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『短歌研究』2024年8月号
①八月の韓国巡礼そののちも息子は遠くへと行くだらう 大口玲子 他の歌から息子が神学生となり、主体と離れて住んでいるとわかる。上句は神学生の行動の一環だろう。その後も息子は主体から離れて行くのだろう。常に息子と共にいた主体に、新たな展開が訪れている。
②川の向こうに私と同じようにいる傘をさす人、どう、桜は 工藤吹 川の両岸に桜。それを見に来た主体が、自分と同じように向こう岸にいる人に、桜はどう、と心の中で呼びかける。77575と読んだ。結句五音の呼びかけが新鮮。桜の咲きかけの季節、傘は雨傘と取った。
③延々と続く鳥居をくぐるよう そう簡単には会えない、心は 樋口智子 伏見稲荷が頭に浮かんだが、現実の景が心象風景に転化したものだろう。鳥居が続くように、自分の心には何重にも層が重なってなかなか本心には会えない。人の心ならもっとだ。赤が顔に映る印象。
④録画しておいた映画を見てすごす余生のようなこの一晩を 奥村鼓太郎 いつも忙しいから、何も予定の無い夜に空白感をおぼえる。いつか訪れる余生のようだ。録画しておいた、というのも少し前の時代(ほんの少しだが)ぽい。未来から現在を見返しているような気分。
⑤吉川宏志「1970年代短歌史 「短歌人」の新人たち」
〈青春期に燦然とした歌を詠んでいたにもかかわらず、いつしか歌から離れ、忘れられてしまった歌人。どの時代にも、そのような歌人は存在しているだろう。ここではその典型として、藤森益弘を取り上げたい。〉
冬の夜を凍てしう湖(うみ)より鶴の声聞きつつわれも目覚めてゐたり 藤森益弘
青空の深さを傷の深さとし撃ち落とすものなにもなき秋
〈ロマンティシズムが溢れているが、それでも「われも~ゐたり」「撃ち~秋」から、心の空虚感が静かに伝わってくる。〉
未知の作者。とてもいい歌。
〈藤森にも具体的なつらい現実が存在していた。しかしそれを生(なま)な形で表現することは、彼にとっては許しがたいことだった。〉
前衛短歌の全盛期と違って、70年代後半にはこうした思想も弱まっていたらしい。むしろ現代的かも。
今回の連載ではこの藤森を描いた部分に惹かれた。
⑥吉川宏志「1970年代短歌と〈今の歌〉」
現代短歌シンポジウムの講演再録。連載中の「1970年代短歌史」のまとめ的な意味もある。70年代短歌の大きな流れをつかむことができる。
この号を未読の人は連載を先に読んでから、こっちの講演録を読むことをお勧めします。
⑦川島結佳子「時評 枠の外に出るには?」
〈俵(万智)が歌のなかに用意した感情を鑑賞し、俵が用意した大きな物語を読んで楽しむことしかできないのであれば、鑑賞文も評も俵の想定範囲内のことしか書けなくなってしまうのではないか。〉
問題提起から考察まで、とても具体的で丁寧。面白くて考えさせられる、いい時評だった。知的な面白さと笑える面白さ両方。笑える面白さのところは本当に吹き出すほど面白い。ネタばれになるので書かないけど。ぜひ全文読んでほしい。
2024.8.22.~24. Twitterより編集再掲