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時をかけるゆとり

 キングオブ本を読まないだった私が本を読むようになったのは極最近のことなのだけれど、ダントツで好きな作家が朝井リョウだ。直近では「ままならないから私とあなた」を読了したところだが、今回は初めてエッセイを買ってみた。

 ▼「ままならないから私とあなた」の読書ログ

 
 正直、人の体験談を一方的に聞かされるのってビビり倒すほど面白くない。自己啓発本などはフムフムと考えながら(自分と会話しながら)読み進めることができるからまだマシで、気の知れた友人ならまだしも赤の他人のエッセイを読むなんて気が遠くなる。との懸念があり手を出したことはなかったのだけれど、朝井リョウなら或いは、という希望のもと、『時をかけるゆとり』に手を伸ばした。

 結論から端的に言うと一頁目から吹いた。四頁目を読み終わる頃には「時をかけるゆとりめちょすこ」という類の感想を様々な種類の言葉で8ツイートほどした。兎に角、クソワロタ。もう一度言うけどクソワロタ。赤の他人の体験談で、めちゃくちゃ笑った。それは私史上、衝撃的とも言える経験である。

 ◇◇

 朝井リョウのなにがそんなにいいのかと問われるとまず声を大にして言いたいのが、語彙力・表現力・そしてリズムが圧倒的に私好みなのだ。自由度の高い形容表現を自在に扱う天才なのだ。もしかするとこの感覚は彼と同じ『ゆとり世代』の私だからこそのものなのかもしれないけれど、日本語に正解はないんだゼということを暗に示してくれているような文章をお書きになる。こんなことを言ってしまうと愚弄しているように聞こえるかもしれないけれど、彼は最高に曖昧な日本語を絶妙に駆使していると思う。
 他の作家さんならきっと的確で美しい日本語を使って比喩するような場面で、素人でも書けてしまいそうな婉曲表現をしてみたり、「でーん!」なんて効果音に頼ってみたりしている。けれどその表現の数々は、逃げてるわけでも濁してるわけでもなく、『それ以外の表現ではまっこと形容し難いから書いた』に過ぎないということは、彼の作品をいくつか読んでみれば容易に理解できる。ちなみに、なぜ突然土佐弁を取り入れたのかは私にもよく分からないが恐らく夏バテだ。 

 ここで唐突に、特に唸った文章を引用させていただく。

 ちなみに、私はそのころ完全におのぼりさんであり調子に乗っていた。中二の時を思い出すと「ひゃっ」と顔を赤らめてしまうのは万国共通であるように思うが、私は大学一年生の時を思い出しても「ひゃっ」となる。将来ハゲるのを心待ちにしているとしか思えない柔らかい猫っ毛に、似合うはずもないパーマもあて、色は薄い顔が薄らバカに見えるような明るめの茶色。眉は細く、「昨日寝てないから逆に元気だよお」等と医学的に何の根拠もないことを吹聴して回っていた。今書いているだけで心臓をかきむしりたくなる。朝井・歩く恥部・リョウ。/モデル(ケース)体験をするより
 前回はなんかいい感じで話を締めくくってしまった。バカバカ。自分を貶めるふりをしてリア充をアピールするエピソードを振りかざすなんて、私の嫌いなタイプのツイッターユーザーと同じではないか。
 ということで今回はリア充アピールするふりをして自分を貶めてみようと思う。通常陥ってしまう逆のパターンだ。この果敢なチャレンジをほめたたえる準備を整えておいてほしい。/旅行を失敗する(その2)より

 先ほど、語彙力・表現力・そしてリズムが圧倒的に私好みだと述べたけれど、上記の引用でその“リズム”の部分が少しでも伝わるといいナ。ただこれは極々一部を引用したに過ぎないのであって、このレベル又はこれ以上の文章が絶え間なく私に襲いかかってくるから、私はこのエッセイをスタバで読んでしまったことを随分後悔したものだ。音楽を聴いているみたいにさらさらと流れていくことばの羅列の上から、トッピングにしては自己主張の強すぎる、散りばめられたセンスのいい自虐に脱帽せざるを得ない。
 自虐といえば、「自虐ネタってある程度の親密度がないと本気で引かれるんだな」と某アニメの主人公が言っていた。私と朝井リョウの親密度は限りなくゼロに近い(ゼロだ)のに自虐ネタにここまで心掴まれる所以はひとえに朝井リョウの文才だと言うべきか、それとも自虐ネタなのにこんなにも心惹かれてしまうのは逆説的にいうと私と朝井リョウの親密度が高いからだと言うべきか、答えは圧倒的に前者だ。

 ◇◇

 『時をかけるゆとり』を読んで切に感じたことは、人の“成功体験談”ってなにひとつとして面白くないよなあということ。バラエティ番組然り、漫才のボケ然り、人ってなんだかんだで、誰かの“失敗”に期待をしている生物なんじゃないかなと思う。だから“成功体験談”をする人は大抵、失敗や挫折の経験も織り交ぜてお話をされている筈だし、生まれた時から何事もないまま人生の勝者になりましたとさめでたしめでたしっていう話はまったくぜんぜん面白みに欠ける。
 その点、朝井リョウはハイスペックでありながらそのことを一切感じさせない、むしろちょっぴりお頭がお弱いのでは!?と思ってしまいそうになる体験談ばかりを綴っておられて、矛盾するようだけれどだからこそ頭の良さをひしひしと感じることができた。私にこの言葉を浴びせられても「誰が言ってんねん」と訝しむだけで喜ぶ人間なんてこの世には存在しないと思うのだけれど言いたい、彼はめちゃくちゃ頭が良い。

 エピソードの八割はハプニング(失敗含)体験談が殆ど、節々で自らを「馬顔」と卑下し、直木賞を受賞した際のイキったエッセイを掲載した後すぐ次の頁で「直木賞で浮かれていたら尻が爆発する」という調子に乗った自分に対する天罰エピソードを挟んでいて、なんというか、最初から最後まで全く鼻につかない。きっと彼は自分のことをどちゃどちゃに客観視できていて、まあそうでないと『何者』なんて作品は生まれないと思うのだけれど、兎に角『時をかけるゆとり』を読んでますます朝井リョウが好きになった。

 人にはそれぞれ好みがあるし、その都度その都度で求めているものが違うから、私はいくら自分が大好きでたまらないものがあっても、人にオススメ・強要などはしないよう心掛けている。私がいくらカフェオレが好きだからって、スポーツして汗をかいた友人に「ハイ!運動後はやっぱカフェオレだよね☆」と言ってカフェオレを差し出し友情に亀裂を走らせたりなどしないのと同じで、朝井リョウの本を是非読んで!とは言わない。私は朝井リョウが好きだよ!と今日も叫ぶだけである。ただ私がこうやって好きを詰めに詰め込んだ文章を書くことによって貴方が朝井リョウに少しでも興味を持っていただければとても嬉しいし貴方と好きを共有できればもっともっと嬉しいし、きっと戦争はなくなる。

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