話すことが苦手になる呪い
私の1番のコンプレックス。
それは「話すこと」
そんなの練習したら話せるようになるよ!
話すことにそもそも練習なんて必要なの?
と思う方もいるかもしれない。
自分に制限かけてる可能性?
もしかしたらあるのかもしれない。
けれども私はきっと、このコンプレックスと一生付き合っていかなければならないだろうと思っている。
物心ついた頃から「もう、何?!早く言って?」「前置きが長い!」「まわりくどい!」など、母から散々言われてきた。
大人しい性格で、そもそもたくさん話すタイプではなかったが、口を開くと何かと言われてしまうので、「いっそのこと話したくないな…」と、その方が楽なのではないか思うようになっていった。
母はお喋りな人で、相手が私に振った内容だとしても母が即座に答えてしまい、結局私は何も答えずじまいになったりと、思えば幼少期から自然と話す機会を奪われていたように思う。
前に出ることも得意ではなかったので自信がなく、小さい声はさらに小さくなっていった。
引っ込み思案な性格も相まって、転勤族で転校が多く自己紹介をしなくてはならない機会が多かった割には「話をすること」に慣れることは全くなかった。ほぼ名前を言うだけの自己紹介は毎回緊張MAX!
子どもの頃から人前で話すのが「苦手だな」「嫌だな」と感じていた気持ちは、大人になるにつれてどんどん大きくなっていった。
大人になって肥大化した気持ちはこの先小さくなることはないだろうと思う。一生この気持ちと付き合っていかないとならない、と感じている。
「何言ってるかわからない」「ごにょごにょ喋らないで」……。
たった1人、だけど自分の一番身近な人である母。一番自分を信じて応援して欲しい存在だった母に浴びせ続けられた言葉たちで、「私は話すのが下手だ」と苦手意識をより一層強め、私は呪いにかけられたのように苦手意識の鎖にがんじがらめにされた。
呪いをかけられた私はある日、「あれ、どうやって話せば良いんだっけ?」
突然「話すこと」が分からなくなってしまった。
分からなくなってしまったのは大勢の人の前で話すことではなく、親しい友人と話すことさえも、どうすれば良いのか分からなくなってしまったのだ。
会話をすることが楽しくなくなってしまい、それどころか辛いとまで感じるようになってしまっていた。
「今までどうやって”会話”してたんだっけ?」いくら考えても分からない。
焦った私は縋る思いで本屋に駆けつけ、2冊を手に取り、家に帰るなりその2冊を読みきった。
会話に関してはいまでは徐々に回復していったものの、今でも苦手意識があるのは変わらない。毎回みんな話すのが上手だな、すごいな!と尊敬の念でいっぱいになる。
話すことが苦手だと、子どもの頃には気がつかなかった困る場面がたくさんあった。
企業との面接。会社での朝礼やミーティング。大人になってからの方が人前で話さなくてはならない機会がたくさんだ。
仕事をするにあたっても営業職でも事務職でも人に説明する場面がたくさんあるので支障が出ることが多くある。そしてコロナ禍になりオンラインの時代に。その場の空気を感じられないオンラインが私は特に苦手だ。
できていた方が当然いい。
できない自分は、じゃあだめなのか?
ううん、きっとだめじゃない。と思いたい。
私は話すことはもう得意になることはないし、これからも困ることだらけ。その度に悩むことになると思う。
だけど自分のできることや他の素敵な部分に目を向けていきたい。今はそう思っている。
何度も思い返して、立ち返らないときっと忘れてしまって気づけない時もあるけれど。
ネガティブな部分にやっぱり目を向けがちだし、自信を持って得意!と言えることもないから自分に自信がない。だけど。
それでもできないことにがんじがらめになっていた私とはさよならして、私の素敵な個性に目を向けていきたい。
なにかができなくても、みんな素敵な個性を持っていて、それぞれ違う部分があるからこそ、いろんな役割ができて、ひとりひとりの素敵な個性が集まって、ひとつの素晴らしいものが出来上がったりするもの。
自分はなんの役割ができるのか?まだわからないけど、他者からみたら「〇〇」ができてるよね、って思ってもらえているかもしれない。
これから先も模索しながら、ほんの少しづつでもこの鎖を徐々に解いていってあげたい。
未来の自分のために。
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