『短歌往来』2024年2月号
①数式を美しがるは龍の名の理系男子の同期だれかれ 今野寿美 私は(多分主体も)数式を美しいと思ったことは無いが、周りにそういう人は結構いる。美しいと思うものをとことん追求するのが学問。人名に入る干支で抜群に多いのは龍。主体の同期にも多くいるのだ。
②乃上あつこ「負数の系譜 前川佐美雄における不在性」
前川佐美雄の不在性について分析した論。面白いと思ったのは不在性の種類を分析している点。その中でも「B 願望」が文章も内容も腑に落ちた。
〈願望は、現状が理想とする状態ではないことを暗に表している。願望を歌に詠み込むことで、望む状態の欠如という不在性を読者に伝える。〉
〈このように願望を抱くのは少なくとも今がその状態にないからである。「願望」は実現化がされていない不在性の表現として使われている。〉
確かにそうだ。佐美雄だけでなく、今の短歌にも願望表現は多い。例えば、「~したい」で終わる短歌を読む時、この文がヒントになりそうだ。 その他「D 命令」「E 過去」の項も面白かった。不在性、で終わらせず、分析したところ、その分析の一つ一つが今現在の短歌の読みに応用できそうなところに興味を持った。
③船は傷、傷よりほとぼしる潮 死者は生者の手を擦り抜ける 藤田千鶴 初句の大胆な言い切りが魅力。そして二句三句の句跨りを使いながらのイメージの喚起。海を流れる潮のように死者は生者の手を擦り抜けて行った。去る者の乗る船へと、思いは初句に還元する。
④持田鋼一郎「小唄の思い出」
〈神田の出版社に勤めていた三十代の半ば、小唄の稽古を一年間したことがある。〉
そんなお稽古があるのだという驚き。小唄ってどんなもの、全然分からない、と思ったが、そう言えば「お座敷小唄」なるものを親戚の人が昔歌っていた。
〈一年間、小唄を稽古したことが全く無駄になったとは思えない。「人間の思情のうち色欲より切なるはなし」という宣長の『排蘆小舟』の中の言葉を、小唄の歌詞を通して味わい、詩情と色情が隣り合わせであることを無理なく実感することが出来たからである。〉
本居宣長がそんなことを言っていたのかという驚き。そしてそれが小唄を通して伝わっているっていう、文化のごちゃ混ぜ具合。浅いんだか深いんだか分かんない。この後、宣長が若い頃祇園に通っていたという一文もあり、益々へええな気分になった。
50年前は江戸文化が残ってたんだなあ。
2024.2.29. ,3.2. Twitterより編集再掲