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今なにも悪いこと起きてないんだ
ふっと感じる脈絡のない不安感。焦燥感。
言語化できないような何ともいえないイヤな感覚。
絵を描いたり個展をしたり、がんばってるけどどこか充実感が感じられない…そんな時期がありました。
いえ、子供の頃からそういう感覚があったようにも思います。
忙しくして何も考えないように動いていないと不安で押しつぶされそうになる…
小学生のとき、ミニバスケットとボールとそろばんを習っていましたが、友人関係がうまく行かなかったのを理由にどちらも辞めたことがありました。
そうしたら、とにかく意味もなく不安で仕方ない。
この不安感にまいってしまい、また部活もそろばんも再開したのでした。
バスケットでクタクタ。
そろばんから帰ると8時近くになるときもあります。
しかし、夜はよく眠れるようになったのでした。
大人になると、残業で忙しく働くこともけっこう好きで、独身時代は楽しくやっていました。
ただ、動いてないと存在が消えてしまいそうな感覚もあり…生きることの執着みたいなものだったのでしょうか。
けれども子供が産まれるとまた独身時代とは違ったペースの生活が始まります。
忙しく自分のペースで働くことはできません。子どもの生活に合わせて、睡眠も不規則になりがち。
当たり前のことといえばそうなのですが…少し覚悟が足りなかったのかも。
そしてまた子どもの頃のような不安感に苛まれるようになってきました。
何か満たされない。
育児より、もっともっとやることがある気がする…
そこで私は絵を描くことに出会います。ただ先に書いたように、創作の楽しさはあるものの、頑張っても頑張っても焦燥感はいつもある。
さらに絵に時間をとられ、家のことがおろそかになってしまっており、それも気になっていました。
そんなとき、タイ仏教の僧侶であるプラユキ師に出会いました。
抱えていた不安を相談したところ、一言。
「個展?すごいじゃない!不安なの?でもいま、何も悪いこと起きてないじゃない!」
私は、ハッとしました。
そう、わるい方ばかりにフォーカスして、不安と自分が同一化しつつあったのです。
「不安な気分」と「不安な自分」…これ、一字しか違いませんが全く別物だったんです。
そもそも○○な自分…という確固たる何かは本当は存在しません。
なんでかといえば、自分は常に変化する。無常、だからです。
観察するとよくわかる。
風邪をひくとやはりどんよりの気分になるし、天気が良かったりきれいな梅の花等を発見したりすると嬉しい気分になります。
ですからそういうときは「どんよりした私」「嬉しい私」ではなく「どんよりした気分」「嬉しい気分」を一時的に感じているだけ…
そうわかると、「あれっ、確かにいま、悪いこと起きてない…私なんで不安だったんだっけ?」と我に返ることができました。
不安はかつての気分についてであって、私自身はもうその気分を手放してしまっている。
そこで今日の絵です。
https://www.instagram.com/p/BQOuwcQlaDY/
自分と同一化してしまっていたトラウマや不安を籠の鳥にたとえてみました。
鳥は籠から飛び立ちます。
このように手放していけば不安感は私から消えてゆく。
単なる気分ですからね。
瞑想などの気分を活用して、いま、ここで我を忘れず、ハッキリした自分に戻れたら、「悪いことは起きてない」という感覚を得るのが可能だということが最近わかってきました。
家事についても、創作の時間が終わるとハッと切り替えられるようになり、気づきのきっかけは日々の中にあるんだなあと実感。
「不安感、恐るに足りん!」
このことがわかっただけでも安心の、今日このごろなのでした(*´ω`*)
☆まるっ!☆