ギシリャ神話✒️キュクロプス~「変身物語」ガラテアの恋物語より~
漁師達が、のんびりと海辺で話をしていた。
「最近、あの化け物、出てこないなあ」
「キュクロプスの野郎だろ。やっこさん、人を襲って喰うどころじゃないんだと」
「恋しちゃったのよ~ってか」
下品に囃す男に、通りがかった商人が尋ねた。
「ポリュペーモスのことか? キュクロプスという一つ目種族で、この辺りの山に住み、船を襲うと聞いているが」
漁師たちは、一様に頷いた。
「ガラテアって、そりゃあ綺麗な女神様がいるんでさあ。とびきり白い肌の」
「ああ。巨人野郎は、すっかりいかれちまったのさ。なんとか気に入られようと、あの手この手で」
「熊手で、ごわごわの髪の毛を梳いていたらしいぜ」
「鎌で、ぼうぼうの髭を刈っていたらしいぜ」
「そんで、そのご面相を水面に映して、化粧してたんだとよ」
哄笑が沸き起こる。
「ほう。そんなわけで、狼藉を働く暇が無いというわけか」
商人は、納得すると、笑みを浮かべた。
「そりゃ、有難い。平和で良いな。このまま、その恋が続いてもらいたいものだ」
★ ★ ★ ★
「アーキス!」
弾んだ声に、一人の少年が振り返った。
輝くばかりの容貌。十六歳になったばかりの初々しい頬が、うっすらと赤く染まった。
「ガラテア! また会えたね」
美しい女神は、小走りに駆け寄った。愛しい少年に抱き付く。
彼も、愛する女神を抱き締めた。
なんと似合いの恋人同士であろう。
互いに、並外れて美しい。
ガラテアは、種族としては、女神の端くれ。
対して、アーキスは、祖父が河の神様ではあるが、単なる人間だ。
でも、そんな違いを超えるほど、二人は固く結ばれていた。
「アーキス、好きよ……」
ガラテアは、柔らかな産毛の生える彼の頬に口づけた。
恋人たちの時は、あっという間に過ぎてしまう。
岩陰に隠れ、愛の言葉を囁き合い、抱きしめ合う。
「大丈夫かな。あのポリュペーモスに見つかったりしたら」
アーキスが、不安を口にした直後だった。
うおおぉ……
恐ろしい咆哮が、上から降って来た。
真上だ。自分たちの隠れた岩間の上に、あいつがいる!
聞くに堪えないガラガラ声が、続いて聞こえてきた。
「おお、美しいガラテア……。なぜ、俺のものにならぬのだ。みずみずしい果物を、山ほどの家畜を、お前に贈ろう。なんの苦労も無い暮らしが、できるのというのに」
ガラテアとアーキスは、声も無く見つめ合った。
大丈夫。この下にいることは、気取られていない様子だ。
「俺の大きな体を見ろ。立派なものだろう。そりゃあ、目は一つしかないが、太陽神だって一つ目じゃないか。それに、俺の父親は、海の神だ。ガラテア、俺と結婚すれば、お前の舅になるんだぞ。素晴らしいだろう」
ポリュペーモスと結婚?
あり得ない。
ガラテアの顔色は、紙のように白茶けた。
ぞっとする。こいつは、一体何を言っているの。
すると、巨人の独り言は、一転して恨みがましい色を帯びた。
「なのに何故、お前は俺を袖にして、アーキスを愛するのだ……。どうして、この俺よりアーキスの方がよいのだ。ふん。せいぜい、のぼせ上っているがよい。お前たちを見つけたら、俺の力を見せつけてやるぞ。アーキスのはらわたを引っ張り出し、手足をもぎ取って、波間にばら撒いてやる!」
ひっ……
耐えきれず、アーキスの喉元で悲鳴が凍り付いた。
ほんの僅かな声。だが、恋に狂う巨人の耳には届いてしまった。
「見つけたぞ!」
岩間の上から、大きな顔が覗き込んだ。
巨大な一つ目が、らんらんと燃えている。
ポリュペーモスは、雄叫びを上げると、襲い掛かってきた。
「きゃあああっ!」
二人は、岩間から逃げ出した。
ガラテアは、恐怖で我を忘れていた。
はっと気づいた時、愛しいアーキスは傍にいなかった。
自分だけ、海に飛び込んで難を逃れていたのだ。
あそこだ!
女神の瞳が、離れた岩場で逃げ惑う少年を捕らえた。
助けを求める声が、女神の耳には届いた。
「助けてくれ、ガラテア。おお、神たるお祖父様よ、助けて。殺されてしまう!」
猛り立つ巨人は、追い詰めた恋敵を逃しはしなかった。
そして、その巨大な体躯でしか無し得ぬ攻撃をやってのけた。
なんと、山の一部をもぎ取るや、投げつけたのだ。
どぉーん……
衝撃で大地が震えた。
「なんてこと……」
ガラテアは、呆然としつつ、その場に駆け付けた。
アーキスの全身は、哀れ、完全に下敷きになっていた。
巨大な岩の下から、深紅の血が滴っている。
もう、絶対に助からない。
だとしたら、もう、これしか手は無い。
「シュマイトス河の神よ、あなたの血を受け継ぐ孫を、あなたと同じ者にして下さい。どうぞ、お願い」
ガラテアは祈った。
すると。
さぁ……っ
巨岩から流れ出していた紅い血の川が、みるみる透き通った。
と、すぐに水流は勢いを増した。
がっ
岩を裂いて、水が跳ね出す。
すると。
豊かな水流から、若者の姿が現れ出でた。
腰から上だけが、流れから生えている状態だ。
牛の如き角を生やしているが、その顔は美しい少年のもの。
生前よりも身丈が大きくなり、顔全体も青い色だが、まぎれもない。
それは、アーキスであった。
「ガラテア、さあ、俺の妻となれ。邪魔なアーキスは、もういないのだから」
ポリュペーモスは、嬉々として迫った。
彼さえいなくなれば、美しいガラテアは、自分のものになると思い込んでいるのだ。
「……いいえ。アーキスは、河の神様になったのよ。愚かな一つ目のキュクロプス、あなたなんかが、彼に敵うと思って?」
ぐおぉぉー!
巨人は、悲痛な雄叫びを上げながら、どしんどしんと去って行った。
これで諦めてくれるかしら。
それは分からない。だが、未来永劫、自分はポリュペーモスの求愛を受け入れることは無いだろう。
そして。
水流から出ている大きな青い顔を見つめながら、ガラテアは思い知っていた。
アーキスとも、再び恋人同士として結ばれることは無い。
彼の滑らかな唇。柔らかい頬。抱きしめ合う、暖かな体。
好きだった。
自分は、人間だった彼に恋していたのだ。
「……アーキス」
ガラテアの唇が、震えた。
それは、幾度も呼びかけた、愛しい恋人の名では無くなっていた。
アーキス河。
それは、新たに生まれ出でた、この河の名前であった。
オウィディウス著「変身物語」にある「ガラテアとアーキスの恋物語」より再話しました。
私自身の考察を含んだストーリーになっています。
ちなみに。ガラテアは「海のニンフ(妖精)・女神」と書かれておりましたが、紛らわしいので「女神」だけとしました。
アーキスに至っては、母親が水のニンフ(妖精)。父親は牧神パーン(半神=半分神さま)。母方の祖父が、河の神様です。混血が過ぎる💧
じゃあ、彼自身は何?
「美少年」とだけ書かれていたので、こちらも種族としては「人間」としてしまいました。
別種族の特別なパワーを持っていたならば、殺されそうになった際に、自分でその力を使っている筈ですから。
「変身物語」は、ギリシャ神話の登場人物が色んなものに変身していくエピソードを集めた物語です。
有名どころだと、「水仙になったナルシス」。
「蜘蛛になったアラクネ」は、こちらに考察を書いております。
なんというか、ガラテアはアーキスの人となりを「愛して」いたわけではないと思うんですよね。
もしそうなら、身を挺してポリュペーモスから彼を庇った筈。
ただ、美少年の彼と恋をしていた。
激しく燃える炎。真剣だったが、それだけだった。
アーキスに死んで欲しくない。
でも、彼が人間ではなくなって、河の神様となったとき。
恋は終了してしまった。そうなると思う。
さて、いつも考察だけでは芸が無いと思い、今回は短編のお話にしてみました。
初めてnoteにお話を投稿します。
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こちらの絵画で、詩を書きました。
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