「評論のこぼれネタ」問題

 『塔』2020年6月号の「方舟」に寄稿した「子供は誰が」は、『塔』2019年11月号の「家族はどのように詠われてきたか」(評論【平成短歌を振り返る】の第七回)を書いた際のこぼれネタ的文章だ。

 評論を書く時に難しいのは何を書くかより、何を書かないか。調べたこと、考えたことをずらずらと全部書いても、読者には面白くない。一番おいしい部分を目立たせないと。と分かっているが、私の評論は受験勉強のまとめノートのようになりがち。あれもこれも入れたくなってしまう。

 一つの評論を書く時に、整理して削った部分も、その時には一生懸命考えたはずだが、時間が経つと何となく消えてしまいがち。だから短文でも『塔』の「方舟」に載せてもらえると、とてもありがたい。形にしておくって大事だと思う。またそこから新しい思考が続けられるかもしれないし。

 社会学の記録に残っていないことが文学に残っているんじゃないかというのが今回の発見。評論を書きながら夏目漱石の『坊ちゃん』を再読した。小説あるあるなのだが、若い頃に読んだのと全然印象が違った。坊ちゃんと呼んでくれる人がいるから『坊ちゃん』なのだと今回気づいた次第。

2020.7.5.Twitter より編集再掲