『短歌人』2024年7月号
①寺阪誠記「一瞬を捉えた歌、気分に流された歌 長谷川麟『延長戦』の「当意即妙」性について」
〈歌の中に発話を導入することで一首を発話の瞬間にとどめることができる(…)口語は助動詞のバリエーションが少ないことがよく指摘されるが、発話の瞬間を捉えることは口語短歌において完了の助動詞を補うような働きがあるのではないか。〉
『短歌人』第五十回評論・エッセイ賞佳作の本論。とても興味深く読んだ。発話の効果を三つ述べているが、これはその三番目の効果。私自身の問題意識にも関連があり、刺激を受けた。
②寺阪誠記〈こうしたハイパー・メリトクラシーは企業や学校のみならず、私的な領域にも及んでいよう。それへの適応を余儀なくされる若者としては「当意即妙のアドリブ的言動」に長けたお笑い芸人がロールモデルに見えているのかもしれない。〉
ハイパー・メリトクラシーという用語を論の中で説明した上で、それを援用して歌の分析をしている。『延長戦』やそれに近い世代の歌を読む上での新たな視点をもらった論だ。
2024.7.15. Twitterより編集再掲