GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』37
お生まれの 皇子、抱いている 倫子 は、未来の 帝 の 御祖母様。
彰子中宮、内裏 に戻る時に 帝 になにか、お土産を。と。
( 当時「おみやげ」という言葉は? )
「源氏の物語を「美しい冊子」にして。」と決まる。 倫子の表情…微妙-自身の「出る幕」への不満で…か。
赤染衛門、式部に「左大臣様とどういうお仲なの。」と、来し方・経験から「そういう事」があっても… な時代だが、「お方様だけは傷つけないでくださいね。」と(温かい…と自分は思う)忠告。
「冊子」の「紙」選び。「若草色にしようか、紫にしようか」と中宮、率先して。 宮の宣治の「このような美しい紙に書かれた文もらいたいものでごさいます。」と漏らした言葉に、周りの一同固まって…。 宣旨「今なにか申しましたでしょうか。」( の 笑い を取って、) 「タイトル」に。 演出 中島 由貴 氏 。
( 彰子中宮が帝に思いを伝えて、自身を開放してから、衣の色が「青」系に→「本当に好きな」色に換わった。ドラマの流れは、藤式部がお側にに付くようになって、助言や知恵をお授け、お支えして、中宮さまが「ご自分の想いを伝えること」で一条帝との「輝く日々」となって…。という展開。
この流れで、思いあたったのは、
『 自分がどう 理解されるか… 問題 』。似た キーワードがあがった 回もありましたが、紫式部は、やはり この事に 意識 が行っていたと思います。
『源氏物語』の読解で、読者・研究者 からあまり聞こえてこない或る事-「紫の上」の本音=「本当は「梅」である 私を、皆が「桜」と言う」悲しみ。ということ。「皆」というのは もちろん 周りの男たち、と 読者 も。
光 源氏が、「北山の 満開の 桜の中」で見初めたことから、読者も皆、若紫=桜のイメージに。「葵」「夕顔」「末摘花」「朝顔」と、関係をもつ多くの女性に「花」を宛がっていることで、紫の上は当然「桜」に。
『六条院』では「春の町」=「桜」の主に。「野分」の日に 義理の息子 に 垣間見 られた時も「樺桜」と称えられる。 が、それはみな「男たちの(願望として)」の「桜のような人」であって、紫の上 当人は、死期を悟って「この「梅」を大切にして欲しい」と 遺言している様に、「私は梅なのに」と思いながらの人生-一生だった…と、紫式部 は書いている。と自分は思っています。)
式部、書いているのは「行成への依頼」の手紙。(行成の手の『源氏物語』
「断簡」でもいいから!出てきてほしい。)
道長、お渡り、倫子と。「皆に褒美…」って「紙と筆、硯。」を喜ぶのは、式部くらいだろう。 中宮は「父上、ありがとうございます。」と言うが。
依頼された 行成、「よろこんで!」 書いている。
夫々の 能書家から上って来たのを 藤式部 確認。『藤壺』の皆で「製本」。
糸で 綴じていく。赤い束ね糸。束ねたのを、木型をあてて 定型 に切る。 金銀箔 散らしの「表紙」付け、「題箋」貼り。(は、主任の宮の宣旨。)
出来た。たくさん!並んでる。 33帖=『藤の裏葉』帖まで。
ですね、一般的に「三部構成」と言われる『物語』で、33番目は、「光源氏」の栄華の頂点の「帖」。 区切りとしては、ドラマの 祝祭のタイミングとも合致。だが、前回の ご出産シーンは『紫式部日記』からの映像化であったと同時に『源氏物語』の『葵』帖にも取り入れられて「物語」進行。その最中も 物語を書いていた…としても、一気に『33帖』まで書けちゃってましたか。
藤式部、「里さがり」申し出。「老いた 父と 娘に会いたい。」と。
中宮、傍を離れられては困ると言ったが、菓子と米 を与えて帰す。
たくさんの土産とともに 式部、自宅に。「白い米だ!」と喜ぶ 家人たち。
「おまえのおかげでなんとか食べていける。」と 為時。 そこに カタコ 戻る。水仙 持って。「(宮仕え)ご苦労様です。」と言いつつ、花は 糸 に。
また「植物」「花」に 無頓着 な NHKさん。 「水仙」は「外来」の花で、
中国からの渡来が「平安末期」とも言われている。今、野生化している物「二ホンズイセン」と名付いてはいるが、外来しての自生地は「海辺」が多く、1000年頃 の 京都 に在ったかどうか。 まして「房咲き」でなく「ラッパズイセン」!どこに咲いてたんだろう。どこで摘んできたの?カタコ?
式部 は、久しぶりの自分の家が「なんだかみすぼらしく思える。」と。
夕食、皆で「白銀シャリ飯」。弟 も「あー」って、宮中勤め、宿直もあるだろうに「白飯」見たことなかった。かのような演出…。ま、中宮様 の米と 官人の禄の米は「かくも」違ってたのでしょう。
酒 を飲み、宮中の話しする 式部・まひろ。実家で気も緩み、酔ってくる。
カタコ、むっすり。『五十日祝』の日の話し。「おほっほ。」と、話し言葉にも「殿上(使え)言葉」が。『土御門邸』での盛大な 宴、お菓子 、お酒、「ふへへ。」って。
弟君「飲み過ぎだよ。」と嗜めはじめるが、「皇子さまの ご誕生に 立ち会えるなんて。これまでで 一番 胸があつくなったわ。」と 独り舞台。 みんなうんざりでしょうね。 「みんな、どうしてた?」が 無いんだもの。
『土御門邸』道長、式部 探してる。居合わせた 赤染衛門 に所在を聞く。
衛門 の「やれやれ」「いかがな…」って顔。
カタコ、夜更け、起きだして、式部 の部屋、御簾越しに、執筆中のまひろ、を見ている。 の 式部、 紙に書く「罪」「罰」の二文字。
カタコ の 気持ちは…。
中宮、宣治 に「戻ってくるように」と 手紙ださせる。
遣い。「黒塗り文箱」「戻れ」の文、為時 も見て「戻ったばかりだと言うのに。」「よほど気に入られておるのだな。」と。 この家に居るより、もっと生き生きと、輝ける(で、食い扶持にもなる、)「宮中勤め」に戻る事を父 は、その方が良いと思っている。
式部 が「父上、賢子の事ですが。」のタイミングで「姫さま、お帰りに。」って、 昨日も 今日も、賢子 は「どこ」に行ってるのだろう。
「母上は、また宮中にお戻りだ。」という 為時。「何しに帰ってこられたのですか?自慢するため。」と 母 にキレだす 賢子。 家に居た時から「物書き」の 母に「寂しい思い」を( 火をつけるくらい…)してきた 娘の…悲しさですかね、「あちらの方が楽しいのでしょう。」「なにゆえ、昨日のような…」で、終には「 嫡妻 でなかったから 私がこんな 貧しい暮らし」って。 ちょっと唖然。「誰」が言って聞かせたのだろう、そんな事、そんな理由付け。
為時 は、「賢子 は書物が 友、おまえに似ておる。」と、式部 送り出す。
『藤壺』 彰子、宮中に戻る。 藤式部 も。
さっそく 敦康 親王、遊びに来る。 帝 もお渡り。「寂しかったぞ。」
『豪華本』献上。 美しいの~。「源氏の物語か。」( 帝 は、何帖 まで
お読みだったのだろう…。)
「そなたの思いつきか?」と 式部 に。あわてて 式部「中宮さまてす。紙選びも。閉じるのも、御手ずから。」と。「33帖か…」の豪華本。事、満ちたかと思っている 皆々の前で、式部「(物語は)まだつづく。」と。には
中宮 も驚く。 あとで「清涼殿へお届け…」という(のは、なぜ挟んだかな。『藤壺』への「誘引剤」の 効き目あったから、もう良いのかな。彰子中宮サロン への 引き込み はまだ 必要だろうに。)の へ、帝「『藤壺』で 読む会を。」と。
(「読む」会でなく、「物「語り」=読みを「聴く」」会のはず。)
『藤壺』での「物語の会」開催 が(ドラマとして)「必要」だったのは、
『日記』で有名な「日本記のみ局」という「あだ名」エピソードのドラマ展開のため。 帝の前で皆が 『物語』の『蛍』帖の「物語というものは、」の箇所、読みおじゃるのを聞いている。 斉信 が思わず「物語を『日本記』より持ち上げたのか?」と。公任 も「帝がお読みになるとわかっていて…」と呆れていて、行成 も「はっとさせられる。」と。 皆の「コレいいの?」を他所に 帝「女ならではの見方に『日本記』にも精通。」とお褒めの言葉。
「帝が一目おいたことで、藤壺はなやかに。」のナレーション。
一方、定子の遺児・脩子 内親王 に仕える 清少納言。『物語』を読んでる。
『高松殿』 伊周 を焚き付ける 叔母上・高階光子。加勢する 妻・幾子 の
兄・源 方理。 には「余計なことはするな。」と怒りつつ、「じっとはしておらぬ。」伊周。 懲りずに(劣化を辿る)呪詛をしている。
『藤壺』。皆 寝静まる 夜中、式部、書いている 。で、悲鳴 を聞く。
式部 だけ 局を出て、様子を見に。「もしや、」中宮さま に何か!と走る。
衣を盗まれた 女官を見つける。『日記』の書く「身ぐるみ剝がされて」いるはず…が、上半身裸…でも「NHKの放送コード」で ✖ なのか「小袖」姿。
そう、この事件、ちゃんと、もっと「大晦日」ってこと、はっきり出していてほしかった。「史料」としている『日記』に日時、書いてあるのだから。
中宮 出て来て、また奥へ。ドラマストーリーは、衣を盗られた 女房たちに、着替え-着物 を宛行に動いた。とのこと。 『日記』にある=式部 が「殿上間の 兵部丞=弟君 惟規 を呼びにやった…」(が、退出していた)」話しは、割愛 されていた。 大事でない?から? なのか『御堂関白記』『小右記』『権記』に記載なし。
盗賊 たちは、塀の外 を去っていくが、『鬼やらい』の一団と出くわしたからか? 何故か 盗んできた 装束を棄てて逃げて行く。(まひろ時代 の人買いとか、旱魃の時の 庶民とか、興福寺 が押し寄せて来た時とか、ドラマが挟む「市井の民」の「なんでそうする…」(状況の裏打ち)に、またしても、神経 使ってない一例と思った。)
で、そこで出遭う『鬼やらい』 「大晦日」でないと、歩いてない!から、説明 が必要な事柄だろう。 ( 新キャストの 登場 とのこと。)
夜中なのか、百舌彦から 道長に「藤壺に盗賊」の知らせ。で、翌朝みたい…
道長、衣冠整えて、中宮様 に 御見舞い。
「おまえ一人がかけつけたと聞いた。他の者は何を、」と聞く道長に、式部
「ご立派なのは 中宮さまです。」と。(毅然とされていた。着替え手配の事。とかを挙げて…。) に、道長、「こらからも 敦成 親王さまをよろしくたのむ。次の 東宮 さま だからな。」と。 画面の式部より先に、視聴者が
「あっ!」だったでしょう。 「聞いてしまった」「言ってしまった」と
二人が固まる画面に、「キキキキキ。」と、鳥が叫んでた。
年明け、伊周、「正二位」=道長と同じ位に。一条帝の-第一皇子の後見人としての伊周へのご配慮。 「「正二位」とは、よく許されましたね。」
「なんで?」と道綱。 「左大臣殿のゆとり」と実資。
隆家 に 公任、どういう考えなのか質す。「兄は見限りました。」と 隆家。
俺は 道長に従く。「そなたもなら」と 伊周の 監視依頼。
為時、「正五位の下」に復帰。と、弟君 からの報告。
あの 扇 ひろげる 藤式部 の処へ 清少納言 が訪ねて来る。
『枕草子』によると、当時、宮中(定子の御殿)には、いろんな人間が出入り出来たようです。と言っても、もちろん「階」下。食べものをねだってきたり、パフォーマンス見せに来たり。警備面で?!と思う事も少なからず。
だが「客」として 局 に通される事、「訪れる」事に「元、定子皇后 の 侍者であった-清少納言」が、問題なく案内された…だろうか。とか考え始めて! あ、このドラマの まったくの 虚構 でした!と再確認。うっかり「時代考証」とか考えてしまう 運び上手な「大石脚本」にまた、やられてました。「すごいね~」(京都弁)。
「まひろさま、」「キキョウさま。」「よみました。」と 清少納言。
ヤバいのって、清少納言 は 定子の上着(形見分け)を着けて来ている。
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