マガジンのカバー画像

チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
¥1,000 / 月
運営しているクリエイター

2024年7月の記事一覧

カールツアイスの75ミリef 1.5のレンズ

今のデジタルカメラの時代と異なり、戦前はや戦前と言うよりも20年位前まではカメラはフィルムカメラがメインであったから、しかもその感度が非常に低かったので、明るいレンズが必要とされた。

¥200

Exakta6

1950年代後半にドレスデンから登場した。ロック× 6センチサイズのミドルフォーマットカメラである。このカメラは戦前からずっとフィルムは右から左に流す。いわゆる横長のミドルフォーマットカメラであった。

¥200

ズームレンズの元祖

ホームインプルーブメント計画で不要なカメラやレンズを膨大に処分した。それが流れてFacebookで業者さんが売りに出しているのだがそれが何であるか分からないのでやたら高い値段がついている。 大体ライカのレンズだとみんな欲しがるから高くなるのだが世界で初めて作られたズームレンズでしかもその数が少ないと言うのは誰も知らないわけである。ドイツはバイエルンのKillfitと言う会社は、アルフレッドアインシュタインが信頼していたレンズの会社で彼が赤外線スペクトルグラムを撮影するレンズ

東京スカイツリーの成長

2009年の夏であったと思うが、日本中が話題になっていた。東京スカイツリーがいよいよその建設をスタートした。建設をスタートしたと言うよりも、佃島の私の部屋から見ると、最初は何か例えて言うなら、豆に水をやると目が出てくるような感じなのである。

¥200

ブラックのニコンにヤスリをかける

中学1年生の時に手に入れたニコンエフはクローム仕上げであった。またブラック仕上げと言うカメラの存在を知らなかった。 高校生になって本格的な思春期になるとクロームよりもブラックニコンのほうがかっこいいと言う認識になった。つまり色気づいたわけである。 高校は1クラス50人で8クラスがあったから1学年で400人。その中でニコンエフ厨を持っている高校生はどこかの建築会社の社長の息子と、大田区の天ぷら屋さんの息子とそれと私であったが私だけクローム仕上げなのは面白くない。 磯村と言

このカメラの巻き上げがわからない

1960年代まではソ連製のカメラと言うのは非常に差別されていた。これは西側の帝国主義者のカメラ同盟が意図的にソ連製のカメラを締めていたのだと考えることができる。

¥200

パリのキャナルをパノラマカメラで撮影

1973年からウィーンに暮らし始めて翌年の5月に家人と初めてパリに行ったのである。ウィーン等はナポレオンに占領されていたこともあるけれどもやはりフランスに対するというかパリに対するコンプレックスがすごかったらしい。 それでウィーンの言葉はドイツ語であるのだがかなりフランス語的ななまりが付属してリエゾンがあると言う不思議なドイツ語になっている。 夜行列車がパリの東駅に到着して最初に歩き出すと出会うのがこのキャナルである。その影響で50年以上この辺の安ホテルに宿泊することにな

デビットダグラスダンカンとニッコール13.5センチ

デビットダグラスダンカンは日本の名もない35ミリカメラ用のレンズの価値を発見したのは偶然日本人フォトグラファーに基準うざっうざっから持っていたニッコールレンズ 8.5センチで自分のポートレートを撮影されてその出来上がったプリントのクオリティーにびっくりしてすぐに日本の大井町の工場に見学に行った。 ライフのスターフォトグラファーであるから朝鮮戦争を取材に行く直前にライカスリーエフをいちどに五台買ったと言う。 しかしスターフォトグラファーが戦場に持参したのは最初に自分のポート

ウィーンのアパートメントの豚の貯金箱

ウィーンで暮らしていた8年の話だが、建物そのものはできてから150年位の巨大なアパートメントであった。

¥200

オリンピックがらみで1,000,000円以上のデジカメが本当に必要なのか?

過去50年のオリンピックの記憶を振り返ってみてもオリンピックの時に使われたプロ用カメラと言うのはアマチュアの皆さんにも人気でよく売れたようである。 それでパリでオリンピックが始まってオリンピック人気と需要にあやかろうと言うので各メーカーが1,000,000円を超える高いデジカメを宣伝している。そういうのが実際に必要だと私は思わないけれどもここに人間の欲望の大切なところが潜んでいる。 フェラーリあたりの何千10,000もする高級車を銀座の雑踏でゆるゆる動かして性能は全く発揮

中学と高校ではブラスバンドでトランペットを吹いていた

友人関係が歌を歌ったりギターを弾いたりするのでうらやましいと思うけれども、坂崎さんとか荻さんはそういう人々であって、私だって中学と高校の時はブラスバンドでトランペットを吹いていたと言う話をすると皆さんびっくりする。

¥200

アルバ研究会の頃

3十数年前の佃島でスイス製のアルパと言うヘンテコリンな一眼レフを愛好する怪しい集団があって、毎月1階秘密結社を開催していたのであるが、10年ぐらいやってもこういう馬鹿は充分であると言うので自主的に開催したのであった。

¥200

ペーパーで作られた写真集は大事

これからのブックスはペーパーに印刷したものではなくて、オンラインで読めるものが良い。その一例として数年前に出した佃日記というのがある。ペーパーに印刷された本は10,000円以上するし、重さも2キロ位ある。

¥200

撮影したフィルムの本数には意味がある

フイルムがどんどん高くなってフイルムが買えない自慢と言うような空前絶後の面白い時代になってきた。私は25年前のエプソンのデジタルカメラと後は今原稿を書いている。iPhoneの方遅れのモデルをカメラとして使っているから、当面別段困る事は何もない。

¥200