20200131→20210101 根気づくで、牛のように超然と
素数つなぎでやってきた2021年。
わりきれない想いを抱えながらも、今年こそはよい年に、、、と願うばかりです。
大晦日も元日も、家から出ずにひっそりとひたすらのんびりとすごしました。どこへも行けないけれど、ライブカメラで赤く染まる富士山や、あちこちの初日の出の様子を眺めては、部屋の中でぬくぬくしながら見られるなんて、いい時代時代じゃないの!なんて思いながら。そうです、ものは考えよう、ポジティブシンキングを大切にしてゆきましょうね、わたし。
ちょうど一年前からはじめたnote、自分があのときはどんなことを考えていたのかちょっと読み返してみたりなんかして。
これも、折にふれて自分を見つめるのに(振り返りすぎるのはよくないけれど)続けてよかったなぁと思っています。
この投稿でも、恩師から送られたことばについて書きましたが、今回もせっかくなので、かつて教えていただいたことばを。
「牛になれ」
以前、教育実習生で母校に来ていた方と卒業後も結構長いあいだ手紙のやりとりをしていて(今の時代にはもう考えられないくらいレトロな“文通”ってやつですね!)そのなかで教えていただいたことばです。
そう、今年はちょうど丑年なので、そういえばと記憶の中からひっぱりだしてきましたら、こんな記事もありました。いただいた手紙を探そうと思ったのだけれど見つからなくて、「牛 漱石」とかで検索したらヒットして、そうそうこれこれ!って。(こんなふうに忘れかけていた大切な記憶も思い出させてくれる、やっぱりいい時代じゃないの!)年賀状ではなくて、わたしの中学か高校の卒業記念にいただいたお手紙に書かれていた記憶もあります。当時の私は、まだまだ体感としてこのことばを理解できていなかったと思うのですが、こうして今になって(こうした解説の記事も読んで)その深さに改めてなるほどなるほどと、となっています。
牛は超然として押して行く、そうですね。干支のいわれの物語でも牛は努力家でひたすら黙々と歩くキャラクターでした。(ずるいネズミに一本とられてしまうのがなんとも、、、とは思ってしまうのですけれど)今、こんな“ご時世”だからこそ、そんなふうな生き方をしてゆこうかと思っている元日の夜です。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?