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『短歌往来』2021年7月号

①加古陽「今月の視点」〈衝撃的な体験でなくても(…)事実に根ざして作ることで、短歌はリアルさ、実感という強靭さを獲得する。それは詩的であることとは別の問題である。〉同感する。体験・事実といっても大きなイベント的なものである必要はない。詩とも矛盾しない。

〈読むものの心を揺り動かすのは、現実に根を持ちつつ詩的なイマジネーションを両立させた歌ということになろう。〉確かにどちらか片方では弱いと思うのだが、何だかこの二つが違うものだというような論をよく聞く気がする。

〈こうした考えは近代のものであって、現代のものではない、事実に根ざした短歌など過去の遺物だ…。そういう批判があるかもしれない。〉事実とか、虚構とか、写生とか、リアリズムとか、経験とか、言葉とか、色々な批評用語が色々な側面で混戦し、未整理なのが短歌批評の現在なのではないかな。

②勝又浩「歌・小説・日本語」〈「辞世歌・辞世句全集」というようなものがあったら傍らに置きたいものだと書いたら、友人が早速調べてくれて、アマゾンにこれだけ出ていたよと、A4にして三枚のリストを送ってくれた。〉辞世全集、そんなにあるんだ。そう言えば、何となく知ってる辞世の歌、意外にある。

〈世界中で日本人ほど日記をつける国民はいないとドナルド・キーンが指摘していて〉これにも驚いた。

③持田鋼一郎「百人一首の英訳」心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花 大河内躬恒 〈大岡信はこの歌を評して次のように述べる。「この歌の眼目は実景として霜と菊が紛らわしいなどという面白さにはない。」〉眼目は「初霜」と「白菊」のよびおこすものを〈「実景ではなく、想像の中、観念の中で近づけて、そこに感興をおぼえているところにある。」〉この大岡の評を読んで、案外現代短歌の喩に近いところにあるのではないかと思った。

2021.8.8.Twitterより編集再掲