言葉の表情(後編)
言葉の表情について、本を数冊紹介しながら思うことを記しました。(前編)はこちらから。
『数学の贈り物』森田真生(著)では、言葉にできない思いに口ごもってしまうこと、迷って考えてしまうことは「道徳的な贈り物」だといいます。
2019年2 月に京都恵文社一乗寺店で行われた数学ブックトークでの森田氏の言葉で「言葉の逡巡のプロセスがその人の自由の根拠である」というのが印象に残っています。常套句の使用で妥協してしまうことは、人の自由を奪っている、とおっしゃっていました。流行りの言葉には、いろんな事象をざっくりとカテゴライズしてしまったり、批判する際に便利だったりするものですが、そもそも何だったのか?と、立ち返って問い直し、反省したいものです。
〈言葉の実習〉などしなくても普通に生きていけますが、言葉の選択に対するもやもや感にアンテナを立て続けたいと思っています。
「贈る」という言葉は「遅る」と同根の語源だそうです。心に抱きながら、伝えられずにいた思いを、おくれの自覚とともにおくる。遅ればせながら発見する、遅れを自覚した瞬間がまさに「学び」「贈り物」であると書かれています。森田氏にとっては数学がまさに「贈り物」であるそうですが、私にとっては、言葉への問いを立て続けていくことこそが「学び」であり、「贈り物」なのです。
時代は言葉をないがしろにしている。
あなたは言葉を信じていますか。
祖母にすすめられた絵本、『最初の質問』⻑田弘(詩)いせひでこ(絵)に出てくる言葉です。私は、言葉の力を信じています。ずっと信じていけるように、言葉を選び取ることについて、ひたむきでいようと思います。
紙の上に羅列された言葉の数々から、普段、情報で溢れ返っている世の中から一歩身を引き、心を静めて考えられる時間をもらえます。
本は待ってくれます。考えることを待つ時間をくれます。次は、そのことについて書いてみたいと思います。
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