知ったかぶりはやがて自分を刺すナイフとなる
ある日、先輩が
「これを△※○しておいて」
いいおいて、外出した。
「え・・・」
まったくわからない。
することも、言葉も。
周囲の人を見まわすが、何もなかったかのよう。
私のことを見もしない。
当たり前のことを言いつけられただけ、のようだ。
私は固まったまま何もできず、数時間後に帰社した先輩に盛大に叱られた。
当たり前だ。
「(指示を書いた)校正紙」に宛先を書いて、受付におろしておいてほしい、ということだったと知った。
「お前がさぼったから、印刷所に行くのが遅れた!!」
さぼったんじゃなくて、わからなかったんです~・・・
なんて、もちろん、いえない。
ではなぜ聞けなかったのか。
恥ずかしくて。
みんなが知っていることを自分だけが知らないことが、こわい感じで。
当時は「自分で習え」「知識は盗め」という雰囲気だった。
でも、わからなかったら聞くしかないのだ、と。
当たり前のことに気がついていなかった。
知らないことよりも、知らないことを聞けない方がバカなのだ。
何度も失敗をして痛感する。
これは、作業や専門用語ではなく知識となると、いつまでも続いた。
「今、流行っている☆●◇だけどさ~」
・・・知らない。
「この間の番組で、だれが一番よかった?」
・・・見ていない。
「映画のセリフでさ・・・」
・・・んんん?
そんなことばかりで。
知らない、わからない、見ていない、読んでいない。
教養もない。
無知を知る。
「無知の知」なんて言葉も知らなかった。
自分に知識がないことを自覚すること。
そして、その先。
知らないことを知らないといえること。
そして、その次に。
「教えてください」といえること。
これがなかなか難しい。
でも、いわないと、進めない。
「ああ、あれね~」なんて知ったかぶりをしていたら、いつまでも進めない、泥沼だ。
年を経るほどに、聞くのは難しくなって、恥ずかしくなる。
でも聞く。
そうすると、わかるのだ。
その内容が。
そして、また。
教えてくれる人。
わかりやすい言葉。
内容だけではない、その周辺のこと。
聞けば聞くだけ、知らないことがわかって、また知らないことがふえて。
また聞く。
聞かなかったら、今もその「無知」は私をジクジク刺すだけだ。
痛い。
そして進めない。
無知よりも聞かない自分、知ったかぶりした自分は、自分を何度も刺す、ナイフのようなもの。
私は今でも聞く。
あるときから、平気になってきた。
「う~ん、知らない。それ、何?」
ただ、厚かましくなったのかも、しれないけれど。
新入社員の時の失敗は数々あります・・・。昨日も書きました。
※イラストは香取キリコさんからお借りしました。ありがとうございます。
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