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#244【虎に翼語り】第2週(5)わずかな希望・えぐい現実

今日もお読みくださってありがとうございます!
今日も昨日に引き続き、トラつば記事です。

今日のタイトル画像も、明治大学博物館で開催中の「虎に翼展」で展示されていた伊藤沙莉さん(たぶん直筆)の寅子イラストです。

一昨日、10月21日月曜日のライムスター宇多丸『アフター6ジャンクション2』で、『虎に翼』脚本の吉田恵里香さんがゲスト登場されていました。
実はもったいなくてまだ聞き切れていないのですが、序盤でも
「憲法14条を支えに戦っている人がいっぱいいる」
「『平等』に止まらず『差別されない』と言い切っているところがいい」
と、言葉を専門に扱うプロならではの表現に感動しっぱなし。
ぜひ!皆様もお聞きになってください!


第2週 2nd stage "vs Yone Yamada"

わずかな希望

判決!まさかというべきかやはりというべきか

「判決は……?!」で気を持たせて回をまたいだわりに、判決は第10回のオープニングであっさりと明かされます。
ここでむやみに引っ張らないあたりがまた巧みな構成だと思う。

この判決の前に入った、ひとり控室で水を飲み考える裁判長(と言ってもこの法廷では裁判官は一人)の場面が印象的でした。
「自由なる心証」をゆだねられる側の責任の重さを感じさせます。

主文
被告は原告に対し、別紙目録記載の物品を引き渡すべし。

判決としてはまさか、物語(メタ視点)的にはやはり、の結論。
思わず安堵の声を上げる原告弁護人、驚くよねさん、喜びざわめく傍聴席。

双方の弁護人を演じたシソンヌさん、キャラが立っていてよかったです。
作り物であることを隠さないタイプのお芝居にはこういう芸人さんはピッタリなのですね。

玉ちゃんのふるまい……細部まで作りこまれた演出

裁判長は穂高教授に傍聴席の女性が明律大学の生徒であることを確認すると、それでは特別に、と言って判決の趣旨を述べます。

このとき、穂高にならって生徒たちが裁判長に頭を下げるのですが、その誰よりも先に、涼子様のおつきの玉ちゃんが深々と頭を下げます。
玉ちゃん、学生じゃないのに、めっちゃいい子っ!!!

この玉ちゃんの造形も、優秀さがこうした細部からにじみ出ています。
能力が高くても、身分が低かったり生まれが貧しかったりという理由で学ぶことから疎外されている状況を数秒で表現しています。

裁判長の「自由なる心証」

判決の趣旨はこうでした。

民法が夫をして妻の財産を管理させるのは、夫婦共同生活の平和を維持するとともに、妻の財産の保護を目的とするものであることは疑い入れぬことである。
だが、本件のように夫婦生活が破綻を生じた事情において、妻が形見の品、かつ日常生活に必要な品々の返却などを請求することに対し、夫がそれを拒絶することは、法に規定されている権利の濫用と言わねばならず、夫としての管理ばかり主張するのは、明らかに妻を苦しめる目的をもってのことにほかならない。

おおおおおお!

2週目は、「法律とは私たちが守らなきゃいけない規則」と言っていた寅子が、それだけではない「法律の別の側面」を知って、「その別の側面こそが女性を、権利を奪われた人々を救いうる」ことを学ぶというテーマもあったのかあ……。

もうなんか複層的で物語構造としてもすごすぎるよねトラつば……しゅき!!

耳タコ目タコかもしれないけど沙莉寅子礼賛

判決を聞いた寅子は笑顔で涙ぐみます。
ここでも涙がにじむ前にお鼻が赤くなるの本当にリアルでかわいい!!!
こっちの鼻の奥までツーンとしてくる。

自分が泣くときに鼻も目も赤くなるの恥ずかしいけど、沙莉寅子は本当にそれを余すところなく公に表現していて、そこがとても魅力的。

寅子を表現するのに、伊藤沙莉さんは、その小柄さや声の低さなどの身体性すべてをもって、これ以上ない役者さんだと思う。
沙莉さんがちょうどいい年齢の時に、吉田恵里香さんの脚本と、この朝ドラの企画があって、それが合致した奇跡に感謝しかない。

それでも怒るよねさん

さて、この判決を純粋に喜ぶ皆に対し、よねさんは一人「甘すぎる」と怒りをあらわにします(厳密には、穂高先生が語った「まとめ」に対して)。
「着物は戻ってきても、夫が妻にした仕打ちに対しての罰はなく、夫は償うことなく反省もしない、また別の女に同じことを繰り返すだけだろう」というのです。

よね「本来法律は、力を持たないあたしたちがああいうクズをぶん殴ることができる唯一の武器。そうであるはずなのに……」

この厳しい追及をはぐらかし、緊迫した状況をほっぽりだして、穂高は帰ってしまいます。
ある意味度胸がすげーな。
というか、結局この人も女性を一個の人格者として捉えていないということか。
いやしかし、この人なら相手が男子学生でもはぐらかすかも……?
いやいやそれよりも、男子学生はこういう質問を目上の先生に投げかけたりしないかも?

「考えが違おうが、ともに戦うの」

さて、このほっぽらかされたよねの疑問に寅子は、法を盾とか傘とか温かい毛布に例えて、「法律は弱い人を守るもの」だと思うと答えます。
そこで、「とことん考えが合わないな」、「考え方が合わないなら無理に一緒にいることはない」という雰囲気にみなが傾きます。

でもくらたは正直、矛と盾、それほど違うとも思わないけどな……。
よねと寅子のコミュニケーションの表出のしかたはかなり異なりますけれど、世間一般と彼女たちの違いにくらべれば、寅子とよねの違いなど、ポテトのなかでフレーバーパウダーどれにするかくらいの違いな気がします。

なんてくらたが疑問をさしはさむまでもなく、そこは我らが寅子、こう言い放ちます。

わたしたちは、明律大学女子部の学生でしょ?
女のくせに……一個の人格者として認められていない女のくせに、法律を学んでいる。
地獄の道をいく同志よ。
考えが違おうが、ともに学び、ともに戦うの。

それな。

わが心の師・内田樹氏は、「民主主義社会の政治家は自分と政治的意見が異なる市民の権利も守るのが仕事」(大意)とおっしゃっています。
「嫌なら日本から出てけ」的な考え方にはっきりとNOを言う寅子。
アツイ。

記念すべき初「アホか!」

さらに寅子はぬけぬけと続けます。

わたしよねさんのこと、わりと好きよ?
勉強熱心だし、ハッキリ物事を言うところはわたしに似ているし、男装姿は似合っているし、何より、知らない誰かのために、涙して憤慨するあなたは、とっても素敵!

そうそう、寅子とよねは似てるよね。
似ているもの同士が表向き仲良しこよしになるとは限りませんが……。

不意を突かれたよねさんの照れ隠しの「アホか!」、とってもかわいかったー!こういう役ってなかなかないから、難しいと思うのだけれど、土居志央梨さんもとっても魅力的。

寅子 vs よね 第一回戦は寅子の完全勝利。
寅子って『天使なんかじゃない』の翠ちゃんみもありますよね。

『天使なんかじゃない』(矢沢あい/集英社)2巻より。

こうやって言い切れる人には誰もかなわない。
翠は元気主人公タイプ、マミリンはクールで愛想のない秀才タイプ。
ああああ、『天ない』名作だなー。また読も。
時間いくらあっても足りない。

のらりくらりフィクサー穂高

さて。
この一部始終を陰から見ている桂場と、「けんのんけんのん」とでも言いたげな穂高。まったくどっちが味方なのだか……。

しかしそのあと、フィクサーとしての穂高先生の計算高さが垣間見える大人の会話が描かれます。

桂場
「田中裁判長も思い切ったことをしたものだ。どこまでが先生の思惑?」
穂高
「わたしはただ、学生たちを引率しただけ。」
「あれが当たり前にならなきゃいかん。」

キャラクターが、善人・悪人と簡単に割り切れないのが、物語に奥行きを出しています。
実際の人間も多面的で複雑ですよね。

徐々に見え始めるえぐい現実

まだまだ地獄の一丁目

希望の持てる判決とは裏腹に、この週の最後は非常に暗い終わり方をします。

(ナレーション)
寅子はまだわかっていませんでした。
自分がいかに恵まれた場所で生まれ育ったのか

判決を受けてニンマリの寅子が家に帰ると、そこには母はると兄嫁花江の嫁姑関係にひそかに暗雲が立ち込めています。

花江が味見を頼むと、はるは「悪くない。でもお砂糖もう少し」。
お鍋に向かって笑顔が消えて悲しそうな顔になる花江。
花江ちゃんいつから?
いつから笑顔の陰でこうしてひとりで我慢していたのだろう。

でも寅子はこの時点では気が付いていません。

今日でもまだまだ残る、女性の性被害

よねさんが生きる地獄の世界線は、今も存在する

一方、荒廃した上野歓楽街をあるく男装のよね。
ガラの悪いおっさんに無遠慮に「姉ちゃん女かい」「女のくせに妙な格好しやがって」などと声をかけられ絡まれます。

こういう事態は今でもあります。
くらたが愛読しているレズビアンカップルのインスタにも、女性同士で手をつないで歩いていたら、おじさんに「女同士で手なんかつなぎやがって」と因縁をつけられて身の危険を感じたというエピソードがありました。
別の女性インスタグラマーは、タクシーの運転手に「かわいいね!女の子だけで遊んでも面白くないでしょ、連絡先教えてよ」と言われて身の危険を感じたそうです。
また、「ぶつかりおじさん」という言葉があります。気の弱そうな女性をねらってわざと強くぶつかってくる男性(おじさんだけでなく、若い男性もいます)が、それだけたくさんいるということです。

高校時代、塾の小柄な友達(ハーマイオニー似)は、もう通学電車内の痴漢には慣れっこ、と言っていました。
なんで16、7歳の女の子がそんなもんに慣れないといけないのか。

くらたも小さい頃なんども痴漢にあったし、大人になってからも向こうからやってきた自転車のジジイにすれ違いざまに卑猥な言葉をかけられたこともあります。
こういうとき、なんて言われたか具体的な言葉って書けないものですね。
自分に向けて放たれた卑しい言葉を自分の口なり文章なりで再現するのは、自分が人間として扱われなかった経験を言語化するのは、辛い。

「俺に言われても……」に物申す

こういう話や性被害に関する話のときに、「そういうのは一部の悪い男性で、多くの悪くない男性を一緒くたにするな」群が必ず登場します。
そんなに多くない元恋人のほとんどにも、「一緒くたにするな」「俺に言われても」と言われました。

わたしも、そして多くの女性も同じだと思いますが、もちろん男性全員が悪い人だとは思っていないし、「悪くない男性」に男性を代表して謝ってほしいとも思っていない。
でもその「俺関係ない」の他人事ヅラにはモヤモヤしてきた、と言いますか……。

けれど、あえて言語化するなら、「一部の悪い男性」は「多くの悪くない男性」に擬態して近づいてきます。外形上両者に違いがない中で、女性があまねく全方位的に警戒する方策を取るのは、論理的に必然です。
そんなことしたくはないんだけど、構造的に「男性全体をひとくくりにして警戒」せざるを得ない、そういう、ある意味悲しい状況に思いをはせてもらえたらな、と思うのでした。

しかし、当時の恋人が、犯罪男に性的な視線で見られて人間として扱われない目に遭ってるのに、急に共感も哀感も放り投げて、恋人という立場よりも男性代表みたいな立場で、疑われて名誉を傷つけられたと憤慨するあの現象は、なんだったんだろうか(←単にくらたがダメンズウォーカー説もある)。

体格差……「相手の胸先三寸で自分は死ぬ」という状態

ジェーンスー姐さんと中野信子さんが対談本『女に生まれてモヤってる』の中で男女の体格差について語っていました。
何を当たり前な、と思ったのですが、改めて実感することがあったので書きます。

くらたが担当してもらっている整体の先生は小柄な女性ですが、整体前後の筋肉ほぐしは若手のがっちりした男性が担当することがほとんどです。
性暴力とは関係なくても、男性の重さと力の強さに、「この人がそうしようと思ったら私は死ぬんだな」と、改めて感じました。
言うなれば、戸愚呂弟の前に立った玄海、と言ったところでしょうか。
若き頃の戸愚呂は幻海を殺す気などなかったでしょう。けれど、戸愚呂さえその気になれば、幻海は簡単に殺されてしまうのです。

かの男性整体師さんをはじめとする多くの自分より力のある男性たちが、戸愚呂弟のように攻撃してくるとは、もちろん思っていません。

ただ、彼我の純粋な力の差を感じ取るといいますか。

わたしより小柄な女性の整体師さんがどれだけ的確な位置に重さや力をこめても、「ぎゃあああそこめっちゃ痛い!」ということはあってもそれで、死ぬんだな、という感じはしない。

男性は、自分よりずっと身体の大きな、絶対にかなわないプロレスラーや相撲取りに相対したところを想像してもらうと、ちょうど同じ感覚を得られるのではないでしょうか。
戸愚呂後々とかスーパーササダンゴマシンさんとか大の里関とか。
彼らがこちらに攻撃してくることは絶対にないと思えるが、力で絶対にかなわない相手。

体格が不利すなわち「相手の胸先三寸で自分は死ぬ」事実とともに在るということは、根っこのところの恐怖と呼んでも遠くない。
身体が小さく筋肉量が少ないほど、生きている時間の中でこの恐怖とともにある時間が長いと言うことになります。

『虎に翼』の寅子はとても小柄です。
そしてこの作品でものちに、寅子がその賢さゆえに、チンピラに狙われて暴力を振るわれそうになる場面があります。
若き寅子は暴力に屈しなかったけど、間違いなく、暴力は怖いです。
体格差や力の差も、同じように怖いです。

しかし、弱者側がこれを振りかざし悪用する事例を描き切ったのは、ディズニーの『ズートピア』でありました。
ああ、あれも名作であった。
キツネのニックの子どもの頃のエピソードは絵面もショッキングで大変胸の痛いものでした。
あの作品は、その提案しようとする世界のあり方の塩梅がとてもよかった。

うーん中途半端に散らかってしまった。
でも世の中の大抵のことは「程度の問題」だと最近思うのですけれど、本質的なところは忘れないままでいい塩梅を探り続けること、中腰で耐え続けること、考え続けることが大事な気がしています。

これについても、また何か考えることがあったら書きます。

種々の地獄……「痛快学園ドラマでは済まさない」という決意表明

話をトラつばに戻します。
ここから、種々の地獄が描かれます。

女中が男性客を性的に接待するカフェで「ボーイ」として働くよねさん。

超豪壮な洋館の窓から外を眺める籠の鳥状態の涼子は、わずかに日に焼けたくらいで「ご自分の値打ちを下げてはだめよ」と飲んだくれクソ毒母に言われます。
この毒母の存在もとても象徴的です。身分と金さえあれば、アルコール依存の機能不全毒母であっても、「華族様」としてかしずかれる社会を象徴しています。

おおお、次週に向けてすっごく不穏!
重そう……。

わずかな希望が見えてしまうと、そこに期待して戦いを放棄することができなくなることってありますよね。

そうして人はカサンドラになってゆく……。
でも人が生きるってそんなものなのかも。

あの、やりきれないかんじを思い出す、週の終わりでした。

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