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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』41

 はじめに…「40回」の始まりのシーン『藤壺』での『源氏の物語』読み聞きの会、読んでいたのは『若菜』(…だと思ってる。) なのに、敦康親王が藤式部に聞いたのは「藤壺は 光源氏のことをどう思っていたか?」って質問だった?…! 様で…。「録画」とか「オンデマンド」とかでの 再確認…出来てなくて…ですが、ネット 等々の(ご) 投稿見て、ソコにある 混乱…とか、ソコで触れられてない=スルーから、やっぱり…何か…ちょっと…おかしいのかな、ココでの「 敦康親王の 質問」。なんで「ここで」その話し…。 何「帖」前の記述の事を。今違うから…的な「挿入」がとにかく何か ややこしいです。
あえて「ココで」なのは、今週の「ドラマ」で何かに必要な理由か何かが…あるのでしょうか。、
「既に亡くなってる」藤壺の事…聞いてる…混乱…、ほっといて、行きます。(ほっといてない!文字数つかってしまってますが。)
 
瓜 を搔っ攫った 奴を追い 路地裏に入った カタコ、男らに囲まれたところを助けたのが 双寿丸 という武士見習い。足を挫いた 乙丸 を負ぶって カタコを送って来た。 に、藤式部-まひろ も帰宅。      の、つづき、 
乙丸 事の次第説明 要領得ない風 演出。 だが「礼」を言う母・まひろ。「困っている女を助けるのはあたりまえの事」と 双寿丸。イト さんは「もう来ないで。」「国司がオジいさまの「姫」だから。身分が違う。」って。
双寿丸 の「姫って面でない。」に、当人 笑う。「お腹へったらまたいらっしゃい。」と カタコ。双寿丸 を送り出す。
「母上は」帰宅の 理由聞かれ、「心がもたないから、帰宅。」と まひろ。「あのような者に優しいのね。」に カタコ 「助けてくれた人だし。」「あの様に言われて、よく怒らないで…。」「私にはよく怒っていたけど」に「母上以外には怒らないの」「怒ることは嫌い」と聞いて微笑む まひろ。そう『怒ることは嫌いだ』は、実の 父左大臣 道長 が サブロー の時に言ってたこと。
「タイトル」      演出  … あ! 
『藤壺』の庭 ナデシコ の花を摘む 敦成親王 を見ながら 彰子 が口ずさむ
「みるままに 露ぞこぼるる 遅れにし 心も知らぬ 撫子の花」  
「お歌初めて聞きました。」と言った式部に「亡き帝とお歌を交わしたかった。」「もっともっと語り、笑い、…、抱いて頂きたかった。」と 彰子。
母上 に 親王 ナデシコを持って来る。ナデシコ=撫子は「愛児」に掛かる。
「鐘」 よく「鐘の音」で「宮中」、「大極殿」とか「清涼殿」に画面切り替わるが、「寺の鐘」と「宮中」何の 関係性あるのだろう…。
三条帝、内裏 入りの次第の手配、公任 に依頼。「良いな?左大臣。」と。「日取りは 陰陽寮に出させております。」と 道長。
下った二人、「(新)帝は、自分を取り込んで、先の帝の 納言たちを 遠避けたいとお考えでは。」と任を嫌がっている 公任。「振り回されぬようにやってまいろう。」と 道長。
「宣下の日」、一条院の 四十九日 に重なるが、三条帝 は「かまわぬ」と→ 新帝 の時代に。「そなたらは朕を側で支えよ。」と、道長の兄・道綱、甥の 隆家、息子・教通 を近習に定める。左大臣 の縁者抜擢は「恩を売る」ため。頼通 の「なぜ弟を?」に道長「おまえは 東宮様の時に」と。
俊賢、お側仕えに入ろうと画策-お側の女房の取り込みでしくじる。
『高松邸』 明子 の息子たちから「私たちが公暁になるのはいつ?」「納得出来ません」と突き上げをくらう 道長。は、明子 の普段からのさしがね。 この家の ギクシャク、道長、居心地悪そ~。
寛弘8年8月11日に 帝 内裏入り。(「在位」記録は8年6月13日~)
『清凉殿』 「左大臣 朕の関白となって欲しい。」に 道長「身の上に今年重き慎みあり」と断る。 残念を装い 三条帝しめしめと「泣く泣く諦めるが その代わりに一つ願いを聞け。」と亡き大納言の 娍(スケ)子を 女御に。 「 妍(キヨ)子 も 女御 だ。ことわるでない。」と、三条帝、道長対策、用意周到。
『藤壺』局、式部、書いている。道長来て「まだ書いておるのか?」に「ずいぶんな仰り方。書けと仰ったのは、道長さま。」と言うが、一条帝 の気を 彰子 に向けさせて…という目的も、その 皇子を 東宮に。という思惑も完成させた 道長 には、既に「必要性」は無い。ましてや「創作」に目覚めて自分の好きで書いている 式部、その物語の影響が 現実世界にも影響しだしている…という現状に 道長の「まだ書くのか。」は 無理もない言葉。
『若菜 上・下』『柏木』くらいまで公開されてるのでしょう。「光と紫上はどうなるのだ」と問うた 道長に「紫 は死にました。」「だれも生き永らえることはできない定め。」「(辛い)人生を早めに終えた方が楽と思うことないですか。」と言う 式部。弟の死や、権力争い・人の浮沈等々を目の当たりに、疲れてる。 「今はまだ死ねぬ。」と 道長。
「道理を飛び超えて、敦成様 を 東宮 にされたのは、より強い力を持とうとされるから?→なにゆえ…」と尋ねる 式部 に「おまえとの約束を果たすためだ。」「やり方が強引だったが、恒に、おまえ との約束を胸に生きて来た。」「その事、おまえ にだけは伝わっておると思っておる。」 と言われたら…。黙るしかない まひろ式部。 あの時と同じ。その時の「情」だけでは生きていけない現実。を突かれて、嬉しさと、その実行の厳しさと(忘れてるのか?って…言われた様にも思えての。)生きて行くと言うこと。に 継ぐ言葉なし。 「言い訳にされても」という解釈もあるとのこと。……。  
「これからも 中宮さま支えてやってくれ。」道長、娘 への 父 の願い。
藤式部が書いているのは『幻』。
赤い「紅葉」きれい。  傷心の中宮・彰子を慰めようと「歌の会」
赤染衛門    知らせたい紅葉の美しさに共感する人が居てほしい。と  
「誰かには 告げにやるべき もみじ葉を 思ふばかりに 見む人もかな」
藤式部     何とではなく見ていた月の光が美しさに泪で曇った。と
「何ばかり 心づくしに 眺めねど 見しに暮れぬる 秋の月影」
和泉式部    秋の月の美しさに心の内の総てが映し出されそうで。と
「憂きことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ」 
女房 たちの反応に「恋をしているから…」と 頼通 を見る。
それぞれ「歌集」等から寄せて来た「歌」で、「歌会」(架空) が完成されていて、すごい。
衛門の歌は、亡き帝への中宮の思いも入っていて、式部が、その思いに泪して。和泉式部が上向きに切り替え。  
に、やって来た 清少納言。 頼通 が「内々の会、日をあらためよ。」と言うが、彰子中宮 が「『枕草子』の筆者に会ってみたい」と通させる。。
藤式部 は、ええって顔。 清少納言… その場の皆が「喪服」でないのが気に入らなかったか、のっけから「とんだお邪魔を…」という皮肉で、「 敦康 様からの届けもの。」と「椿餅」持参。「院 も 皇后さま もたいそうお好きで、今は 敦康様 も」と。「敦康さまはご息災か…」と尋ねる 中宮 にココぞとばかり「親王様 のことももう過ぎた事に。」「このようにお楽しみとは思いもよらぬ事、」と、きつい暴言投下。赤染衛門 のとりなしにも、「ここは私が歌を読みたい場所ではございません。」と言い切り「ご安心くださいませ。たとえ 中宮 様が 敦康親王 さまをお忘れになられても、私たちが付いているから大丈夫でございます。」と、中宮 に面と向かって言い放った。彰子 かわいそ。
その夜、式部 書く。「清少納言は、得意げな顔をした酷い方になってしまった」と、今に残る『紫式部日記』での 清少納言 ディスりを視覚ドラマ化。
「史実では」「会ったことも無い二人」が「交友を深め」たこの「ドラマ」で、どう『日記』の記述に終結させるか…が、見物だったのが、完結した感じ。
いくつか見た「配信」で、この「椿餅」が取り上げられていました。
「椿餅」の引き合いに泪累々とか、「椿餅」に込められた「深い意味」=「皮肉」とか言ってたり…ですが、『源氏物語』の登場する「菓子」で、今もほぼコレだろうと伝わる「椿餅(当時のものには、餡は入ってない!)」ながら『枕草子』には出てこない。また「一条帝の(幼少の頃からの)お好きなもの」というのもこのドラマの設定。それを 清少納言 が知っていて、としても、帝前で披露されたばかりの『若菜帖』が 入手できて読めていたら…「皮肉」の材料にもなるかも…な物。
とか、当の 清少納言。「歌の家」に生まれてはいるが、定子サロンでも極力「歌」を詠まないでいいように立ち回っていた。と 本人が『枕草子』に書いている。「ココでなくても、いたしません。」だった人 だったという事。
みなさんいろいろに翻弄されてしまう… 本当に「大石本」凄いですね。
「月」を見上げる 式部。(また、この月。仰ぐ角度50度辺りの「下弦の月」   
=)深夜すぎ…というか、ほぼ明け方の月である。60度で夜明け。 同じ月を 道長 も見ている。夫々、気持ちザワついて寝られなかったのでしょう。
中宮、敦康 を招く。喪服 で会見。 控える 藤式部も 喪の服。 
「御簾越しで、お顔見えません。つまりません。」と搔い潜って「御簾内」に入る。慌てて 行成 止めるが「光の君みたいな事はいたしません。」と。久々の対面。微笑む 中宮。 (『物語』の記述、実写で見られて良し。)
行成 の報告に「御簾を越えたのか!」と声を上げる 道長。「お二人だけにはしていません。お話になってお帰りに。」と説明するが「 敦康 を二度と宮中に入れるな。」と 左大臣。「お畏れながら、左大臣様は 敦康様から、多くの事奪いすぎでございます。」と 行成。「おまえは私に説教するのか?」に、「左大臣様がおかしくおわします。」「失礼」と下がる。 定子サロンの時から親王を見守って来た 行成。思慮の深さ、忠孝の深さは、ピカイチで。
『市井』カタコ と 乙丸、町通りで騎馬武者の列と出会う。列の尻に 双寿丸。「あれが 為賢 様だ。これから盗賊を捕まえに。」と。「済んだらまたウチに夕食においでなさい。」と カタコ。
『為時屋敷』 書籍・巻物干してる。 
に来た 双寿丸。カタコ「ほんとに来た」と笑う。イト さん空かさず「二度と来るなといったでしょう」と言うが。まひろも戻る。双寿丸 に「そなたも息災のようね。」と3人でご飯。
双寿丸、食べる食べる。
「書物がやたらとあるな。」と 双寿丸「読むなら貸してあげる」とカタコ。「俺は字が読めぬ。」と。「だが、名だけは書ける」とどこかで聞いた話に「足でかくの?」と まひろ。続けて「実は高貴な生まれではないの?」と突飛な問いに「母上、大丈夫かよ?」と 双寿丸。「今のは独り言。」と我に返る まひろ。「字を教えあげる。」という カタコに「字が読めぬ哀れな輩ではない。」「人には向き不向きがある」という話し。自分は武士で、文字より「みんなで闘うこと」を学ぶと「武者である事に誇り」を持っていて、「それぞれが得意なこと」「出来ることを役割とし」「互いに力を合わせて」と「殿様が言っていた。」等々、これは、新しい価値観、考え方。
「仲間をつくる」『仲間』の概念も貴族の閥…とは、なんか違って聞こえて。まひろ にも新鮮。 なのは「青春」しているからだろう。忘れていたあの頃…ってはなし。疑うことなく「一人より楽しいし、強くなるのが楽しい。」と語る 双寿丸 に「と、殿が言っていた?」と 茶化して まひろ。「おえまえの 母上 いちいち絡んでくるな。」に カタコも笑顔。若い二人を見守る 式部。 …も もう そういう年齢 なのだ。
一方『藤壺』で、「元服した 敦康 様と会うのはいかがかと。」と 道長。「なにを気にしておる?」と 彰子 中宮。「 敦成 さまと 敦良 さまをお慈しみくださいませ。」「今よりなお。」としか言えない 道長。  喪服の 中宮。
藤式部 に「父は、敦康 さまを弾き出そうとされておられるのだろうか。」と 彰子。「 中宮さまと 皇子さまのお幸せを願って…」というが、彰子 は「 左大臣 の意のままになりとうない。」と。 まひろ の 気付き。= 藤式部「ならば お仲間をお持ちになれば。」と 提案。
『藤壺』に、弟君 たちを集める。土御門 の2人と 高松殿 の2人の4人。「出来るかぎりのことをするゆえ、皆 の力を貸してほしい。」「われら 姉弟 手を携えて、父 をお諫め出来るのは子である 私たち だけ。」「よい政ためにも。」と心を寄せ合うことを提案の 中宮。弟君 たち も嬉しいだろう。
の 彰子 中宮、宮中から 土御門の『枇杷殿』へ移る。
代わって『藤壺』に住まい始めた 妹・妍子、義理の息子 敦明親王 を召して「狩り」の話を聞く。で妍子、そっと「御簾」を抜け出し 敦明 に「好き」と言い寄る。に、来合わせた母・娍子「そこまで!」と二人を留めて、敦明の仕業と「謝罪」の体。「帝 の 女御さまに!」と(息子に解らせる様)平謝り。「帝 には仰せにはならせませぬように伏してお願い」と。
『清涼殿』では 三条帝、道長 に「通任を参議に。」と。
「娍子の弟」故。交換で、空席になる蔵人頭に 顕信 を。」と。また恩を売ってくる。道長 固辞。
それを伝え聞いた 顕信「蔵人頭になりとうございました。」と言い出して、
母・明子 も「息子よりご自分が、」と「私の子ばかり損な役割」「帝との力争に巻きこんだ事赦しません。」とすごい剣幕で。
『比叡山』から「顕信さま、本日ご出家あせばした。」との知らせ。
記録では、道長が三条帝の恩着せを嫌って…以外に、この顕信はいくつかの問題・支障事がある人物だった。との事。 だが、ドラマは、競争心の塊・明子が「あなたが顕信を殺したのよ。」と詰め寄る。    で、次回に。

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