角川『短歌』2023年11月号
①既視感が好きだと思う湖や映画と同じような理由で 福山ろか 既視感は新鮮さを欠く、マイナスの意味もあるが、好きなものがおなじみの安心感でもある。湖の、真水の醸す雰囲気、好きな映画のいつものパターン…。それが人間付き合いにも及んでいるのだろう。
②潮風に喉を与える発電所あたまはがらんどうになれない 永井駿 角川短歌賞佳作より。大久野島の戦争遺跡、発電所跡を詠む。今はがらんどうになっている発電所だが、それを見ている人間の頭が空っぽになる瞬間は無い。初句二句の暗示的な比喩と下句が響き合う。
③ガスマスクひび割れたまま展示室 穴ばかりある身体と思う 永井駿 大久野島にある毒ガス資料館を素材にしている。展示されているのは古いガスマスクだが、自分の身体にある穴から毒ガスが浸み込んでくるように思えた。その身体感覚がリアリティをもって伝わる。
④生ぬるいつがいのままの靴下のどちらが先に駄目になるだろう 永井駿 旅の途中でふと自分の身を包むものに視線が行った。履いている靴下は確かに生ぬるいし、左右で一足はつがいとも言える。靴下を言いながら人との関係性を言っている。結句八音の勢いが強い。
⑤永井駿作品「水際に立つ」は大久野島への旅を中心に、おそらく戦争体験のある祖母への記憶と、主体の日常生活を絡ませて、連作としての構成力がすごいと思った。祖母が大久野島に関わりがあるのかがちょっと知りたい。日常を描いた歌も陰影が深く、魅力がある。
日常の歌で、その他の好きな歌 噤んでも月は饒舌どうどうと眼窩を抜けて脳(なずき)の奥へ 永井駿
踊り場のような気がしてこの先はくだり階段振り向かなければ 同
⑥愛憎を本心としてよいものか 気怠き雨の日のあたたかさ 齋藤英明 愛憎は長い間持続するものと、瞬間的に本能的に兆すものがある。どちらも理性とは違うところに属している。それを本心と呼んでしまっていいのか。上句の問いの鋭さを下句の緩さが和らげている。
⑦二杯目のビールを買ひに行きながら ああ、わたしいま楽しいんだな 片岡絢 幸せかどうかを自分に問うと答えが出ないが、今楽しいかどうかなら答えが得やすい。主体のその素直な確認がまぶしい。夏祭りの一コマ。子供と共に楽しみながら自分にはビールを。
⑧君と来るはずだったホックニー展は君じゃなくてもすごく良かった 鈴掛真 ホックニー展がそもそもの目的であったかのように自分に言い聞かせている。本当は君と来ることが主眼であったはずなのに。誰と来たって、いいものはいい。だから君がいなくても構わない。
⑨山下翔「時評 読みの共有へ向けて」
〈「読み」を、読める人だけの気分的なもの、通じあっている人だけの論理にとどめるのではなく、みんなのものにするということが、いっそう、歌の世界を豊かなものにすると信じるからである。〉
これには全面的に賛成だが、言うは易く行うは難し、の言葉の通り、各人、賛成しながら全然別の「読み」の方法論を頭の中に繰り広げている可能性は大いにある。山下はこれを①~⑧の「読み」方を挙げて、それらを考察している。こうした考察を下敷きにすれば、具体的な議論をすることができると思う。
⑩山下翔「時評」
〈九月九日、福岡国際会議場(福岡市)にて、「現代短歌シンポジウムin福岡2023」が開催された。(塔短歌会主催)。大会テーマは、「口語と文語のあいだ」である。〉
そうなんです。山下翔氏にはゲストとして来ていただいた。
〈口語らしさ、文語らしさを印象づけているのは何なのか。第三部のパネルディスカッションでも、それは中心的な話題であった。パネラーは梶原さい子(司会)、川本千栄、平出奔、山下翔の四名。テーマは「口語と文語の線引き?」である。〉
そしてパネラーとして登壇していただいた。
〈川本の話で惹かれたのは、「文語体のうたには時制を表す助動詞が豊富で、一方口語体のうたには「た」しかない」とする(よくある)言説に対して、疑問を呈していた箇所である。〉
「塔」の全国大会について詳しくお書きいただき感謝!ぜひ皆さん、この時評を読んでほしい。
⑪山下翔「時評」
この時評で取り上げられた「塔」全国大会は2024年1月号に全体報告と吉川宏志・栗木京子対談の再録が、2月号に気鋭の山下翔・平出奔が登壇したディスカッションの再録が載る。ぜひお読み下さい。
1月号は1月14日の京都文フリでも販売します。
⑫貝澤駿一「短歌月評」
そちらへ行くなミノタウロスが待っている現実という歯を光らせて 川本千栄
〈クノッソス宮殿のミノタウロス伝説を下敷きとしており、知的な視点が光る一連だ。〉『短歌往来』10月掲載「迷宮」より三首引用、評をいただきました。感謝します!
2023.11.29.~12.3. Twitterより編集再掲