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【読書】 慰安婦性奴隷説を ラムザイヤー教授が完全論破 その1

出版情報

学問の自由の勝利

本書の構成

 本書は著者 マーク・ラムザイヤーによる4つの論文と、突如キャンセル・カルチャーの渦に巻き込まれた著者の体験記とその背景<プロローグ>ととして掲載した5部構成となっている。
本記事ではプロローグ部分と第1論文について扱う。第2論文以降は本記事以降の記事で扱うこととする。

プロローグ 「ラムザイヤー論文」騒動とその背景
 ――日本語版論集の発刊に寄せて(2023年)
第1論文 戦前日本の年季奉公契約による売春制度
 ――性産業における「信用できるコミットメント」(1991年)
第2論文 慰安婦たちと教授たち(2019年)
第3論文 太平洋戦争における性サービスの契約(2020年)
第4論文 太平洋戦争における性サービスの契約――批判者への回答(2022年)

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 はじめに 本書の構成 p3-p4

日本語を読み書きできるハーバード大教授

 著者 マーク・ラムザイヤーは、0〜18歳まで日本で過ごした知日派であり親日派。日本語を自由に読み書きし、2018年には旭日中綬章を受章した。ビデオを見ればわかるが、流暢な日本語を話す。専門は法と経済学。
 宣教師の父の仕事の関係で生後6ヶ月で船にて太平洋を渡り来日。小学校卒業まで宮崎の地元の学校に通う。中高は東京の米国の学校で教育を受ける。大学入学時に米国に帰国。以降、バーバード大学ロースクールを優秀者として卒業し、東京大学にも留学。1998年からハーバード大学ロースクール教授p415として奉職。
 本書の二人の編者(藤岡信勝、山本優美子)はラムザイヤーについて、

 日本に愛着をもつ穏やかな感性と、西欧が研ぎ澄ましてきた論理を駆使する鋭い知性を併せ持ったラムザイヤー教授は、二つの世界を結びつける伝道者の役割を果たしておられるのではないかと思う。そういう先生がハーバードにおられたということは、日本にとって奇跡ともいうべき僥倖ぎょうこうである。昭和の日本と宮崎が育んでくれていた至宝である。

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 はじめに 二つの世界をつなぐ p11-p12

と、述べている。

学問の自由vsイデオロギー

 慰安婦問題は1986年 吉田清治の朝日新聞でのでっちあげ記事に端を発し、1991年8月にキム・学順ハクスンが韓国人元慰安婦として名乗り出た時からはっきりと政治問題化したp8。
 ラムザイヤーは慰安婦が問題化するその前から、日本の戦前の芸娼妓の年季奉公契約について法経済学者として研究論文を発表していたp8-p9。これが本書に収められている第1論文だ。
 慰安婦問題とラムザイヤーの研究は30年近くまったく別物として存在していたが(第1論文では一般的な芸娼妓を扱っていた)。ラムザイヤーが嵐のような攻撃にさらされることになったのは、第3論文が発表されたあとだったp9。この論文の要約を産経新聞が掲載すると、韓国を震源地とする攻撃が始まった。上ではキャンセル・カルチャーと書いたが、これは深刻な言論弾圧身体的脅迫を含む人権侵害といった異常とも呼べるものだったp4。「慰安婦は強制的に連行された」「慰安婦はまったく自由のない性奴隷であった」というイデオロギー以外の言論は認めない、という凝り固まり誤った信念に基づいていた。その背景には米大学の文系学部の学力低下と左傾化が存在する。例えば、ラムザイヤーの若い論敵の一人は、

 いつも私は、意識の高いキャンセル・カルチャーの大衆行動に参加することは容易で楽しいことだろうと思ってきた。それが、歴史史料の膨大な読破と分析を要するものだとは知らなかった…。

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p28

まったくもって情けない敵である。若いとはいえ40代の歴史学者が何をいうとるんじゃ、という感じの物言いである。これでは論破されて当然だろう。

 結局、この騒動は沈静化に向かうのであるが、それは第3論文を掲載している学術誌が圧力(署名活動やメール攻撃)に屈せず掲載を取り止めなかったことと、ラムザイヤーによる徹底した言論による反駁はんばくがあった。本書の帯にあるように文字通り「セオリーにはセオリーで」反駁したたかったのである。

 そしてそういうラムザイヤーを精神的に支援する一環として、本書の訳者5人が所属する国際歴史論戦研究所は、2021年に緊急シンポジウム「ラムザイヤー論文をめぐる国際歴史論争」を主催した。こうした活動のひとつひとつが、ラムザイヤーの力になったのであるp10。

 以下、本書の基礎となるゲーム理論と第1論文〜第3論文の骨子を概説する。ご興味のあるところまで飛んでください。特にゲームの理論については本当に概要なので興味のない方は読み飛ばしてください。本書の内容に強くご興味があれば直接本書に当たってください。日本人であれば、読んでおいて、損はありません


ゲームの理論

 本書にはゲームの理論について、ほとんど何も書いていない。「当然のこと」として背景に埋没している。そこで少しばかりゲームの理論について調べたので説明を試みる。

ゲームの理論とは

 ゲームの理論はコンピューターの黎明期の天才、フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンによる『ゲームの理論と経済行動』によって始まった。説明としては、下記が一番簡潔でわかりやすい。

ゲーム理論とは、社会や自然界で互いに関わり合う複数の主体がいる中での「意思決定の仕組み」を、数学的なモデルによって解明しようとする考え方だ。 1944年に出版された『ゲームの理論と経済行動』(ジョン・フォン・ノイマン、オスカー・モルゲンシュテルン共著)の中で初めて提唱された。

日経ビジネス:ゲーム理論とは? 人々の行動から政治経済にまで影響

 計算機科学コンピューターサイエンスは、その年代を見ても分かる通り、黎明期は第二次世界大戦真っ只中だった。暗号解読にも使われたが、それはまた別の天才のお話。フォン・ノイマンはその黎明期の天才中の天才だった。が、マンハッタン計画(言わずと知れた原爆開発計画。広島や長崎が大迷惑を被ったんだよ)に参加するなど、悪魔的と評されることもある。

ゲームの理論はミクロ経済学の主要分野として、現在も元気に活躍中だ。日経ビジネス内のまとめ記事では、買い占め騒動分析電波オークション自治体の保育所割り当てに応用されていることなどが紹介されている。

ナッシュ均衡

 ゲームの理論で、大切な概念の一つがナッシュ均衡(一定の状態にとどまることが誰にとっても望ましい状況)だ。

どのプレイヤーも(相手がその戦略を選んでいるならば)、それ以上利得を高くできない (他の戦略では利得が同じか低くなる)。

ナッシュ均衡(ざっくりした説明) - NABENAVI.net より

 ふたりでするジャンケンはナッシュ均衡を持たない。例えば相手がグーを出すと自分はパーを出すと勝つことができるが(利得を得られるが)、そうすると、相手はチョキを出そうとする(グーという手にはとどまらない)。
 手を(戦略を)、具体的に出すグー、チョキ、パーではなく、それらを出す確率に変更すると、均等にランダムに手を出すことがナッシュ均衡となる。
 こんなふうにゲームの理論では、「何をどうモデル化するか」=「どういうゲームであると見立てるのか」がとても大事になる。

 ナッシュ均衡を提案したジョン・ナッシュは、1994年にノーベル経済学賞を受賞しているが、彼にもドラマがあり映画になっている。

信頼できるコミットメント

 情報が十分にない場合、相手に自分の言説を信じてもらう必要がある。

プレイヤーが自身の選択肢を意図的に狭めることを通じて、約束を破った場合に自身がより不利になる状況を意図的に作り出し、約束に信憑性を持たようとする行動コミットメントと呼びます。コミットメントは信憑性のない脅しを信憑性のある脅しへ転化させます。

コミットメント問題とコミットメントデバイス WIIS より

 このため、後で説明するが、売春斡旋業者は破格の前払金を払い(これを借金と呼んだ)、自分の言説に信憑性を持たせている。日本の近代法では(戦前の法律では)、たとえ売春婦が十分に働かず、借金を返せなかったとしても、契約上の一定の年月(たいてい6年程度)が過ぎれば、借金から解放された。なんというフェアな契約だ!

年季ねんき奉公ぼうこうという雇用形態

 さて、ではいよいよ本書の内容に入っていこう。ラムザイヤー博士は1991年に発表した第一論文を次のような日本の童謡ではじめている。

かって うれしい
花いちもんめ
まけて くやしい
花いちもんめ

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p50

 ある程度以上の年齢の人々は、特に女性は、向かい合わせに並んで進んだり引っ込んだりしながら遊んだ思い出があるのではないだろうか?
「かって」には「買って」と「勝って」が、「花」には文字通りの「花」と「少女」がかけ合わさっている。歌って遊んでいる子ども時代には気がつかなかったが、この歌は子どもの売り買いや売春宿での様子を彷彿とさせるものでもある。いや、はっきりとではなくても、具体的にどういうことなのかではなくても、うっすらとどこかでわかっていたような気もする。

 前近代の日本の農家には子供を売る親もいたが、娘を売春宿に年季奉公に出す親もいたといわれている。同時に、多数の女性がみずから進んで売春婦になるための契約を結び、しかもそれは長期の雇用契約であるという場合があった。

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p52

苦界くがい。売春産業を表す言葉だ。苦界に身を沈める。売春産業に従事せざるを得なくなった女性の境遇を表す言葉だ。できればそんな境遇に陥りたくない。女性であれば、誰しもそう思うだろう。だが、そこに大金が絡むとしたら?苦界に身を落とさざるを得なかった女性たち、あるいは、年季奉公に出さざるを得なかった女性の家族たち、親たちはただ苦しめられるだけの犠牲者ではなく、十分に理性的に判断した上でのことだったとしたら?年季奉公が開けた後、親元に戻り幸せな結婚をした人々も少なからずいた、としたら?

 ラムザイヤーは、この長期的な雇用契約、つまり『年季ねんき奉公ぼうこう』にフォーカスして論考している。

 では『年季奉公』とは具体的にどういうものなのだろうか?下記にその定義である。

年切奉公ともいう。一定年限の間,住込み奉公すること。中世の日本では人身永代売買が広く行われていたが,江戸時代に入って幕府が永代売買を厳禁したため中世的な下人奉公は少くなり,期限付き売買としての年季奉公が一般的となった。さらに給金前借形式の年季奉公とか,職業習得のために一定期間主家に働く徒弟奉公などの形態も多くみられた。

年季奉公 コトバンク より

ラムザイヤー教授日本の近代の法律とその実態を精査して、性的サービスのために年季奉公に応じる女性たちならびにその親権者たち(多くの場合、その両親たち)は、決して悪徳業者に騙されたり搾取される性奴隷のような存在であったり、あるいは我が子を奴隷として売り払うような親ではなかったこと(もちろん一部にはそういう輩も存在したであろうが)、慰安婦(軍と行動を共にした売春婦)も日本国内と同様の法律が適応されており、その契約も前払金が多くなり、契約年限が短縮されていることを除けば、ほぼ同内容のものであることを説明している。
 また、当時は日本国内であった朝鮮半島における慰安婦やその募集に関しても調査し、日本国内と同様の契約がなされていたものとみなせると述べている。もちろん強制連行や性奴隷にしたということは考えられない、としている。

 本書を読んだ結論からいうと、前払いの年季奉公はある程度理にかなった働き方であった。ヨーロッパから米国にやってきた人々も多くは年季奉公で働きにきた人々だった。人身売買を誘発するという理由で禁じられたのだが。現在の、たとえば米国における不法入国者の実態を知るにつれ、どちらが人道的かわからなくなる…。あるいは日本の海外からくる労働者たちは、前払金を払ってもらうどころか、自ら払ってやってくる…。その実態と比較すると果たしてどちらが…と思えてくる…。

戦前日本の年季奉公契約による売春制度

第一論文の問題設定

 ラムザイヤーは第一論文で扱う素材と問題を下記のように設定した。

年季奉公による売春についての合意という形式がどのように活用されたのかという問題である。この形式の取引においては、売春婦は彼女が将来稼ぐであろう金額のなかのかなり大きな部分を前払いされ、それと引き換えに売春宿で5〜6年(several years)働くことに合意するのである。売春婦と買春業者の間のこうした年季奉公契約は、さまざまな社会で見られるものであるが、私は日本のデータを用いて、なぜこれが可能になるのかという問いに答えを与えたいと思う。

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p52

 つまり、「日本の、特に戦前の売春産業のデータを用いて」「年季奉公という契約に、なぜ合意できたのか」というナゾを本論文で解き明かそう、というのである。
 では、なぜ「日本の、特に戦前の売春産業のデータを用い」ることにしたのか?それは、戦前の日本では売春産業は規制産業であり「政府の公式記録と民間の研究の実証的な記録が山のようにある」p52からである。

【第一論文の副次的な問題設定】

 合わせてラムザイヤーは以下のような仮説を検討する(➡︎以下は検討結果である)。

  【年季奉公について社会的に流布している言説の真偽】

  • 売春業者や斡旋者は、年季奉公をすり替えて、債務奴隷に陥らせたのか?

    • つまり借金を意図的に増やして売春宿に縛り付けたのか?

      • ➡︎ そういう証拠は見つけることができなかった。むしろ多くの売春婦は契約期間よりもずっと早く借金を完済し、早期に廃業した

  • 売春業者や斡旋者は、この雇用形態で売春婦を支配することができた。

    • ➡︎ 支配ではなく売春婦が「協力したくなる」雇用形態であった。

  • この雇用形態では、困窮した農民に信用を供与した(言い換えれば借金を可能にした)。

    • ➡︎ 実質的に売春業者は無担保で前借金を行なっているも同然であり、信用を供与したとは言い難い。もし信用供与的な機能があったとしても、契約に合意した理由のほんの一部でしかない。

  【売春における年季奉公の効用】

  • この雇用形態によって、売春婦候補の女性たちは、将来の自分の稼ぎについての売春業者の言い分を信頼することができた。

  • この雇用契約が破綻した場合、裁判になり得る。その場合のコストを売春業者側が負担することになった。

第一論文の限界

 ラムザイヤーは学者として第一論文の限界範囲を述べているが、特に特筆すべきものは、下記のものと思われるので、ここでも記載しておく。

  • 売春実態の同時代の生々しい記述は、意図的に無視した。それらは、主に社会改革派のジャーナリスト、廃娼論者、廃娼論者に救い出された元娼婦によって説明されたもので、もっとも不満を抱いていたものたちだ。一方、大過なく年季を終えたものたちは、著作、論文、日記すら書いていない。偏りがあることが明白だからだ。

売春業界の職種

 大人のみなさんは十分にご存じのことであろうが、戦前の売春業界は主に以下のように分類することができるp66。下記はいずれもp67より。

  • 芸者:唄、踊り、三味線、機知に富む会話などの広範囲な訓練を受けた。建前としては売春は禁じられていたが、実際には行っていた。

  • 公娼:質の高い合法的な性的サービス。定期的な性病検査。

  • 私娼:非合法な性的サービス。警察に踏み込まれることを客も私娼も恐れていた。

 ざっくりとした年収比較は、1934年(昭和9)で、芸者575円、公娼884円、酌婦(私娼の一種)518円、女給(私娼の一種)210円、他の職種(売春ではない職業)130円であった(いずれも部屋と食事込み)p65。他の資料では女工と公娼の賃金比は1:1.6程度なのでp64、データによるばらつきが大きいようだ(p65では子守りもデータに入っているようだ)。
 公娼への応募者の6割ほどしか、その職に就けなかったというp65。つまり公娼になりたい女性は一定数以上いた、ということ。これって女性の私がいうのに少しばかり抵抗があるけれど、器量よしさんは公娼に、そうでない人は私娼にって側面もあったに違いない。切ないなぁ。
 私娼といえば、玉ノ井の迷路のような娼館。私はもちろん知らないので、漫画家 滝田ゆうの漫画で往時を偲ぶばかりだ。

売春業界における年季奉公

 公娼の年季奉公は最長6年。法律により18歳以上での契約となる。たくさん稼げば、早期に退職する権利を有した。1920年代半ばで前渡金は1200円ほどだったp83。 
 公娼の給料計算(玉割ぎょくわりという)は、ざっとp84、
〔総売り上げ100%〕ー〔業者の手数料70%〕=〔公娼の取り分30%〕
〔公娼の取り分30%〕ー〔前渡金の返済18%〕=〔公娼の手取り12%〕

 公娼の標準的な契約では、売春婦は前渡金を返済するか、最長契約期間を勤め上げるかのどちらかによって、契約を終わらせることができた。期間満了以前に返済してしまえば、娼婦を辞めることができたのだ。

1925(大正14)年、東京では認可を受けた5159軒の娼館に374万人の客が訪れた。飲食代を除いた消費額は1110万円。娼婦の取り分は31%の340万円で、一人当たりでは655円だった。上記の取り決め通りであればこのうち60%(約400円)を前借金の返済に、残り255円が純粋に娼婦の収入になった。最初に平均的な前借金である1200円借りた場合、1200円÷400円=3年で、借金を返し終えた年収255円は当時としては悪くない収入だった。食と住は保証されていたし、若い産業労働者の年収は食住が支給であれば24円程度、支給されない場合は360円程度であった。現在で言えば、他の人がOLで年収360万円のところ、現代ではいないけれど、もし公娼がいるとして、前払金1200万円もらって、寝るところと食べるところの心配がなく、255万円がまるまるお小遣いになる3年間を過ごすとすれば、悪くないのではないだろうか?どうだろう?衣装代、エステ、コスメに贅沢すれば消えてなくなってしまうが、ケチケチ過ごせば、3年間で500万ぐらい貯める人もいるかも。うんと頑張れば前払金と合わせて3年間で2000万も夢じゃないかも⁉︎(いや売春という労働そのものがそもそもイヤな人が多いのだが…)(それに売春宿で働いた経歴もバレてしまうのであればやっぱりイヤだよね…)(現代の女性なら前払金1億かなぁ)(とんでもない、今は1ヶ月で600万円だって。でもヤク中の客に首絞められることも!?んで、ホストに注ぎ込むんだって、ダメだヨォ)。

実際に売春婦が務めた年数と追借金

 ドラマなどでよく見かけるのは、明治や大正期の娼婦が、追加の借金を背負わされて、売春宿に縛り付けられる(こういう状態の甚だしいものを債務奴隷という)というものだ。ラムザイヤーが本論文を書いた1991年当時は研究者でもそのように考える人々がいたようだp87。

 実際、1925(大正14)年の時点で、東京の5000人ほどの公娼の92%は、最初の前借金以外に業者に対していくらかの追借金があった。しかし、娼婦の37%は追借金が200円未満で、200円から400円の追借金は19%に過ぎなかった。娼婦たちが最初に借りたのは約1200円だったということを思い出していただきたい。たかがその3分の1以上の借金を抱えていたのは半数、1000円以上の追加の借金を抱えていたのはわずか5%に過ぎなかった。

慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p87

 そして、働いた期間が長くなるほど、追借金は減っている。上記の東京の公娼5000人の調査では、契約1年目の売春婦では1484人に若干の追借金があった。3年目では703人、6年目では84人にすぎないp88。つまり仕事に慣れるに従って、順調に借金を返していっている、ということだ。大半は当初の前借金とは別につい借金を借りたが、職歴の初期に借り、すぐ返済したp88。
 下記は東京の公娼の年齢分布である。この分布の傾向はあまり変遷はなかったようだ。つまり、30歳をすぎても公娼をし続けている人は多くなかった、ということである。

出典:副見喬雄『帝都における売淫の研究』
博文館(1928年)58-59頁
慰安婦性奴隷説をラムザイヤー教授が完全論破 p88

年季奉公という契約に、なぜ合意できたのか

 いよいよ、年季奉公という契約になぜ売春業者、売春婦(およびその家族たち)が合意できたのかについて、見ていこう。本書ではp92-p108に当たる部分である。本記事での説明では、大幅に、ゲームの理論に沿ったものにした。もちろん本書の説明は、それはそれでわかりやすい。なので、図を用いるのではなく、言葉による説明を好む方は、ぜひ本書にあたってください。

 年季奉公による契約の場合、プレイヤーは2人である。売春婦売春業者である。それぞれ用いることのできる戦略は、約束を守る、あるいは約束を守らない、である。下記は双方がそれぞれの戦略を実行したとき何が得られるかと、相手がどう行動するかを描いた図である(ゲームの理論の用語では利得行列)。

 約束を守る、とは契約の文言そのままを実行することである。
売春婦にとって契約を守らない、とは娼館にいながら客を取らないとか逃亡するとかである。売春業者にとって約束を守らない、とは契約期間を不当に延長するとか、だまして追借金を負わせるとか、業者の取り分を不当に多くするとかである。

両者ともに約束を守れば、契約の文言をそのまま実行し、売春婦は6年が契約期間ではあるものの平均的には3年ほどで借金を返し終える
 もし売春婦が約束を守りながら、売春業者が約束を守らないとすると、売春業者は収入は増えるものの、「あの業者は約束を守らない」という悪評判が立ち次回以降、売春婦として応募する女性はいなくなってしまうだろう。もちろん悪徳業者はいただろうが。売春婦の側は、廃業届を出し、すでに前借金の分を得ているので、追借金の無効を宣言すればよい。当時の日本の法律では(裁判の判決結果では)、身体的な自由がない状況での契約(追借金)は無効になることが多かった。また契約以上に身体的に拘束することも法的には認められなかったp69-p79。また公娼は比較的自由に廃業することができたようだp97。
 では逆に、売春業者が約束を守り売春婦が約束を守らないとしたら、どうだろう?その場合、売春婦は身体を自由を得られる前借金以上の収入は得られない。場合によっては訴訟を起こされ、前借金の返済義務だけは残ることになる(これについては司法の側に揺らぎがあるようだ)p69-p79。売春婦がどれほど儲かるかについては次回以降で見ていこう。海外で働く売春婦の中には高価な宝石などを買い、多額の貯金や、親元へ多額の送金を行う女性たちも存在した。仕事に励めば励むほど、前借金の返済が進み勤める期間は短くなるし、自分にとってプラスの収入も増えていく。そういう仕組みの中で、逃亡したり、サボタージュしたり、という人も、もちろんいただろうが、プラスアルファのインセンティブによって留まる人が多かったのではないだろうか?前借金を支払った上で、実際に働いてどれだけ収入を得ることができるのか実感してもらう。本書ではこれを「信頼できるコミットメント」という言葉で表現している。前借金を支払うことによって売春業者は自分の文言を「信頼できるコミットメント」として信じてもらおうと企図したのである。
双方が約束を守らないとしても、売春婦側は少なくとも前借金を得ている

 さて、こういう状況でのナッシュ均衡は上の表のどこになるだろうか?
売春業者側から見ると…
売春婦が約束を守っているとき、自分が約束を守るのが得か、約束を守らないのが得か、検討すると…約束を守る方が得である。なぜなら悪評判が立って次回以降応募する女性がいなくなってしまうからだ。
では売春婦が約束を守っていない場合は、自分は約束を守るのか、守らないのか、どちらが得だろう?それは自分の側は法律的に潔白にしておいて、訴訟をすることになるだろう。当時の日本の法律では、売春婦が逃げることは自由だが前借金については、その時々で返済義務が生じたり、生じなかったり、判決にも揺らぎがあったようだp69-p79。だから、売春業者としては常に約束を守ることが得なのだ。
 今度は売春婦側から見ると…
売春業者が約束を守っているとき、自分は約束を守るのが得か、守らないのが得か、検討すると、仕事がイヤでなければ、前借金以上の収入が得られ、契約期間が短くなる可能性のあるので、自分も約束を守る方が得だった。
売春業者が約束を守らなかった場合には、廃業届を出せばよい(勝手に逃げるのではなく司法を頼る)

というわけで、ナッシュ均衡は上の表の左上部分、双方約束を守ることが双方にとって得である、ということになる。

簡単なまとめとして

 ラムザイヤーは結論として、「『貧しくて教養もない農民たちが、意に反して年季奉公を結び、売春業者は売春婦を性の奴隷におとしめた』という物語は売春婦を正しく評価していない。彼女たちの知恵を過小評価している。ほとんどの売春業者は前借金によって売春婦を縛り付けておくことはできなかったし、売春婦は奴隷にはならなかった。かなりの高収入を得て、契約期間より早く廃業した」と述べているp110-p111。そして「前借金」という収入への保証がなければ、この業界へ入ることを躊躇したであろう、とp111-p112。

 まとめてみた疑問点として、それでは公娼から私娼に地滑り的に転身した人々はどれぐらいいたのだろう?私娼たちの運命は過酷ではなかったのだろうか?公娼を『卒業』した女性たちのその後は?ということが気になった。
 本書にあった註をよく読むと、公娼から私娼に転身した人々はあまり多くなかったという。それは若い方が好まれ、若い人々がどんどんこの業界に入ってくるので、年齢の上がった人はたとえ公娼というキャリアがあっても雇われる余地がなかったようだ。私娼たちの方がチンピラに脅される率は高かった。どれほどの過酷さかは、本書からはわからなかった。そういうことは本書の範囲外だから当然ではある。また公娼のその後の人生については、4割ほどが家族のもとに帰り、そのまた3割ほどが結婚した、と書いてあったように記憶しているが、ページを探せなかった。すみません。

 そういうわけで、また次回…。



引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。


おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。


ラムザイヤー博士は同和事業についても論文を書いていた!

 同和問題の闇について告発し続けている宮部龍彦氏が、ラムザイヤー博士の同和事業についての論文を紹介している。これももっと知られてよいことなのではないだろうか?

宮部氏:「筆者が注目した論文は2つある。1つは2017年9月に発表された“Outcaste Politics and Organized Crime in Japan: The Effect of Terminating Ethnic Subsides.(日本における同和対策と組織犯罪:同和事業終了の効果)”であり、もう1つは2019年4月に発表された“On the Invention of Identity Politics: The Buraku Outcastes in Japan. (作られた身分政策:日本の部落民)”である。原文は、リンク先から読むことができる。表題の日本語訳は、なるべく分かりやすいように意訳したものだが、すでにこの時点で、まず日本の研究者ではやれなさそうなものであることを感じるだろう」。

ラムザイヤー教授の著作

 たくさん本を出版しておられる!知らなかった…。


日経ビジネス内のゲームの理論関連記事まとめ

 どれも昨今の事象に関して興味深い紹介&考察記事が掲載されている。

ゲームの理論

フォン・ノイマンに対する評価

 いろいろある評価のうちのひとつ。

アラン・チューリング

 映画にもなっている。


ジョン・ナッシュを主人公にした映画

海外技能実習生たち…

米国における不法移民

米国における人身売買

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墨東奇譚

 玉ノ井の文学といえば…

現代のからゆきさん


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