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野村剛史『日本語「標準形(スタンダード)」の歴史』(講談社選書メチエ)

 日本語の標準語ではなく標準形、スタンダードとなってきたもの。この本は話し言葉、書き言葉、表記のスタンダードについて述べる。言語史をまとめて読んだのは初めてかもしれない。豊富な資料を使っての説得力のある論が展開されている。あまり触れられることのない、発音の観点も論じられているので、一層説得力を増している。自分の考えを見直さなければならないところが多くあった。目から鱗的な感慨を何度も持ちながら読んだ。とても勉強になった。
 以下は自分用のメモ書きである。

はじめに
〈本書は、ほぼ江戸期以来一貫して「話し言葉の標準形態」つまり標準語があったと考えている。〉P5
 方言で話している人が江戸に集まった時に意志の疎通をするために使われた言語だ。
〈ちょっとした文章(書き言葉)の標準形態が確立したのは、おおよそ室町時代くらいであろう。(…)それは今日のいわゆる「文語文」であって、その内部では種々のあり様に分岐しつつ江戸期を通過した。さらに明治期の言文一致体の普及の後、現代の書き言葉標準形態は口語文になっている。〉P6
 この「口語文」は話し言葉ということだろうか。現代文ということだろうか。この著者は話し言葉で使っているようだ。
〈現代のその(=仮名遣いの)標準形態は「表音式の仮名遣い(現代仮名遣い)」であるが、かつてはいわゆる「歴史的仮名遣い」が行われていたし(…)〉P7
 この仮名遣いのところが一番分かり難かった。今でも分かったとは言えない。

第Ⅰ章 話し言葉のスタンダード
〈(学校の)講義の記録が先述の「抄物」と言われる形で残されている。おおむね漢籍についての注釈・解説であって、講義であるから話し言葉で語られ、しかも先生の言葉は一言一句違えないというのが建て前であった。そこで抄物という書籍は、口語体の仮名交じり文で書かれているわけである。(…)先に示した「狂言」、この「抄物」、それにいわゆる「キリシタン資料」は、室町後期の三大口語(話し言葉)資料と言われる。〉P24
 室町後期の口語資料は豊富だ。特に狂言は実際に触れたことのある人も多いだろう。
〈「狂言」「抄物」「キリシタン資料」の言語は、互いによく似ている。それらは中古の古典的な日本語と比べて、遙かに今日の日本語に近い。(…)古代語に比してその文法的な特徴を簡単にまとめると、次のように言えるかと思う。これらはそのまま近代語(現代語)のメルクマールにもなっている。
 ①活用語の終止形と連体形が、連体形にまとめられて合一化している。
 ②形態的な現象としての係り結びが、ほとんど用いられない。
 ③主格を表す際に主文でもガが用いられる。
 ④「~ている」「~てある」という形式をよく用いる。
 ⑤いわゆる助動詞(動詞の接尾辞)が基本的なところで大いに変化している。〉P25
 個人的に現代語の特徴だと思っていたこと(②とか)は既に室町時代に起こっていたことだったのだ。
〈①院政期以降この「連体形終止」が増えて、次第に旧「終止形」に取って替わり、ついに旧終止形を滅ぼしたと考えられる。(…)「ある」は本来「有り」(終止形)の連体形であるが、ここでは文終止に用いられており、結局「あり」という形は室町期には用いられなくなる。〉P26
 橋本陽介の本で注目したことと同じ。現代語の終止形は活用表に書かれているが使われておらず、使われているのは連体形だという理解でいいだろうか。
〈②室町末期には「こそ~已然形」が多少残存していたようだ(…)「か、ぞ」による係り結びは早く平安期に滅んだようであるが、「なむ、や」の係り結びも中世を通してなくなった。(…)どうも、「や、なむ」は現代語の(…)「さー」とか「ねー」とか「よー」とか「なー」などの間投助詞程度の役割しか担っていない。(…)また「なむ」が「なう」「なー」「な」「のー」「の」などの間投助詞に変わるというのは自然な変化である。〉P27
 係り結びが、連体終止の常用化によって特別な価値を失い、係り助詞が間投助詞化していく過程について。
〈この時代(江戸時代、18世紀)、丁寧語としての「です」は未だ出現せず、「ます」はしばしば「まする」の形で現れる。〉P36
 「です」「ます」は歴史が浅い。
〈(明治初期の)開化啓蒙体と小新聞談話体の文章はよく似ている。これらの文章には「ござる、ございます」が用いられている一方、「ですます調」と言われる丁寧語の「です」は表れてこない。〉P44
 まだ「です」は来ない。明治一〇年頃から使われ出すようだ。
〈もともとの全国的なスタンダードが、東京山の手に新たに定着していったのである。東京語が標準語になったわけではない。標準語が東京語をつくったのだ。〉P48
 一般に信じられていることと逆。明治維新で一掃された武家の後に集まってきた人々が使った言葉が標準語になっていった、それは元々あったものだった、と。
〈上田萬年は「標準語」「言文一致」「表音的仮名遣い」論者であったが、このうち「表音的仮名遣い」は上田の生前についに日の目を見ることがなかった。しかし、「標準語」と「言文一致」とは、明治期に事実上実現している。「標準語」は小学校教科書の会話文、口語文に取り入れられている。〉P57
 この後の「言文一致」の成立については、諸説ある。

第Ⅱ章 書き言葉のスタンダード
〈この近現代の「書き言葉口語体スタンダード」(現代の「標準語」)以前には、「書き言葉文語体スタンダード」がほぼ日本語圏全域の書き言葉を制覇していた。近代の(明治期の)文語体スタンダードは、しばしば「普通文」と呼ばれていた。〉P71
 普通文は文語体。前掲の①~⑤が古代語と近現代語の書き言葉の違いだが、根本的には話し言葉の違いである。
〈⑤ここで詳しく問題にするのは、もっぱら次のうちの「a」である。極端に言えば、「a」で示した変化が、近現代の書き言葉の文章を支配していると言ってもよいのである。
    古代語            近代語
a キ、ケリ、ツ、ヌ、リ、タリ →  タ、テイル
b ム、ラム、ケム       →  ダロウ、(ウ)
c ズ(否定)         →  ナイ、ヌ(ン)
d ナリ(名詞+ナリ)     →  ジャ、ダ、デアル、デス 〉P72
 この付近要再読。この著者は「ル形」「タ形」ではなく「スル形」「シタ形」という用語を使っている。あと、「シテイル」の形、「シテイタ」の形。キ、ケリはテンス、ツ、ヌ、タリ、リはアスペクト。
〈「結果状態のシテイル」「単なる状態のシテイル」「連体修飾のシタ(の一部)」は連鎖的につながっている。これは現代のシテイルが、古くからのシタリがカバーしていた意味の領域を侵し、また一方、シタリから変化したシタが(タリの状態を表す意味を保ったまま)連体修飾のところで残存しているからである。(…)シテイルという形の存在は、古代文と近代文を分ける一つのメルクマールとなる。それとともに「シタリ→シタ・シテイル」という変化をよく承知しておくことが重要である。〉P77
〈タもテイルも付かない動詞だけのスル形式である。このスル形式の現代の終止的用法は、三通りある。ひとつは(…)テンス的には未来を表す。(…)「シタ」ー「シテイル」ー「スル」のように現在の動作を表すためには普通シテイル形式を使う。(…)スルが現在を表すのは主に感覚的な表現である。(…)これがスルの二番目の用法である。スル形式の三番目のタイプは、(…)一般的な事柄を表す用法である。〉P78
 キ、ケリ、ツ、ヌ、タリ、リは全部(シ)タになっているというのがよく言われるが、これを見ると(シ)テイルが重要だと言うことが分かる。
〈古代の物語の地の文では、このスル形式の連続がよく現れる。例えば『源氏物語』の文終止の箇所のする形式は、「ツ、ヌ、リ、タリ、キ、ケリ」などの「過去、完了」系統の助動詞を持つ動詞述語のすべてを合わせたものの二倍近くになる。(…)古代語では、現代語の「タ」のような「完了、過去」の双方を表す形式とは異なって、もっぱら過去を表す形式の「キ、ケリ」がちゃんと存在している。にもかかわらず、それらは特別な場合にしか使われない。〉P80
 現代の(創作)文語文での過去の助動詞は使い過ぎということだろう。
〈「ケリ」が、「昔の話である」という始めと終りの枠組みを作り、その内部で話は現場の基準時に従っているかのようである。〉P85
 場の最初と最後に「ケリ」。
〈以上のような登場人物視点の語り方は、古くからの日本語の語り方でもある。そこには和歌を伴う書き方の影響もあろう。和歌は「作者=登場人物」の視点で歌われるからであるが、それは、一見伝統的とみえる中世・近世の書き言葉文語体では、抑圧されていたように思われる。〉P87
 「歴史叙述、物語・説話」は「神の如き視点(万能視点)」で描かれる、事後的、共同体的な語りであるからだ。しかし近代小説は登場人物視点が多く使われる。和歌(登場人物視点)→軍記もの(万能視点)→近代小説(登場人物視点)という理解だろうか。
〈明治二〇年頃には孤立していた二葉亭の言文一致体は、二〇年代後半から大いにふるい、西暦一九〇〇年(明治三三)には公表される小説の過半に達して、明治四〇年頃にはほぼ小説界を完全制覇した。〉P89
 これがまた、小説以外の文に及ぶには時間がかかるのだが、とりあえず小説はこの流れで。
〈書き言葉が普通には文語体の時代であっても、人々の日常的な思いは、例えば道で財布を見つけたときの「あっ、財布が落ちている」のように話し言葉に従っていて文語体の「財布落ちたり」のようには決して思わない。〉P91
 思考は常に自分の中で話し言葉で行われる。先に口語体の思考があり、文章としての文語体は訓練を経て使えるようになるのだ。
〈子どもの作文では、「見たまま」を書くことが推奨されることが多く、それは近代文の視点的描写に繋がっている。「作文教育」の結果であろうが、根本的には人々がその種の視点的描写に魅力を感じているのだと思われる。〉P93
 白秋らが大正期に取り組んだ教育の流れを引くものだろうか。
〈作文などの文章表現については、正岡子規、高濱虚子、夏目漱石らが関与した「写生文」も重要なファクターをなしているのであるが、本書では触れていない。〉P94
 短歌的には勉強しておく必要がある。
〈最初期の言文一致体小説の担い手であった山田美妙、嵯峨の屋おむろ、尾崎紅葉、坪内逍遥などは、大体以上の条件を備えてはいた。(…)明治二〇年代の話し言葉としての「標準語」の確立と書き言葉としての言文一致体の制覇は、軌を一にしているのである。(…)一九〇〇年ころには文学界の主流を占めた言文一致体も、真に書き言葉の標準体と認められるためには、その後、論議や歴史・学問記述の文章=文語体と闘わなければならなかった。論議文の代表格である新聞社説が口語体化したのは、大正一〇年頃である。〉P94~95
 もう少しかかったという説もある。(田中牧郎『近代書き言葉はこうしてできた』)
〈明治期の書き言葉の標準形態の文章は、しばしば「普通文」と呼ばれる。(…)「普通文」とは、次のような漢語の多い漢文訓読調の文章を言った。今日、いわゆる「文語文」と言っているものは、おおむねこの「普通文」である。〉P95~96
〈「普通文」という言葉は明治一〇年代の後半から使われ始めたようであるが、仮名文や候文までを含め、そのころよく使われた文体全般を想定している場合もある。しかし明治中・後期には、「普通文」は当時流行の「漢語の多い漢文訓読調」の文章に固定してくる。〉P97
 こんなごく当たり前の用語でも知ると知らないでは大違いだ。当時詩吟が流行したらしくそれにも関係があるらしい。P104 
〈(普通文には、)「~ている」は、これも口語体と差別化するためか、まず用いられない。〉P99
 「たり」、「てあり」、動詞だけ、「動詞+居る」で表現されるということだ。
〈普通文は簡潔かつ論理的という長所があり、明治期の文語文の主流をなした。〉P99
〈一九〇〇年ころまでの文学界における言文一致体の覇権の確立を文体における第一革命と称するならば、普通文の口語体化は第二革命と称することが可能であろう。〉P101
 『尋常小学読本』(明治三七~三九)にも口語文が採り入れられた。
〈言文一致体内部の分岐については、山田美妙の「です体」、二葉亭四迷の「だ体」、嵯峨の舎おむろ・尾崎紅葉の「である体」などと言われる。(…)動詞文末もすべてシタで良いのか、二葉亭の「あひゞき」の文末はすべて「タ」で終わっているとはまずは言えるが、これはロシア語(その完了体過去)に従っているのである。〉P103~104
 小説も動詞文末をどう終えるか、言文一致の時代に問題になっている。
〈明治三八年(一九〇五)一二月、文部省は「文法上許容すべき事項」を公表した。(…)Ⅳ 上に係り詞なくして過去の助詞(ママ)「し」にて止むる格〉P106,108
 文末を「し」で止めることが文部省のお達しで許容事項になっている。詠嘆の意だそうだ。これは驚く。P110に詳細。「き」と「し」で活用の行が異なるのが主な理由らしい。「き」は書き言葉でもほとんど消えてしまった。普通文は文語文と言えど、話し言葉の影響を受けている。
〈「已然形を仮定条件に使う」という現象は、かなり古く(鎌倉時代)から生じまた極めて一般的なので、当然「許容事項」として認めておかなければならないはずのものである。〉P111
 しかし、こちらは「教育勅語」の関係で許容事項にならない。この辺、ちょっと笑える。
〈こうしてみると紅葉はかなりデタラメに「文語文」を書いているが、しかしそのような小うるさいことは、当時の読者にはどうでもよかったに違いない。キとケリの用法上の異なり、「タリ」系と「ツ」系の使われ方の本質などは、今日でも文法家の間で議論のあるところで、いかに文豪であろうと国学者でもない人間に、これらの助動詞を正しく使い分けられるわけがない。〉P112
 『金色夜叉』について。尾崎紅葉の過去の助動詞の使い方はほとんど間違いだらけ。時制のためというより単調を避けるために「キ・ケリ、ツ・ヌ」を散りばめている。まあ、それでも、明治の言文一致運動前の小説なのだから、「どうでもよかった」のかも知れないが、これに続いて、
〈結局すべての過去・完了辞は、実際上「た」の代替に用いられていると考えられるのであり、いかにも文語体風にどれかが選択されているというに過ぎない。そのような性格は、ほとんどの江戸期文語体にも指摘できる事柄である。〉P127
 既に江戸期から適当だったという記述に驚く。その一例として挙げられているのが新井白石。当時の一流中の一流の知識人でさえそうだったのだ。
〈話し言葉の「タ」を「シ」に置き換えて文語体化するというパターンが、この白石の文章全般にわたって認められる。ならば、このようなシなどの背後には話し言葉のタが潜んでいて、書き言葉文語体の文章を支配しているということになる。〉P129
 白石がそうであれば、馬琴の『八犬伝』が語調の良さを第一に考えていたというのも特に驚くべきことではない。(中古ではキは体験的過去、ケリは伝承的・物語的過去という区別がある。和歌はキが使われてよい文体ということになる。)
〈江戸期の文語体の文章の主流は、連綿と明治期普通文に引き継がれる。それは、文末形式を形式的に置き換えてやるだけで、ただちに口語文に転換可能な文語文である。見た目には古典文法の形式を維持しているが、用法上は大いに話し言葉の文法の支配を受けている。〉P130
 まさに現代の短歌の言語・文体に当てはまることだ。
〈次第に訓読のスタイルは伝統的なものになりつつあった。例えば仮名文脈では今日の「様だ」に当たる「やうなり」が広く用いられるのに対して、漢文の訓読では「ごとし」が用いられる。〉P135
 漢文訓読スタイルの文の話。
〈筆者は、日本語作品資料における口語体と文語体の具体的な境界線を、一二世紀半ばの『今昔物語集』とそれ以降の説話(宇治拾遺物語など)・軍記(平家物語諸本)の間に引きたいと考える。『今昔』あたりに境界がありそうだということである。もちろん、書き言葉と話し言葉の乖離は連続的に進むので、明確な境界が認められるわけではない。〉P140
 書き言葉と話し言葉に乖離が広がっていく時期ということだろう。
 〈これまで各所で、現代に列なる口語体の特性として「④「~ている」「~てある」という形式をよく用いる」と指摘してきたが、シテイル、シテアルは一五世紀以降の抄物から現代まで非常によく用いられる表現形式である。中古中期の『源氏』にはほとんど現れることが無いから、『今昔』の時代の一二世紀頃から口語でよく使用されるようになった新興の表現法であるかと思われる。(…)シテイルは目立って口語的であったために、その後の時代にも「文語」作品では徹底的に排除される。明治期に至るまでそうなのである。〉P142
〈これは中古の和歌の世界における係り助詞の「なむ」に比肩される現象である。「なむ」は中古になって盛んに用いられた話し言葉のメルクマール的要素である。中古和歌の世界は未だ口語とさほど乖離はしていないが、独自の歌語らしさを形成しつつあった。その中で「なむ」はいかにも話し言葉的であり、「俗」であった。だから和歌で「なむ」は用いられない。〉P142
「シテイル」は注意しておきたい。現代語なら現在形だろう。
〈ここで本書が述べている事柄は、江戸期や近代の文語文について本書が述べた事柄とよく似ていると感じられないだろうか。実は『平家物語』あたりで始まり、『太平記』などで大いに広まった文語文の性格は、見えない部分で話し言葉の影響を受け、近世・近代の文語文に連なっているようである。〉P153
 もう鎌倉時代からタリやキの用法は、単調であることを防ぐためになっていたようだ。
〈そこで院政期あたりから、書き言葉の文章の主流は、漢文の訓読に基づいた漢文訓読体の文章となった。〉P165
 まとめの部分である。

第Ⅲ章 表記のスタンダード
〈江戸最初期において、片仮名が漢文脈ひいては知識人の仮名であることに全く変わりはない。先に述べたように、種々の作品資料では漢文訓読調の文章が書き言葉の主流をなしていたわけだから(…)〉P186
 片仮名が知識人の仮名であったということ。
〈人間音声・擬音語の片仮名表記は、どうも江戸期の浄瑠璃・歌舞伎の中の音声表記から始まったように思われる。〉P188
 音声表記としての片仮名。その後外国語表記の役割をすることになる。
〈五十音図は、ちょっと見には用言の「活用表」などとともに、明治期に文部省が作ったような気さえしてくる(もともと「五十音図」型の活用表は、国学の本居派が作成したものである)。明治初期の小学校の教科書(読み方・綴り方など)は、多く洋学者と国学者の協同によるものである。(…)「仮名遣い」の大勢は、明治一〇年前後には「契沖型いろは仮名遣い」に決してしまう。国学者の復古への欲望と洋学者の近代開化主義への欲望は「仮名遣い」で一致する。〉P261~262
 このあたり、もう少し読み込まないとよく分からない。一つ言えることは歴史的仮名遣いと言っても「いろは」「あめつち」など色々あって、それらのうち契沖型を使うように制定したのは「明治時代」であったということ。歴史的、という名前だからもっと古いものかと思うが、そうではない。
〈「復古仮名遣い」とも称される明治期の「いろは仮名遣い」こそ、活字による言語の純一化・標準化の最も強烈な事例である。人々は活字によって身体を支配されるようになったのである。〉P264
 仮名遣いに対して、人々がエモーショナルな反応をするというのは、それが身体的なものだから、というのが著者の意見だ。

講談社選書メチエ 2019.6. 定価:本体1850円(税別)


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