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大学受験 〜「お前この成績で国立に行くのか?」と担任にどやされた高2の春〜

どうもぶっくんです。

少し生き物の話とは違う話をしたいと思います。

皆さんは得意な教科はありますか?

僕は数学と生物が得意でした(得意と言っても全然できない)。一方で英語社会国語が苦手で、特に国語なんていうのは本当にどうしようもありませんでした。

進路は生物学を学べる農学部か理学部に進学したいと考えていました。そして東京で人混みに揉まれ尽くし、東京を出たくてしょうがなかった私は地方の大学を志しました。しかし家庭が裕福なわけでもないので親からは地方へ行くなら「国立」への進学を条件として提示されました。レベル的にも国立の方が少人数で質の良い学問を学べると思った私は国立しか勝たん。と言い国立を志しました。

しかし現実はあまりに厳しく三者面談で模試の成績を見た担任には「お前この成績で国立に行くのか?、無理だぞこれは。」と言われました。「先生、でも僕は国立へ行きます。」とキャッチボールになっていないような返答をした気がします。そりゃそうです。無理もありません。だってこの時国語→偏差値37、社会→45こんなレベルでした。理数系で点を稼げばなんとかなると思っていましたが理数も突出してできるわけではなく、はっきり言って論外でしたw。

自分のレベルでいける範囲で大学を探し、最低でも大好きな両生類や爬虫類がいる沖縄、琉球大学にはいけるよう勉強しました。琉球大学の理学部は高3の時マーク模試でC判定くらいは出ていました。いける、センターを突破すれば、そう思っていました。センター試験本番、どうしても国立、東京を出たい思いが強かった私はまさかの過去最低点を叩き出し、センターリサーチ全てE判定、しかも下位寄りの結果でした。私立大学もずっとB判定くらい出ていた大学も何回か受けましたが落ちました。

浪人は絶対にしたくなかった、けどよくわからん大学しか受からなかった。高卒で大学に関しては何もわからない母には「良いんじゃない?ここでも」と言われた。けど地方での暮らし、東京をどうしても出たい思いが勝り、まさかの浪人を選択しました。

浪人はそれはそれは精神的にキツく地獄のような生活でした。通った予備校への道のりは高校の通学よりも混む電車、友達もいない、成績も全然伸びませんでした。けどそんな自分を駆り立ててくれたのはやはり生き物でした。当時はイモリを飼育していて生物学をいい環境、地方で学びたい!という気持ちでなんとか浪人をやりきり、いわゆる中堅国立大学へ進学を決めました。

周りから見ればそんなに高くないレベルの大学かもしれないし就活がめちゃくちゃいいような大学ではないでしょう(まあ最初から水族館で働きたいと思っていたからあんまり学歴とかは気にしてませんでしたがw)。でもそこで浪人という選択肢が進路や人との出会い、全てを繋げてくれて、何よりも最高の大学生活が送れたのが大きな宝だと思います。

それ以降は何事もとりあえずやってみる精神が根付いた気がします。諦めなければ結果はついてくる、大学院の恩師から全然違う話でですが言われた言葉、今いろいろ振り返るとなんとなくその意味がわかるような気がします。


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