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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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#ニューヨーク

1983年セントラルパークの早春。Deardorf 8 × 10インチ3/16(水)

1982年から83年にかけての1年間マンハッタンにいてニューヨーク近代美術館で写真のコレクションを見ていたわけだがそれ以外の時間はもっぱら8 × 10インチのカメラを背負ってマンハッタンを行ったり来たりしていた。当時はニューカラーが流行の時だったから私もそのつもりでスタートはカラーフィルムを入手したのだがコストがかかりすぎて最初の100枚を取ったところでトラディショナルなモノクロームに切り替えた。。

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1983マンハッタンでの仕事3/15(火)

1982年から83年にかけて文化庁から資金を出してもらってニューヨーク近代美術館でアメリカの現代写真を1年間研究することができた。それが今の私の写真に関する知識の基本的データベースになっているのである。

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Moritomoさんの自由の女神とブルックリンブリッジ3/3(木)

フリー写真家の弥次喜多さんがスタートさせた傍流写真同盟である。10月の終わりにスタートしたから4ヶ月経過したのであるがメンバーが800人近くになってみるのが楽しみである。

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1983年ニューヨークで撮影したたて画面のパノラマ写真12/26(日)

ニューヨークに暮らしたのは1982年の11月から1年間である。短い時期であったが貴重な体験であった。住んでいたのはウスターストリートと言ってSohoのNorth Endである。毎週土曜日と日曜日にSOHOから20分ほど南に歩いたところのキャナルストリートのパーキングロットで蚤の市が開催されていた。

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1904年。アルフレッドスティグリッツが撮影したフラットアイアンビルのアングルを考える9/27(月)

14丁目ユニオンスクエアのフラットアイアンビルディングは私もニューヨークにいる時はよく撮影に行った。やはり8 × 10インチで撮影すべきだと考えていろいろアングルを調査してそのように撮影したのである。フラットアイアンビルディングは1904年に竣工しているからこれを撮影したアルフレッドスティグリッツはまさにこのモダンなビルディングができたときにいち早く撮影をしたと言うことになる。

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1960年頃の私の夏休み9/2(木)

小学生の頃の夏休みといえば同級生はみんな田舎に帰ると言って元気なものであったが私は東京生まれであるから帰るべき田舎がない。それが結構子供のストレスになっていたようである。どこかのアルバムの中にしまい忘れていた10歳位の時に描いた稚拙なスケッチが出てきた。ポプラの木みたいなのがあって背景に緩やかな丘があってその中を自転車で行く自分自身の姿なのであるが自転車ばかりは当時興味持っていたからかなり精密に描かれている。

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1938年8月22日。ウォーカーエバンスが撮影したマンハッタンファーストアベニュー61丁目6/5(土)

ライブラリーオブコングレスのウォーカーエバンスの記述を読んでみて感心したのは20代にスタートしたときにほとんど仕事がなかったと言う。それでメディアの依頼でキューバに行って犯罪のハバナと言うタイトルで撮影をしたり、その後にやはり食えないからアメリカ農業保全局の仕事をしたりしていた。ロバートフランクみたいにグッゲンハイムフェローシップは取れなかったみたいだ。これは私の推測であるがロバートフランクは外国人だしユダヤ人だけど、ウォーカーエバンスはミズーリ州のカントリーの出身だから国内

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日本が鎖国になって考えたこと。セントラルパークドッグウッドの春4/3(土)本日在老人

1983年春のセントラルパークである。マンハッタンに住んでいたのは1年だけであった。文化庁から支給された滞在費用はほとんど足りないと言う状況だった。それで最初にEktachrome8インチ× 10インチを50枚だけ買ってそれを現像したらもう残りの滞在費用が危ないような感じになってきた。

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40年近く前に撮影したマンハッタンのパノラマ写真に再会する12/21🐧

2021年の2月の22日から4月にかけてギャラリーバウハウスで私の東京を撮影した「Today Tokyo 1966/2020」が開催される。この間ディレクターの小瀧さんと話をしているときにその後のギャラリーバウハウスの予定としてはオムニバスのパノラマ写真の展示をするそうだ。

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リトルニコンとスーパーニコンの時代があった🐭11/10🐭

1980一年であったかニコンのカタログの仕事で走り旅でヨーロッパに撮影に行ったことがあった。私とデザイナーの2名だけでニッコールのレンズを短いのから長いのまで全部持って撮影してくるのだから依頼している会社はまさにブラック企業である。ニコンのことを言っているのではなくその中間に立って搾取している広告代理店のことを言っているのである。

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1930年代のマンハッタンのレストランのお品書きを見る🐭11/9🐭

写真集ウォーカーエバンスファースト&ラストを見ていて思うのはいわゆる芸術写真の面白さもさることながら単に当時の看板を撮影した複写に近い作品のことである。読みやすいようにモノクロ反転してここに掲載する。これは1930年代の普通のマンハッタンの食堂のお品書きなのである。こうしてみるとニューヨーカーが食べているものはあの当時と現在と別に何も変わらないと言う感じがしてそれが非常に印象深い。大体食物と言うものは人間の感性の中で最も保守的な部分であるから10年100年同じものを食べていて

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40年前のマンハッタンでスピードグラフィックを使ってライカよりも早くスナップをしたことがあった🐭10/29🐭

10年ほど前のプラハでチェコのフィルムであるFomapan 4インチ× 5インチを買おうとしてサービスセンターに行ったら在庫がなかった。10年経過したらそのフィルムが手に入るようになった。それも未来フィルムと言う会社で世田谷区奥沢にあるのだ。午後注文したら翌日の午前中にちゃんと届いたからすごい。

ブルックリンから見たマンハッタン1983年1月1日dearドルフ8x10🐭5/17🐭

写真集と写真集の間からポロリと出てきた8インチ× 10インチのトランスペアレンシーである。窓の明かりにかざしてみたらまだツインタワーがある頃のマンハッタンの風景が映っていた。ブルックリンハイツはマンハッタンを眺めるためには最高のポイントであって、よく撮影などにも使われている。マンハッタンに住んでいる人が残念なのはマンハッタンの姿そのものはマンハッタンから見えないと言うポイントだ。

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ワールドトレードセンターの大惨事で関係者が撮影した事故現場の写真がCDに焼いてあってそれが偶然発見された。これがデジタルの発見のプロセス。ビビアンメイヤーの場合はまだ現像していないフイルムのロールで発見された。この違いを真面目に考えてみよう🐥6/25🐥

ワールドトレードセンターの大惨事の写真を関係者と思われる人が事故現場の内部から膨大に撮影している画像がそのままCDで廃棄されようとしていたのが救出されたのである。何しろ20年近く前の画像が安定していないメディアだから奇跡的に残っていたと専門家はいうのである。それがパブリックドメインとして公表されている。ワールドトレードセンターの外壁がベルリンの壁のように残っていてその先にマンハッタンのスカイスクレーパーが見える写真などは写真芸術であった。

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