角川『短歌』2023年4月号
①さりながらわが抱擁の日々はすぎ穂絮のかるさを生きゆくばかり 日高堯子 ある年代に達して、自分にとっての抱擁の日々は過去のものになった、と感じている。辛いはずなのだが、穂絮のように身軽なのだと自身に言い聞かせている。表現とは逆に心の熱さを感じる。
②夫に触れる時ぎごちなく音たてる右手の骨をつなぐチタンが 日高堯子 右手の骨折か何かで手術しチタンが入っているのだと取った。それが手の動きをぎこちないものにしている。しかしそれだけではなく、夫に触れる時の心の揺らぎが影響しているのではないか。
日高の連作にはいつも夫との関係性が通奏低音的に流れているのが感じられる。
③「哀悼 篠弘」歌論レビュー 中根誠
〈先にあげた『現代短歌史Ⅰ 戦後短歌の運動』の中に、「占領下の検閲」という論考が収められている。その中で篠は、師の土岐善麿の受けたGHQの検閲の具体例を示している。この検閲事例はやはり衝撃であった。そして彼はこの論の最後に、検閲が歌壇に及ぼした影響について、「資料がない以上、速断することはできないが、実作上に直接あらわれた影響は少なくなかったであろう。」と述べている。〉
この篠の論考が中根の著作に繋がったのだ。論が論にリレーされていく理想の姿の一つだろう。
④「哀悼 篠弘」歌論レビュー 谷岡亜紀
〈短歌滅亡論・否定論こそが、逆に短歌の近代的・現代的存在意義、存在理由を、今日的なアイデンティティを、問い詰める契機となってゆくのである。それは戦後の「第二芸術論」を経て、現代の短歌にも直接的に繋がっている。さらにページをめくってゆくと「斎藤茂吉と西出朝風の口語歌論争」という章がある。口語短歌・短歌の口語化は、決して現在だけの問題ではなく、この百年間ずっと議論されてきたことなのだ。〉
短歌史を学ぶ重要性はそれが現代・現在に直接関わるからだ。篠が著し、谷岡が解説する。
〈篠弘の仕事は全て、短歌史の洗い直しによって、優れて現代的な問題を抉るものだった。〉
谷岡が指摘するように、リアリズム(写実主義・写生)とサンボリズム(象徴主義)の問題、さらにオリジナリティや短歌の署名性の問題が論争の俎上にあったことを、篠は史として残しているのだ。
⑤「哀悼 篠弘」歌論レビュー 大辻隆弘
〈篠弘の『近代短歌論争史』を読んでいて驚かされるのは、篠が雑誌の埋草記事のような小文から論争の気配を感じ取り、当時の雑誌に目を凝らして議論の対象を探し出し、論争の道筋を抉りだしてゆく、その手腕と根気である。〉
〈篠はかならず初出や原点に当たることを自らの義務としていた。その時に発表されたリアルタイムの文献を見なければ、その時代になにが話題になり、誰がその話題に関わっていたか、分からない。歌や文章の背後にある「真意」を読みとれない。〉
ばらばらに書かれたように見える論を探し出し、論争の形に時系列で並べ直していく。執念にも近い技だと思う。全て初出主義だし、ただ資料名を羅列するのではなく、篠自身の観点が詳細に書かれている。大辻がこの論で述べるようにネット時代の論争はもう追う事ができないのではないか。
2023.4.17.~18. Twitterより編集再掲