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30歳、10年付き合った人と別れてから。

10年付き合った人と別れた。
ここ数ヶ月、もっといえばここ3年で「詰まり」を感じていた。

あの人が結婚しようと私に言った時、どうしても先が見えなくて。
待つという言葉を伸ばした1年後に、私はうつ病と診断された。

そこから2年。
同棲期間の半分がそんな状態。

考えられないのに、何かしら考えていた。
こんな状態では迷惑をかけるばかりなので、結婚は自分の足でしっかり自分を支えられるように回復してから考える、と伝えた。

子どもを持つつもりがないことも。
それまではっきり伝えて来なかったけれど、その時にはっきりと伝えた。

「いつか子どもと一緒に旅行したい」
「GWは友達家族と出かけたい」

多分、付き合って5年目あたりでよく口にするようになった。

インスタの子育てアカウントもかなりの数をフォローしていたし、理想の家族像は自分の両親から学んだというほどに、家庭を欲している人だった。

私は好きな人と生きて、その先に結婚という選択をするのもしないのも自由だと考えていたし、それはこれからもたぶん変わらない。

だから「自分は家族が欲しいので、子どもを持てないなら一緒にいられない」と伝えられた時、もっと早く別れていればよかったと思わずにはいられなかった。

ただ、3年前のあの言葉。
「子どもいなくても、二人で一緒に生きられればそれでいいね」というなんの根拠もない、その時の幸せを映したにすぎない一瞬の感情に、期待をしてしまった。

自分が想像している未来から、もっと広い未来へ繋がるかも、と。

別れようと思ったタイミングはいくらでもあった。死ぬほどあった。
価値観の相違だけでなく、信頼が裂かれることもあった。

けれど、実行できなかったのは自分が一人で生きていくことの怖さを身近に置くことができなかったから。
なんの価値もない、自分だけが抱いている希望を大きく見積もりすぎた。

そうしたいくつもの甘えが今の私のしんどさを生んだ。
本当にあほでしかない。

別れた寂しさは当然ある。
ただ、後悔は「もっと早くに決断していれば」のひとつ。

幸せの保証はいつだってなく、あるのは地道な積み重ねで自分を幸せにする道を作り、邁進することだけ。

次の恋人は自分が思いっきり幸せだと感じてからでいい。
そうでないとまた同じ失敗をする。

自分の時間も人の時間も大切にしたければ、世間での幸せを追い求めるのではなく、自分が何を大切にしているか、できるかを真摯に考えなければ。

その先で道が交差する人がいれば、一緒に居たい。



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松岡ふぶき
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