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『現代短歌』2023年9月号

①特集『寺山修司没後40年』なみの亜子「時空を超えて」
〈ここまで書いてきて、私は歌の読みに関して、常日頃用心しているその用心を忘れてしまっていることに気づく。お話を作らない。作品に自分勝手な審美眼で分け入って二次創作しない。そう考えているのに、この読みはどうだろう。大丈夫なのだろうか。なんでもない歌として読めないのはなぜだろう。〉
 寺山修司の歌を読みながら、ふと口を衝いて出た言葉。ここまで分かっているのに寺山の歌にはお話読みを誘われる。善し悪しは措いてそうした吸引力があるのは確かだ。

②「寺山修司没後40年」対談「寺山修司は寺山修司をいかに創作したか 今野寿美/佐藤文香」
佐藤〈俳句は短いので、全部フィクションにすると強度が足りなくなることが多くて、部分的にせよリアリティがあったほうがいいと思うんです。でも、恋愛について俳句で書くときは心と景で事足りて、心のほうが本当であれば、あとはフィクションでも説得力がある。その本当の気持ちを土台に世界を構築していく、その「つくる」部分を増やしていきたいというのが、俳句から短歌へ、戯曲へと向かった理由なんだろうなと。〉
 寺山の表現の場がなぜ変わっていったかについての考察なのだが、それぞれの表現形態の特徴を端的に表していると思った。特に最初の俳句についての発言は短歌にも敷衍できると思った。 

③「対談」今野寿美〈ただ、自分を語りたいんだけど、告白短歌にはしたくない。これが寺山修司の偉いところだし、凄いとこだとも思うんですが、告白的になるっていうのは、短歌のひとつ危ういところなんですね。往々にして、そこに陥ってしまう。〉その見極めが難事。

④「対談」佐藤文香〈俳句を句集にまとめたりする時に、立句と平句という言い方があるんですけど、立句はすごくかっこいいというか。パワーがあって、一句で立つような句で。(…)平句は、わりと地味なんだけど、立句ばかりだと読むのが疲れるので、うまく配置していくっていう。(…)修司のうまくいってる句は、立句としての輝きが凄い。〉
 句集のまとめ方は歌集のまとめ方に共通点があると思った。一首屹立の歌ばかり並べてもダメとはよく言われることだ。もちろん、連作をどう考えるかという問題もあるが。

2023.8.20.~22. Twitterより編集再掲

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