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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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2019年4月の記事一覧

東独のトリオプラン100ミリがバカ値段🐥4/30🐥

我々カメラ人類そしてレンズ人類は世の中の噂と風潮とステータスに押し流されてウロウロと騙されているわけである。デジカメに騙されているのはここで書くのは危険だからちょっと遠慮さしてもらうけれども古いレンズのお話である。Mayerオプティックは伝統のあるドイツのレンズメーカーである。ただし戦後東ドイツになってしまったのでレンズの価格の競争力は非常に弱かった。

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オーストリアウィーンで1980年の5月31日私の誕生日のプレゼントに家人がくれたニューヨークの地図。これが実に役に立つ。Google マップなんかだめよ🐥4/29🐥

ニューヨークシティーに行く前私はマンハッタンなんて想像上の都会であってその実態などは何もないと考えていた。それに制作コストの安い映画の撮影場所であるとも考えていた。言い換えれば私の頭は正常に機能していたのにマンハッタンと言うのは事実として存在する街であると言うことを考えることが不可能であったのだ。それでオーストリアウィーンの生活を切り上げて東京経由でマンハッタンに行こうと考えたのが 1980年である。

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マイランドのカメラ。コンドル2の仕上げが非常に良いのにしびれる。これだけ素晴らしい仕上げならレンズの性能が悪くても許せちゃう🐥4/28🐥

私にとってのミラノと言う街はウィーンの南駅から列車に乗って一晩寝て早朝に到着すると言うような外国の街なのだ。Milanoはドイツ語ではMailandである。70年代のフォークソングの文句みたいで何か変である。ここにはガリレオ社がある。ガリレオ社と言うのは南のドレスデンみたいな感じだな。高級なカメラレンズをたくさん作っていた。何度かミラノに行ってガリレオ社の工場のあったところを探したのだが私の研究不足でついに発見できなかった。

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写真を鑑賞するベストの光の状況について考える🐥4/27🐥

モノクロームの銀塩ゼラチンプリントがブームである。私などはゼラチンプリントをうることで生計を立てているので大変ありがたい次第である。しかしメーカーの写真展とかカメラ雑誌のモノクロ特集は季節ものであって本気度が足りないな。いつもデジタルのフルからのご馳走を食べているからたまにはモノクロのお茶漬けでさらさらと言うような選択肢なのである。写真展などでどのようにプリントを展示するかと言うことをまだよくわかってないようだ。古い話になるが80年代にニューヨークに行って私が研究したのはゼラ

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須田さんと歩いた須田町の1966年の記憶. 歩きながらの話題はもっぱらつげ義春のねじ式だった。Leica M2 85/f1、8 Canon🐥4/26🐥

天国在住の須田さんとブラパチワークショップでご一緒した。1966年に須田さんと歩いた東京の中でやはりボルテージが高いのは須田町を歩いたことだ。須田さんと神田須田町を歩くなどと言うのは、今のそこら中にあるワークショップで江戸情緒を歩くなどと言うお笑い種のレベルの低いのとは格段に異なると言うよりも、超絶的であって比較のしようもない。

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皆さんの中に暗室作業好きな人いますか?私は嫌いです。Tokyo 1968🐥4/25🐥

敬愛する友人の狐塚さんは数年前に戸部財団から頼まれていわきに暗室のワークショップに行っていたそうだ。1週間に1度同じ時刻に同じ電車の同じ席に座っていわきに通っていた。それを狐塚さんはちゃんと記録してFacebookにアップしていたのでそれを見るのが楽しみになった。いわきのダークルームはちゃんとしたものであってフォコマートが用意されていた。私もそこで数年前に写真展をやらせてもらったことがある。いわきと言うのは非常に文化的なところで小さい街なのであるが世界的なソプラノを呼んでリサ

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基本の基本。なぜ写真を撮るのか?一緒に考えてみよう。確かなのは新しいカメラのテスト撮影ではないんだ。Wien 1974🐥4/24🐥

大阪芸術大学で10年間ほど現代写真作家論と言うのをやっていた。その時のことをメモを元に思い出して考えてみる。正式な名称ではないが私は対外的にはこの写真作家論を写真教育不可能論と呼んでいた。大学は産学共同路線だから卒業生はどっかで仕事仕事をしてお金を得ないと大学の評価はガタ落ちになる。その中で私は反面教師みたいなことをやっていたからいつクビになるかと期待していたのだが思いもかけず10年間首がつながっていた。

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PG愛の40年。もうそんなに経ったのか…🐥4/23🐥

フォトギャラリーインターナショナルが40年経過したそうである。びっくりしたもうそんなに時間が経ったのかと思った。私が1番お付き合いしたのは最初の虎ノ門時代である。1982年から83年にかけて文化庁派遣芸術家と言うのでマンハッタンに住んでいた。ニューヨーク近代美術館で写真を研究するだけでは面白くないから持参した大型カメラで当時のマンハッタンを撮影した。ツインタワービルも元気だしクリストファーストリートでエイズがスタートした頃だった。 83年の暮れに当時のフォトギャラリーインタ

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炎上してアクセスできなくなった天安門広場のTankmanの真実

オンラインのライカの5分ほどのプロモーションムービーが1989年の天安門事件をテーマにして中国から叩きのめされている。天安門事件前後に私も経験があるがあのショットと言うのは天安門広場北側にある北京飯店から撮影したものである。天安門広場周辺は高い所から見下ろすアングルと言う所は外国の報道関係などには立入禁止であるから通信社が唯一使えたのが北京飯店のニューwingと言われている新しいセクションである。天安門事件の時はこのニューイングの部屋は報道関係者で全て予約されてしまった。Ta

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コカコーラのグラスを買う🐥4/22🐥

友人の写真家の小松さんが南米のあちこちを旅行している。環境が素晴らしくてうらやましい限りだ。コカコーラの名前のついたバーとかコカコーラの年代のついた広告が非常に良い。別にコカコーラは飲まないがコカコーラ的なエンバイロメントが好きなのである。 家で手にするグラスで1番気にいっていたのは10年前にローマの空港の場で勝手にもらってきたショットグラスであって大抵これで飲んでいた。それを間違って割ってしまったのでそれの後のグラスを手に入れたわけである。阿部幕府が政府専用機のおろしたて

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レンズマウントアダプター遊びは貧困なるカメラ精神と衰弱した視神経が織り成す興味本位の結果である🐥NEW4/21🐥

レンズマウントアダプター1000日回峰行と言うのは私が考え出したタイトルなのである。近頃都に流行るものというのがこれらしい。プロフェッショナルの映画用のレンズと言うのはもともとレンズ本体があってそれをワークショップが自由にアダプターを付けてそれぞれのカメラマンに提供すると言うものであった。つまり写真のディレクターがいてこのショットはどうしてもこのレンズでなければ撮影できないと言うことで初めて購入ではなくレンタルショップからそのレンズを借りてきたりする。それで表現の意思と目的と

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ライカM8の最も古いモデルをファームアップも何もなしで8年間使い続けると言うのはいいかもしれない🐥4/20🐥

LeicaM8が登場した頃には私はまだカメラ雑誌でレビューなどを書いていた。今はそういう生活をほとんどやめたのでいわゆる提灯記事を書く必要がなくなったのは精神衛生上非常によろしい。その時感心したのはどこの上のメディアであったが既に忘却してしまったけれども普通のメカライターさんが書けないようなことを書いたのである。つまり液晶の日本語の文字が非常に古めかしいフォントを使っていることにあった。大東亜戦争の時のアメリカ軍の日本兵に対するヴィラみたいな感じがした。日本語だけ戦前のフォン

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ライカにデッサウをつけると見えない世界が見えてくる。バウハウス100年🐥4/19🐥

日本でバウハウスと言うと家具屋さんだと勘違いされている。最近では御茶ノ水にあるギャラリーの名前だと思っている。そのバウハウスが創立されて100年になった。四半世紀前にこの方面に旅をして感心したのは昔のワイマールが残っているなと言う感じだった。それでデッサウであるから撮影するレンズはテッサでなければいけないと思い込みを起こした。

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カメラとレンズの組み合わせでまぁ言ってみれば貧者の一灯と言うところだけれどこの組み合わせはそれなりに奥が深い🐥4/18🐥

 1950年代後半にアメリカで東ドイツ製の高級一眼レフが売り出された。当時の雑誌の資料などを見るとExaktaの値段は非常に高い。600ドル近くするのである。 1時はライカM3より高かった。でもこれはリストプライスである。それからディスカウントがそれなりに行われていたのであろう。それでももっと手に入れやすい価格帯と言うことで前後して出たのがこのカメラである。Exaと言う名前でこれは実によく売れた。売れて売れて売れすぎて生産が追いつかなくなって別の工場に発注依頼したのである。今

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