GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』26
安倍 晴明 の予言とおりの天災、日蝕と地震が同日に。 長徳4年9月30日とドラマでは。
(長徳4年) 998年の記録は、 10月3日、安倍吉昌が、9月26日の月食、10月1日の地震について天文密奏すると『権記』に。
(満月でないと起きないはずの月食が「二十六日」に…とか「月」蝕とか、ちょっと不思議。)
「日蝕」は(1日に起こると)予測されてた(だけの)ものなのかな。(天文学的にはなかった模様。)
長保元年の、3月7日、陰陽寮と神祇官が「富士山噴火についての吉凶占い」…というくらい…天変地異への畏れがあった年…みたい。
「ものがたりの祖」と呼ばれる『竹取物語』では、帝が、月に帰ってしまった竹取の姫が遺し置いて行った「不老不死の霊薬」を一番天に近い山の頂で焼かせた…煙…と、富士山の噴煙を説明している。 一条帝の頃も、富士山、煙立っていたのかな…。
自然災害の鎮まるのを願っての『大赦』も。
ドラマ、「日蝕」同日の地震の被害受けるも、宣隆からの援助で、邸宅修復。調度の「根古志形鏡台」とかも届く。
やって来た宣孝からは、贈り物-よく写る鏡。紫式部が自分の顔をココまではっきり見たのは初めて…だろうというお話し。『源氏物語』には ( 当時としては 珍しい)「身体観察」が書かれてある。=「衰え」とか「見た目」とか。
ドラマの まひろは、自分の顔、はっきり見ても「思ったとおり。」と。宣孝「もっと戯れよう。」とここではまだラブラブ。 で「タイトル」に。 今夜の演出は黛氏。
あ、「翌日、日蝕。」で終わった前回。まひろと宣孝の初夜だった…という事は、鏡を持って来た二日目、の翌日もちゃんと来て「三晩目の共に食す餅」の儀式=正式な「婚儀」行ったのでしょうね。
帝へ、晴明からの『天文密葬』は、天皇以外は読めない書類。
天災への対処等々「山城守につたえよ。」…宣孝さん担当者。
道長のこの事態「どうすればよいのか…」に晴明「帝のお迷いを糺せば、天地の乱れも収まる。(要約)」「正しきところにお戻しするには 彰子さまを 妃に。」と。
定子 溺愛の帝に、自分の娘を…なんて考えられない。政争の道具やら、複数の女御の一人にとか、受け入れられない道長に。晴明は「左大臣さまの姫君でなければ。」と。
道長は、彰子が「引っ込み思案で、言葉少な」でとても大役には向かないと思っている。
が、陰陽寮 の長の「宿命でございます。」の言葉は揺るがない。
(自ら 入内経験者…) 詮子が、悩む弟 道長に「いよいよその時。おまえも身を切れ。(血を流さずには 政はすすめられないよ)」と。
「されど 彰子は。」と父としてこの状況から逃げたい道長、( 自分だけ血を流さずにここまでよく来たということよ。) に「そのように見ておられたとは。」と。詮子「大好きな 弟ゆえ。」と。 …えらい家に生まれはったんやから。
土御門邸内、子どもたちと。
道長 長男 田鶴 =後の 頼通「父上、」と練習中の『迦陵頻』の舞の振りを見せる。「彰子は何をしておったのだ?」という 道長にも 無口な 彰子。( 詮子も居て見ている。)
道長 寝所、倫子に「相談がある。」と倫子は「珍しい。」「うれしい。」と。「嬉しい話ではない。」と二人が考えてもいなかった「彰子入内」の話し。倫子の反発…「幸せな姫などおらぬ、と仰って来たのに。定子と 娘を競わせるなど…」という 倫子に 道長は「勝ち負けではない。これは生け贄だ。」と。『イケニエ』。
「大石本」のこの 言葉撰び、またしても衝撃でした。流石さすがお見事です。
倫子は「不承知」「不承知」「相談ではごさいませんでしたね。」と。
の時の 倫子さん…(能面「金輪」みたいに…) 顔の下半分 赤い。いや 朱く見えた。「私を殺してから。」の気迫。
倫子、母 穆子は「入内が必ずしも不幸せとは決まってない。」と、さすが歳の功と先見の明、「お亡くなりとか、飽きられるとか、」と、元 左大臣の 妻であったいまの 左大臣の 妻の 母。
実資 中納言、は、新元号のように「長く保つ 左大臣様の世の中。姫が入内されたら、帝の運も上向く。」と ( ヨイショだったのかも…)(の後の「ないな」は? ) 。
子ども達 遊んでいる。姉への 田鶴・頼通の言い種に倫子「帝の妃になるような尊い姫なのてすよ。」と叱って、自らハッとする。
父の問い、話しに「仰せのままに。」としか答えない 彰子。「何もわからぬ 娘を…入内させられるのか。」と悩む 道長。
まひろの部屋、膝枕、くしゃみ。「風邪めされますよ。」に、目覚めた 宣孝「風邪などひかぬ。おまえとなら。」って…時の 宣隆の表情…微妙。何だろう。
宮中、落ち込む 一条帝「退位」を口にする。(さて、道長の指図あってか、無くても…か、)
行成「ご譲位されても、今のままでは。」「政に専念して名誉挽回」「円融院のお血筋を絶やさぬように」と 説得。
帝は「我が皇子は 中宮が。」と 定子推し。とにかくは「退位」回避は「 行成のおかげ。」と道長。の時の 大知行成 の 左眉が少しあがるの、良かった。
年明け、改元『長保』に。
正月、帝「内裏」に 定子を入れて睦まじく。は許されざる仕業。(で次の懐妊…なのだろう。)を察知し 晴明。
「呪詛いたしますか?」と道長に。「いや」との答えが良かったと晴明。「ためしたのか。」と 道長。
晴明は「国の命運を見守っています。人のことは預かりしらぬ。」と。さすがの 神憑り。
道長は、( 定子が 皇太子となる皇子を産む…という事(予想)をまま受け入れての、考察で)
「( 彰子の)入内を産の日にぶつけよう。」と。
当時の『日記』に書かれている-史実の、どういう事でそういう運びとなったか…の説明…コウしか出来なかったのでしょうね。
( 道長のキャラクター設定、今までの 悪人イメージの払拭に、私利私欲でなく、世のための、そうしか出来なかった、苦渋の末の、良識の形。に持って行かなきゃ…ですからね。)
倫子に「(お家) 呪詛は 得手でごさいましょう。」(と言わせながら、)「 彰子が お清めいたす。」と宣言の 道長。
「殿のためでなく、帝と内裏のお清めなら」と 倫子も承諾「華やかな 後宮 づくりに私も命をかけまする。」と。
帝に上奏-また 行成の働き。帝、反省したか、「彰子」入内受け容れる。
盛大な「裳着」の式典=ほぼ公の式として。BGMのパイプオルガンの重層的な音がその儀式の重大さを見事に盛り上げる。腰の緒の「結び親」は 詮子。
元『F4』の三人に 源 俊賢 を加えた『四納言』「ぼーっとしていた道長が。」「道長は、おのれの為にいきておらぬ。から、かなわぬ。」と公任。斉信はあくびでカワス。行成は控え目で。
職御曹司、伊周が伝えた 入内の報せに「(帝のご寵愛が変わるなどと) おそれてなどおりません。」と定子。 ( 聞けば 彰子は、)「うつけだそうな。」と 伊周。 そう、ドラマでの、今の「彰子」には、そのように心配させる ( 演出…) ところ多々。
絶対の信頼を寄せる 帝の「世の安寧を図ろうと思われるご覚悟」と 定子( 信頼と 思い上がりと 願望の 妃。) 兄をたしなめる。清少納言とともに。
まひろ、邸内で、地震被災の炊き出し。宣孝来る。来ている孤児に「けがらわしい。」と。
…人間への愛情の違いを感じ始める 発端に。
立て続けて、みやげの栗を「皆と、」というまひろに「いやおまえに。(持って来たのだ。勝手に他人に分けたりするな…(的な)」と言う宣孝。
で、お得意の自惚れ自慢話しに「まひろからの文」を「ある女に見せた。」話し。
「秘密を見られたのは恥辱。」とまひろ。そこは紫式部の ( 推定されている) 性格と『歌集』の「歌」から。
自惚れたい宣孝は「考えが浅い。あちこちで見せて歩いてる。自慢している。」挙げ句「うれしいだろう。」とまで。こういう「押し付け」まひろが嫌いなの知ってるはずなのに。
性格変わった? いや「釣った魚に餌はやらぬ」とか言うやつ…か。
恋「文」を他人に見せることは、往々にしてあった事かと。でないと後世に残ってない歌も。紫式部の潔癖症は、「私信」「公開」の是非論で、同時進行している『枕草子』筆写流布の話しとも共鳴している。『(源氏)物語』を作り出していくことへの下地…なのでしょう。
いつもの宣孝の「怒った顔も…」も通じない怒り。「今までの「文」を全部返さないと会わない」と追い返す。
夏、まひろ洗濯干し物。弟 惟規くん「どう」って来る。弟君も「あんまり痛いところ突かない方がいいよ。」と。「この頃ほっておかれてるの。」は「清水の市で。ずっとずっと若い女と…」と弟から聞くまひろ。 …清水寺の参道に物売りが集まる場所はあった…かもですが、「市」とは…。当時は(ナオヒデが殺されたりした)『鳥邊野』と呼ばれた『トリベヤマ』の一帯。他の(実存の)「市」じゃダメでしたか。
惟規 君帰ったあと、何かが崩れていく。音。(まひろの意識の中の音…「闇落ち」の一種というのかな…これも。)
久しぶりに 宣孝「反物」持って。( の 反物が「巻」でなくて。芯が入ってない…だけではなく、長さが短いのでは…な 布帛。)
「言わない」と言っていたのに まひろ思わず「清水の市の(デートの)「ついで」にでありがとう。」と。「からむな。久しぶりなのだ。いつもの様に…」という 宣孝に「甘えたことはございません!」と返すまひろ。
「そういう可愛げの無いところに 左大臣さまもイヤ気がさしたのではないか。」と、これは時代を問わず 即アウト!でしょう「禁句」で「逆鱗」に触れる。(オマケに周明まで持ち出してて…) に怒ってまひろ、火桶の灰を掴んで宣孝めがけて投げ被せる。
は、ご存知『源氏物語』「真木柱」帖からのエピソード。
…そうか『源氏物語』のいろいろは、紫式部の若い頃( まひろ)の 実体験からの…としている事に、妙な 納得。
(ある「解説」サイトでは、しきりに「香炉」「コウロ」と言っていたが、ドラマの映像では「香炉」ではなく、「火桶」の灰を一掴み。だったかと。「夏」の最中に「火桶」は…? 小道具としては「香炉」の方が良かったかなと思いつつ、火種と共に香炉ごと。は、(『真木柱』の『物の怪』による仕業のとおり) 大事すぎて、あの場の 一瞬の怒り、衝動には「一握の灰」の方が 絶対良くて。で、むりやり ( 火種は無い )「火桶」から…になったのかな。 「真木柱」では「物の怪」(と書かれた「嫉妬」)に病んで、やらかす事なので、まひろの心理が…そこまで行ってしまっても…ですからね。)
イトさん「殿にお詫びの文を。」と。年の功で「殿ごを思いやってさしあげないと。」「正論ばかりでは。」「逃げ場を作ってあげないと、誰とも寄り添えない。」「それが愛(イト)おしいということ。」と。この「誰とも寄り添えない」は効きましたね。
よーゆうてくれはった。
イト、「糸」さんでなく「愛」さんだったんだーとも…気付きました。
まひろの 藤色の上着きれい。
気分転換、宣孝をただ待っていても…とまひろ『石山寺』詣で提案。みんなで出掛ける。
満月の夜のお籠り。
まひろひとり。扉開いて道長。
で、「つづく」。
…『石山寺』の( 当時の、そして、セットの 設定 ) 堂宇の並び 構え 判りませんが、局の 仕切りも無い 参籠場所にたった一人。また 僧侶の案内もなく 左大臣が独りで…って、奇跡的出来事ですかね。この勢いで、…大弐三位は 道長との子…という 展開 ( を匂わせる事 ) になるのでしょうか。!
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