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河野裕子『紅』(19)
みづからの光輪の中に息づきてなまみづのやうに螢は匂ふ 螢が光っていることを上句のように表現した。自分で出した光の輪の中で息をする、生きている。そして螢の生臭さを下句で表現する。神々しいような上句と生身の虫の実態を詠う下句。それらが一首の中で共存する。
づきづきと母親のわれは黙し聞く子らがその父に叱られゐるを まるで自分自身が叱られているかのように、夫の叱責を聞いている。何かを言えば子を庇うことを言ってしまいそうだ。黙っているために全身が脈打つように「づきづきと」痛む。体感を絶妙に表すオノマトペだ。
包丁を研ぐのが好きで指に眼が付くまで研いで七本を研ぐ この三句四句が河野を他の作者とを違えるところだろう。包丁を研いでいるうちに指に眼が付いているように感じる。言われればそうかと思うが、決して自分では割り出すことができない、言語化できない体性感覚だ。
いつしんに包丁を研いでゐるときに睡魔のやうな変なもの来る 最大限に集中している時、意識の覚醒の最大値のはずなのに、ふと睡魔のようなものが来る。集中し過ぎて気を失いかけているのか、何らかの別次元に脳が行ってしまっているのか。経験がある人もいるだろう。
2024.2.7. Twitterより編集再掲