人間には、許容値を越える忍耐の時間だった。眼の前に豚骨ラーメンがあって空腹なのに食べられない、という程度には辛い。
でもそうした訓練の甲斐があり、リズムやタッチが正確になってきた……ということでその後はペダルが解禁され、他の作曲家の曲を弾かせてもらえるようになった。でも、バッハは「正しい姿勢を忘れないために」とピアノ教室を辞める二十歳頃まで常に付き合っていた。その頃にはもはやパラパラと流れる譜面が好きにもなっていたけれど、そもそもがチェンバロで、教会で演奏される「厳格で崇高な正しい人」というのが乏しい我が経験の中でのバッハ像だった。
けれどもサントリーホールで響いていたバッハは、驚くほどに芳醇でやわらか。ピアノから生まれ、ホール全体に反響して降り注ぐやさしい音色。
それを聴きながら、務川くんは、バッハがなによりも愛したというクラヴィコードという古楽器をパリ国立高等音楽院で学んでいた……という話を思い出した。金属音の響くチェンバロではなく、木の音がやわらかに、静かに響くクラヴィコード。あぁ、バッハが理想としていたものは、こうしたまろやかな音色だったのかもしれないな……と想像しながら、部屋の中から窓の外の自然を眺めているような、気負いのない朗らかなパルティータを心ゆくまで楽しんだ。見事なほどに過不足のない、調和の芸術だった。
楽曲、奏者、楽器、調律、音響、天候、湿度、そして聴衆たちの作る静寂。その全てが心地良く調和した瞬間に立ち会う──というのは、芸術というものが好きで追いかけていたとしても、なかなか叶うことではない。どれだけ素晴らしい楽曲を、実力ある奏者が演奏したとて、他の要素が乱れると調和は途端に失われてしまうのだし。けれどもサントリーホールでの務川くんのリサイタル、バッハのパルティータではそうした調和が立ち現れた。
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こうした全ての要素が調和した心地良さは、これまでに何度か経験がある。たとえば三澤遥さんがデザインしていた国立科学博物館での企画展「WHO ARE WE 観察と発見の生物学」の会場であったり、劇団「ままごと」の舞台「わが星」を観劇した後だったり、茶人・中山福太郎さんの茶会であったり……。
表現、というのは往々にして、エゴイスティックな行為である。もっとも、「私を見て欲しい!私の存在を!」という強い欲望は、表現者と呼ばれる多くの人が持っていて然るべき物でもあるし、その欲が道を切り拓くこともあれば、強い光にもなる。けれどもその強さを持って、繊細な調和を組み立てることはむずかしい。
類まれなる調和は、他者、さらには人ではない存在にまで深い敬意を払ったときに静かに生まれる。上述した展覧会や舞台、茶会はいずれも、「私が主役!」と大きな声で叫ぶ人はおらず、そこにある全ての要素が美しく調和したものだった。
務川くんは度々、自分は小さな存在ではあるが、とはいえ自らは偉大な作品を生かす責任を負っている……というようなことを表明している。彼はもちろんリサイタルという舞台の上で主役ではあるが、とはいえ調和を担う一部でもあるのだ。いや、調和を生む源泉のような存在、と言ったほうが近いかもしれない。
もっとも、彼が敬意を払う対象は作曲家や譜面だけではない。人間、歴史、自然現象、空、大地、水……森羅万象に関心を示し、そこに好奇心、そして敬意がある(以前、私の夫の戦隊モノが大大大好き!という話をものすごく楽しそうに聴いていて、こりゃすごい人だ……と思った。蛇足だが!)。
そして見つけた大好きな他者(楽曲)のことを周囲に伝える役割を担うのであれば、最大限の努力するし、最大限の集中力を発揮出来る……それが務川慧悟という人なのだなと思う。そうした人間性が聴衆にも伝わり、ホールの中に類まれなる調和が生まれ得るんだろう。そこに立ち現れる静かな調和は、客席からでも容易に壊すことが出来てしまうのだから。
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以前務川くんは、八ヶ岳の音楽堂でバッハのみのコンサートを開いていた。正直、バッハだけかぁ……と思って聴き逃してしまったことを、私は反省……というかすごく後悔した。バッハだけでひとつの演奏会を完成させるというプログラム構成は、彼がバッハという愛する人に示すことの出来る最大の敬意だったのだろう。今回冒頭から時間をかけて組み立てられるその芳醇な時間の中に身を置いて、それをようやく理解した。
もちろん、今回のリサイタルでのベートーヴェン、ショパン、フォーレ、プロコフィエフ、ラヴェル……といった作曲家の楽曲群もお見事な演奏だったのだけれど(本日大阪公演に行った母は私とはまったく別の角度でプロコフィエフに感動していた)。でもやっぱり1つの時代、1つの作曲家に集中した会であれば、より濃い密度の調和が生まれ、それが残像として身体の中に残り続けるのかもしれない。
音楽というのは時間芸術であって、過ぎてしまえば最後、後戻りすることは出来ない……ということは今回のプログラムノートにも書かれていたけれど、類まれなる調和は、美しい塊として身体の中にずっと残る。今もこれを書きながら、一昨日のバッハの時間に受け止めたときの塊、のようなものがずっと残っている。そして、そんな塊を受け止めることが出来たことを、私はとても嬉しく思う。
というのも、半年前であればそこまで気がつけなかったかもしれないし、むしろもう少し濃い味付けを欲していたかもしれない。
半年前に執筆していた拙著の最終章に『誰もが静謐の奏者となるこの場所で』という、これまた務川くんの演奏を受けて書いた一編があるのだけれど、ここに私は以下のようなことを書いている。
このときよりも少し、ほんの一歩だけ感覚が開いたな……という自覚があった。
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たった半年で何が変わるねん! という話ではあるが、この半年私は暇あらば古琴を練習していた。中国の古い琴。とにかく音が小さい、控えめな楽器である。
古琴は演奏会のための楽器という訳ではなく、文人たちが内省的な時間を持つために弾かれていたもの……ということもあって、音が小さい。そもそも、そうした古琴のささやかな側面に惹かれて始めたところもある。でも、やっぱりときに物足りなくなるのだ。「もっと響いてくれへんと、届かへんやないか!」というもどかしい気持ちが湧いてくるのである。
でもその気持ちは、「誰かに聴かせる」という前提で私が古琴を練習していることを意味しているのだ。もちろん、今のところは発表会の予定なんてまったくない訳だけれども、それでも私は音楽というものを、「他者に聴いてもらう」前提で捉えているのではないか……? と、スーパーの買い物帰り近所を歩きながらふと気がついた。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。