詩歌が読まれない理由(前半)【再録・青磁社週刊時評第四十三回2009.4.13.】

詩歌が読まれない理由(前半)   川本千栄

(青磁社のHPで2008年から2年間、川本千栄・松村由利子・広坂早苗の3人で週刊時評を担当しました。その時の川本が書いた分を公開しています。)

 雑誌「文藝」夏号(河出書房新社)を読んだ。特集は「穂村弘」である。短歌総合誌以外の雑誌でこのような特集を組まれるのは珍しいので興味を持って読んだ。この中で、巻頭の穂村弘谷川俊太郎の対談が大変に面白かった。短歌だけでなく、文学の他ジャンルにも、あるいは人間の持つ文化といった普遍的な問題に対しても触れてくる側面がある。
 対談の初めに穂村谷川に対して「僕は短歌をやっていて常に、たとえば音楽や映画、あるいは小説に比べても、詩や短歌は人気がない、読まれないなぁっていう絶望感があるんです。…僕は、詩がもっと読まれてもいいのに読まれていないと感じているんですけど、谷川さんはどう思われますか。」と質問している。まさにこの質問、というか問題意識は、穂村が「短歌研究」二・三月号の吉川宏志との対談で持ち出していたことと全く同じである。それに対する吉川との意識のズレを、この「週刊時評」で松村由利子が、さらにその松村の意見も踏まえて「未来」四月号の時評で田中槐が取り上げている。
 「短歌研究」の対談で問題になったことを簡単にまとめるとこうだ。まず穂村は、詩歌が他ジャンルの文化に比べて人気が無い、ということを吉川に問題点として投げかけた。しかし、吉川はそれは自明のものだと捉えており、他のジャンルでも売れているものはごくわずかで、それも広告という働きかけで売れているのだ、売れていない作品の中にも良いものがあるはずだが流通していかない、と述べる。二人の討論はこのあたりが最もかみ合っていないのだが、穂村は、消費の問題だという前に、ジャンルの吸引力や他者から見た魅力の問題だ、と強調する。大きくまとめると、なぜ短歌は(あるいは詩歌は)魅力はあるのに伝わらないのか、が穂村にとっては最大の問題意識なのだ。その後松村由利子吉川の意見に賛成の時評を書き、田中槐が、吉川松村に対して、歌壇内の議論は歌壇外に通じないという危機感くらいは持つべきだと批判している。
 こうした流れの中で谷川穂村の討論を読んだわけだが、穂村の問題意識に対して、谷川の返答は非常に明晰だ。

(続く)



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