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#47【くらたの本棚】1-1 『ウィキッド』とともに読み解く『オズの魔法使い』(前編)
くらたの本棚とは
くらたが読んだ本についてあれこれと書いてコレクションしていきます。
ペンペン草も生えないも生えないくらいに書く
明かりをつけましょぼんぼりに、今日はひな祭りですね。
夜はちらしずしの予定です。じゅるり。
【くらたの本棚】第一回目は、桃の節句・女の子のお祭りにちなんで、「ピンクの花は緑色の肌に映えるのね」(大意)名台詞でおなじみ、シスターフッドものの金字塔『ウィキッド』つながりで『オズの魔法使い』!
(ちなんで、って言うけど結構遠いですね。)
書いてみたら、第一回目なのに(第一回目だからか?)引用は多いし総字数も多く、「『オズの魔法使い』と『ウィキッド』がどうリンクしているのか、なんてダレトク?」な記事になってしまいました。
でも、残しておきたいのでアップします。
ダレトクだからこそ、ペンペン草も生えないくらいに書く!えい!
『ドラえもん』の通った後は、もうペンペン草も生えない、というくらいに、あのジャンルを徹底的に描き尽くしてみようと
なぜ今『オズの魔法使い』か?
劇団四季『ウィキッド』の約10年ぶりの再演
先日も書きましたが、劇団四季『ウィキッド』の約10年ぶりの東京公演が閉幕しました。『ウィキッド』大好きくらたは3回も観に行きました。毎回必ず客席のあちこちから洟をすする音が聞こえてきました。愛されてる~!
『ウィキッド』は『オズの魔法使い』がベースにあるお話です。
人も動物も同じ言葉を話し、ともに暮らす自由の国・オズ。しかし動物たちは少しずつ言葉を話せなくなっていた。
緑色の肌と魔法の力を持つエルファバはシズ大学に入学し、美しく人気者のグリンダとルームメイトに。見た目も性格もまるで違う二人は激しく反発するが、お互いの心に触れるうち、次第にかけがえのない存在になっていく。
ある日、オズの支配者である魔法使いから招待状が届いたエルファバは、グリンダとともに大都会エメラルドシティへ。
そこで重大な秘密を知ったエルファバは、一人で戦うことを決意。
一方のグリンダは、オズの国を救うシンボルに祭り上げられる。
心の内では相手を想い合うエルファバとグリンダ。
しかし、運命は二人を対立の道へと駆り立てていく――。
『オズの魔法使い』は日本でも広く知られた物語ですが、公式パンフレットによれば、アメリカではその比ではなくもっともよく知られた現代でも人気の高い物語とのこと。『ウィキッド』を観る際に『オズの魔法使い』の知識があったほうが、より深い観劇体験ができることは想像に難くありません。
元図書館児童書担当の視点:翻訳は新しいものを
原作『オズの魔女記』(グレゴリー・マグワイア/著 廣本和枝/訳 大乗出版)は未読ですが、まずは『オズの魔法使い』を読んでおくべきだろうと、近所の図書館で借りました。
古今東西、数ある翻訳の中からくらたが今回読んだのはこちら。
『オズの魔法使い』(小学館文庫)
ライマン・フランク・ボウム 江國香織・訳
2015年2月11日 初版第一刷発行
図書館で児童書の担当をしていたとき、「翻訳は新しいものがよいのか、古いものがよいのか」というトピックがありました。
このトピックでよく知られているのは名作『大きな木』(シェル・シルヴァスタイン あすなろ書房)の、ほんだきんいちろう訳と村上春樹訳です。くらたはほんだきんいちろう訳で育ったのでそちらのほうがしっくりきますが、図書館の児童書の担当としては、より新しい翻訳のものを積極的に選書するようにと言われていました。子どものための本の翻訳は、常にその時々の子どもの生活、取り巻く環境に配慮して言葉を選ぶ。とすれば、より新しい翻訳のほうが現在の子どもに伝わりやすいからです。
歴史とは人々が信じた物語のこと……『ウィキッド』とのリンク
『ウィキッド』劇中では、「歴史とは事実そのものではなく人々が信じた物語のこと」という旨のことが語られます。
物語の中の世界だけでなく現実のわれわれの社会にも通じる鋭い指摘ですが、『ウィキッド』と『オズの魔法使い』の関係性においても意味を持つ、三重に意味のある言葉です。
というのも、『ウィキッド』は『オズの魔法使い』と完全につじつまが合うわけではなく、『オズの魔法使い』から少しずれている部分があります。
ベースの物語とのリンクのさせ方としてとても巧みだと思います。
詳しく見ていきたいと思います。
まえがき
「楽しむためだけに」作られた物語
著者のボウムはこの物語について以下のように語っています。
そして作者があのおそろしい道徳とやらを教えるために用意する、いやな出来事や血も凍るような出来事の織り込まれない物語がでてきてもいいころです。
現代の教育には道徳教育もちゃんと含まれています。ですから現代の子供たちは、楽しむためだけに本を読み、不愉快な要素は省いてしまってかまわないのです。
それが、この”オズの魔法使い”を書いているときにわたしの考えていたことです。
(略)
ライマン・フランク・ボウム
シカゴにて 1900年4月
はじめに 4ページ
ここで著者は何を訴えたいのだろうなどと詮索せず純粋に物語世界を楽しんでね、ということでしょうか。読者としてはありがたい限りですね。
次回、中身に入っていきます。