外山滋比古『思考の整理学』(ちくま文庫)
1986年第一刷。おそらくその頃読んでいるのだが、2008~2011年頃に再びブームとなって2020年第122刷を再読した。
さすがに現代の目から読むとちょっと素朴というか初歩的な感じがする。これが歴代東大京大で一番読まれた本ということになると、東大京大生は意外に素朴で保守的なのかなと思ったりする。読んでいるこちらが年を取っているだけなのかもしれないが。ちょっと物足りなかったと言っておく。
(以下は自分用の覚書である。)
〈ことばでも、流れと動きを感じるのは、ある速度で読んでいるときに限る。難解な文章、あるいは、辞書首っぴきの外国語などでは、部分がバラバラになって、意味がとりにくい。残像が消滅してしまい、切れ目が埋められないからである。
そういうわかりにくいところを、思い切って速く読んでみると、かえって、案外、よくわかったりする。残像が生きて、部分が全体にまとまりやすくなるためであろう。〉P63
そうだとうれしい。が速く読んで却ってよく分かった体験は私にはあまり無い。今度試してみたい。
〈それまでイルカの゛ことば"についてはほとんど何もわかっていなかったのに、これがきっかけになって、一挙に注目をあつめる研究課題としておどり出た。
もともとは、兵器の開発が目標だったはずである。それが思いもかけない偶然から、まったく別の新しい発見が導かれることになった。こういう例は、研究の上では、古くから、決して珍しくない。
科学者の間では、こういう行きがけの駄賃のようにして生まれる発見、発明のことを、セレンディピティと呼んでいる。ことにアメリカでは、日常会話にもしばしば出るほどになっている。自然科学の世界はともかく、わが国の知識人の間でさえ、セレンディピティということばをきくことがすくないのは、一般に創造的思考への関心が充分でないことを物語っているのかもしれない。〉P66
現代においてもまだこの語は日常会話にしばしば出る語にはなってない。目的としていなかった副次的に得られる研究成果の中でも特に、「兵器の開発が目的」だったが他の発明が出来てしまった、しかもそれがよくある、というのは偶然のようでもあるが、人類がどれほど兵器開発にお金と時間と力を注いで来たかの一端を示しているとも言える。セレンディピティが造語で「セイロン性」という意味だというのも面白い蘊蓄だった。
〈たとえば、新しいことばがあらわれる。人々はめいめい勝手なつかい方をする。拡散的使用である。収斂したくとも辞書の定義もない。ところが、ある歳月がたってみると、そのことばの意味はおのずから定まっているのである。拡散的思考がおのずから収斂しているみごとな実例である。
もし、拡散のみあって収斂することを知らないようなことばがあれば、それは消滅する。〉P209
これは面白かった。新しい批評用語などもこれに当たるのではないか。
ちくま文庫 1989.4.(本稿に使用したものは2020.3.の112刷版) 520円