GENJI REDISCOVERED 今日の源氏物語 「真木柱」
高校、大学の受験の頃、世間では「ユーミン」が流行っていました。
それまでの歌謡曲とは違う歌。自分の想いを自分で歌にする「シンガーソングライター」が歌う「ニューミュージック」という名前のそれは、カタカナでないと!という感じで、そう呼ばれはじめました。
都会の風、外国映画のような、東京・横浜?湘南辺り?のおしゃれな女性の恋愛模様の歌は、どこまでそのまま共感出来る…かよりは、耳から入って眼底あたりに憧れを膨らませての、時代や流行の先端の享受だったかと思います。
そんなユーミンの歌の中で、自分は、「季節」や「風景」=「情趣」を唄ったものに惹かれました。 『ベルベットイースター』
「ベルベーットイースター小雨の朝 光る雫窓にいいっぱい…」
当時は、漠然としか「外国」の(本物の)『イースター』を知らないのに、この歌の描く光景にやられてしまいました。
「イースター」とは「復活祭」と邦訳される、十字架に掛けられたキリストの死後三日目の復活の奇跡を崇める-教徒には重要な礼拝の日。
大学を卒業して、就職し、転職も。その仕事でいよいよ憧れていたアメリカとの行き来がはじまりました。有給休暇も費やして可能な限り長めに滞在。
本場?アメリカでのイースターは、その体験場所によって、いろいろに違いのある春の祝日でした。
「春分の後の最初の満月の次の日曜日」…と、ひと月ほど巾のある開催日。年によって同じ春のお祭りも、陽気が違っていました。
北東部の大自然の中でのイースター、ニューヨーク‐マンハッタンでのそれ、季節感のあまり無いロスアンゼルスでの復活祭、
催日に年毎の移動があり、西方教会と東方教会でまた日が違うイースター。敬虔なクリスチャンの信仰に基づく祭祀と、子どもが主役の-ウサギや玉子の出て来る春のお祭り、日本への翻訳-イベントとしての普及や定着は難しいなと思いました。
そのどれとも違うユーミンの「ベルベットイースター」は、やはり日本的な感傷に溢れた歌。 そうそれは『万葉集』に既に書きとどめられている
「春憂」「春愁」が歌全体に陰っていて、聖者の復活を「祝う」というよりは、思う人の復活を「願う」哀愁が滲んでいます。
ここでお話しは、『源氏物語』に。
「玉鬘十帖」と呼ばれる若いヒロイン玉鬘にまつわるお話は、光源氏の宮殿
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