『短歌研究』2024年7月号
①川に手をさらして両目を瞑るようひとの育った土地へゆくのは 湯島はじめ 「あなた」の育った故郷を訪ねることを喩を通して詠う。能動性と受動性が巧みに詠い分けられている。「さらして」「瞑る」の言葉選びがいい。比喩なのだが、映像性もあり身体感覚も感じる。
②いつか痛みを花に喩えて言うときの声まで百合のように裂けつつ 穴根蛇にひき 自分の痛みを言葉にする時は花に喩えて言う、その時声は百合が咲く時に花弁が裂けるように、裂けるのだ。痛みを言いながら底に官能性を感じる。下句の喩が感覚を横断していて魅力的だ。
③わかっている、という横顔作りつつ耳の中では産毛逆立つ 石田犀 わかっているのは音楽のことか、それとも二人の関係性か。まだ主体にとって未知なことがあり、それを知ろうと耳をそばだてる。これから音楽が始まるという場面も背景にした緊張感のある一首だ。
④毎日が誰かの忌日 常識の範疇で済むような祈りを 星野珠青 有名人の忌日であれば「〇〇忌」などと呼ばれて偲ばれるが、特に名も無い人も入れれば毎日は誰かの忌日だ。日常生活をちょっと外した視点で見ている。そこに大仰にならない祈りを添えるのだ。
⑤ときどきは不時着をしてそのままの自分の船を見に行くような 杜崎ひらく 不時着をした船、という表現で宇宙船を思い浮かべた。少しレトロなSFのような場面。心象風景の砂漠に不時着したままの宇宙船。そんな船のみが拠り所なのだ。結句の言い差しに情感がある。
⑥論破される側だ一生でもせめてこの人権は使い切りたい 遠藤健人 二句が句割れでしかも二句切れ。自分を論破される側の人間と規定して、でも自分にも思うところがあると詠う。人権という堅い言葉と、使い切りたいという表現に意表を突かれる。感傷の無さが魅力。
2024.7.1.~2. Twitterより編集再掲