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河野裕子『はやりを』 11
雲灼けてこころはろけき真昼なりわれは草生にひとは傍へに 下句の対句的表現がリズミカル。あくまで自分が主で、「ひと」(おそらく夫)が従という把握がいい。上句の、心が遥か遠くへ行くような、広がりのある風景が下句と合う。
乳隆(たか)き学生群とすれちがふ 仮象なれども濃ゆきこの世は 乳房が高く盛り上がった、若々しい体型の学生たちとすれ違った。この世は仮の世だと分かっているが、それにしてもこの世は濃い。学生たちの若さに、ふっと人生の時間を鮮烈に感じ取ったのだ。
手を洗ひ口を漱ぎてゐる背後伴侶といへる男が一人 とてもシンプルな歌。日常の動作として手洗いとうがいをしている自分の背後に夫がいる。何か日常の動作をしている夫の気配を感じ取っている。一瞬の動作と、伴侶という長い時間を感じさせる語の取り合わせ。
雨ふらぬ梅雨の宵宵はつしはつしと口争ひの女男(めを)のたのしさ 梅雨なのに雨が降らない、湿度の高い夕方。その宵ごとの会話。言い争いのように聞こえるが楽しんでいる。そんな夫婦の関係性が見える。三句字余りのオノマトペに格闘技のような臨場感がある。
2023.6.13. Twitterより編集再掲