#283【日記】ハウルがしみる夜 性被害と攻撃性
今日もお読みくださってありがとうございます!
『ハウルの動く城』を見た
金曜ロードショーで『ハウルの動く城』を見ました。
同作は、公開時に見てよくわからなかったので、そのあとは敬遠してまともに見たことがありませんでした。
一昨日、とてもうれしいことがありました。
ずっと抱えてきていつか通らなきゃいけないそうしたいと思っていたことが実現して、うれしかった。
同時にとても疲れてもいて。いやなきもちはないんだけど、ただ昨日はへとへとで過ごして、なんとなく『ハウル』見始めたら……
しみるー………
ハウルってこんなだっけ。
あの人は弱虫がいいの。
ハウルはじめ魔法使いたちが魔法を使いすぎると元に戻れなくなることが繰り返し語られます。
データ放送で読んだ宮崎駿監督の言葉では、同作における魔法はバーチャルリアリティ(ゲームなど)のメタファーと書かれていますが、確かにそちらにのめりこんで現実に戻ってこられないことはよくありそうです。
でもソフィーのせりふ、
「あの人は弱虫がいいの。」
「こんなことしてたらあの人は戻れなくなっちゃう」
は、はっきりと、ハウルの攻撃性について語っています。
攻撃性に乗っ取られて戻れなくなる感じ、わかる……。
また、「弱虫がいいの」は含蓄のある言葉ですね……。
小さな声で言い淀む、強くない言葉こそその人のほんとうの言葉になり得る。
そうなの、心って重いの。
そのときどきでソフィーの年齢が変わるの、すごい表現ですね……絵も、声も。
それに、荒地の魔女が、何もわからないおばあちゃんになったり、そうかと思うと鋭くなったり、あわいを行き来する表現もすごい。
このすごさ、今までわからなかったなぁ……。
また、カルシファーの状態によって維持できる城の規模が変わって、元気のないカルシファーが維持できる城が情けない姿なのも、自分にも思い当たるふしがあります。
おばあちゃん(荒れ地の魔女)がソフィーにハウルの心臓を返す場面、「そんなに欲しいのかい?しかたないねえ、大事にするんだよ」ってセリフを、おまいう(お前が言うか)案件だと思っていた己の浅はかさよ……。
ソフィーが愛するハウルの心臓をカルシファーの中から見つけ出し、「大事にするんだよ」とソフィーに渡す……これはあの状況のおばあちゃんにしかできない。
また、心臓が戻ってから目覚めて、身体が石みたいに重い、と言ったハウルにソフィーが返すひとこと。
「そうなの、心って重いの。」
はぁー、至言。
心って重いの。
だから大変だけど、だからいいの。
買っといてよかったハウルグッズ
先日ジブリパークに行ったときに、作品ろくにわかってなかったのに、毎日売り切れるほど人気というだけで朝イチから並んで買ってしまったヒンのぬいぐるみ(タイトル画像)。
今日見てハウルめちゃくちゃよいことを初めて認識できたので、買っておいてよかったなーと。
肌触りが良くて、大きさも作りもしっかりしている。
それからこの三白眼。どこから見てもこのうらめしげな目と、目が合っているように見える。
とてもよく作られています。
くわえて、毛足が長くてフワフワで愛用している引越魔法陣のラグ。
これも買っておいてよかったな。
さて。
性被害と攻撃性
話は変わりますが、わたしは、noteのレコメンド記事の精度に信頼を置いていません。
「女尊男卑反対!」「アンチフェミ!」「名誉男性恋愛コラムニスト」みたいな記事をレコメンドしてくる。
わしの記事見てなぜそれをレコメンドしてくる?プログラムクソなのか。
エコーチェンバー効果防止?
でも今日は初めて、レコメンドありがとうと思った。
この文章はわたしのことだ、と思う記事に出会いました。
わたしのことが書いてある
うわあ……それはわたしだ。わたしのことが書いてある。
貝津さんは、紅白で星野源『ばらばら』と米津玄師『さよーならまたいつか!』について語っていらっしゃり、それもたいへんに共感……。
↓こちらはわたしのかいた『ばらばら』『さよーならまたいつか!』に関する記事
わたしの一昨日のはなし
冒頭に書いた、「ずっと抱えてきていつか通らなきゃいけないそうしたいと思っていたこと」とは、自分がどんな性被害を受けたかを、初めてだれかにすべて打ち明けたこと、です。
「性被害を受けた」ということだけはこれまでもひとに伝えたことがありましたが、その詳細をすべて話すことはできませんでした。
でも、一昨日初めて話せた。
そこに至るまでまさにわたしも貝津さんの言葉のとおり、「冷静でいられ」ず、「カッとなってしま」い、「言葉遣いがぶっきらぼうになってしまう」し、「自分の中で鋭く汚い攻撃的な感情が生まれ」ました。
わたしの攻撃性は、打ち明けた相手から指摘されていましたし、自分でもそう思います。
ハウルで描かれたように、いちど攻撃性側に振れると戻ってこられない実感もありました。
でも、それはわたしだけじゃなかったのか。
この記事を読んでそう思ったら、救われた気持ちがしました。
「傷をわかってほしい」という気持ちはおかしくない
さらに、貝津さんがご自身の傷に向き合い、夫に伝えた言葉が続きます。
ああ、それだ。
わたしもそう思っていた。
でも、それは他人に求めてはいけないことだと思っていた。
具体的にどうすればいいのかを、わたしもわからないから。
それに、相手はわたしの被害には何の落ち度もないから(わたしもないけど)。
重い、という反応を受けることが多かったから。
でも、傷をわかってほしいと思うのはわたしだけじゃなかったのか。
ハウルが重いと感じたのと同じ重い重い心を理解してほしいという望みを持つわたしは、おかしくなかったんだ……。
「声を上げなくていい」幸せ
また、貝津さんが語るバンクーバーで暮らす幸せについても、首がもげるほど頷いてしまいました。
そうだ、わたしの日常も、心の中で叫んで、イライラして、わざわざ口で説明して、そんなことばっかりだ。
ここにさんざん書いてきたけれど、わたしは説明すること、声を上げることに倦んでいる。
同時に、自分の小賢しさや傲慢に胸焼けし、無力感にさいなまれてきました。
でも、わたしだけじゃなかった。
やっぱりこんな状況は辛いのだ。
辛いと思っていいんだ……。
いいなあ、バンクーバー……。
直面して初めて感じる「声を上げなくてもいい」安心感は、日本以外で暮らしたことはないわたしにも、覚えがあります。
数年前、とある女子バスケットボール選手にインタビューする仕事をしました。
彼女は身長が180cm以上あって、当時はかなりボーイッシュなスタイリングに整えていてめっちゃかっこよかった。
初めて彼女に対面したとき、
「こんなにかっこいい人が女性なんて、なんて最高なんだろう!」
と感じました。そしてそのことに自分でも驚きました。
この人はわたしを性的には侵害してこない。
この人に「わたしの傷を理解して接してほしい」と声を上げなくていい。
それ以来、彼女が引退するまで彼女の応援をしました。
それをきっかけに、今でも女子バスケは大切なわたしの趣味です。
この記事との出会いに、筆者に、感謝!
12月からこちらの性犯罪関連の話題でざわざわさせられたわたしは、否応なく自分の性被害と向き合わざるを得ない年末年始を過ごしました。
冷静でいられず、攻撃性が強まり、ひとを巻き込んで、苦しい思いもしました。迷惑もかけました。
そうやってもがいて、大切なひとの理解と協力を得て、これまでできなかった「だれかに被害の詳細を語ること」ができました。
そうしてへとへとに疲れたこのときに、わたしも持つもやもやを精緻な言語で表現し「わたしだけじゃなかった」と教えてくれたこの記事に、この記事を書いてくださった貝津さんに、感謝しかありません。
これからも被害経験とその影響を抱えたまま日常は続いていきますが、わたしが感じることがわたしだけが感じることではないと知れたことに、心強さを感じています。