見出し画像

極限状況下におけるサバイバルの手記を紡ぐ珍しいゲーム!?「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」評価版を体験してみました

地上はほとんどゾンビのうごめく地獄と化している。
ゾンビに傷を負わされると自分もゾンビになるらしい。
奴等はそこまで動きが早くないが、地上にいるといずれ捕まってしまう。
我々はタワマンの上層階にて、残りの食料などと相談しながらやり過ごすことにした。

Day.1/カード「眼」

…ということで、最近休みになるとどこかしらのボドゲ会に入り浸っているという噂のchitoseArkでございます。本稿の出だし、いきなり何が始まったのかと思われた方もおられましょう。実はこれ、とあるゲームのプレイ中に筆者が書いた日記の一部なのです。

そのゲームの名前は「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」。作者は「ぷよぷよ」「はぁって言うゲーム」などの実績でゲーム業界にその名を知られるゲーム作家の米光一成氏。2024年秋のゲームマーケットで頒布するとのことで、今回はそのテストプレイに参加させていただきました。

エモーション・ストーリーメイク・ゲームとは

タワマンの屋上扉を何とかこじ開けることに成功した。
ここにはゾンビはいない。が、かなりの数の武器が打ち捨てられている。
戦争でもおっぱじめるつもりだったのだろうか?
俺はマシンガンを、パートナーには火炎放射器を持ってもらうことにした。

Day.2/カード「銃」

米光さんのnote記事によれば、本作を「エモーション・ストーリーメイク・ゲーム」と名付けているようです。聴き慣れない言葉であり、どう定義したものかと考えてしまいますが、先のnote記事からの記述を拾って言うなら「何らかのルールがあって物語を作っていく」ゲームという説明がもっともしっくり来るような気がします。

「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」の物語は以下のような冒頭で始まります(これは評価版のテキストなので、製品版では変更されている可能性があります)。

ゾンビが現れ、あっという間に周囲の人々がゾンビ化してしまった。君たちふたりは逃げ続けている。他の人間はもういないのだろうか。手帳とペンを拾った君は今日から日記を書くことにした。

ここに記されているように、このゲームの目的は日記を書くことです。それも「周囲をゾンビに囲まれている」という極限状況において、生存中の状況を、自身の想像力のままに書き綴っていくのです。

Pixabayより

冒頭の文章には「君たちふたりは…」とあります。相手は恋人でしょうか?それとも仕事上の仲間なのでしょうか?あるいはライバル関係なのですが、危機的状況により一時的に手を組んでいるのかもしれません。

とは言えこれはゲームなのですから、何もかも自由創作というわけではありません。本作における主人公たちを巡る状況は「ゾンビカード」と呼ばれるカードによってある程度決められます。カードは「愛」「眼」「傷」「銃」の4種類があり、冒頭を含めて物語の要所要所で引くことになります。

例えば今回のゲームでは、最初に引いたカードにより主人公たちの状況は次のようなものであることが分かりました。

相手:パートナーの関係
場所:タワマンにいる
状況:タキシードを着ている

アバウトではありますが、これで主人公と相手の関係、自分たちがいまタワマンにいること、そして何故かタキシードを着ていることが分かりました。これらの要素を元に、これから話を膨らませていくわけです。
(タワマンはともかく、タキシードについてはガン無視してましたが…)

なお2人の名前も設定するように言われたので、0.5秒くらい熟慮した末、「あーく」と「ちとせ」に決定いたしました(笑)。

物語の大筋はカードによって決する

そこにはまだ役立ちそうな武器が転がっていた。
が、武器が多ければ良いというものではない。何しろこちらには2人しかいないのだ。
ふと足元を見ると、銀製の短剣を見つけた。
不死の者には銀の武器が効くと噂で聞いたことがあるが本当だろうか?
俺はそれをひとりそっとふところにしまった。
相棒にこれを渡したところで使いこなせないと思ったからだ。
--------
■ ポケット

Day.3/カード「眼」

この「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」では、物語の中でいう1日単位ごとに異なる状況を与えられます(引いたカードにより決定)。Day.2では武器を発見し、Day.3では主人公「だけ」がポケットに何かをしまったことが明らかにされました。ただしそれらが「何」であるのかは語られません。何故なら、それはプレイヤーがその状況に思いを巡らせ、自身の想像力にて書き記すものだからです。

今回の物語で、どうやら私はタワマンの屋上に追い詰められ、そこで大量の武器を見つけたという展開を想像したようです。さらに私、パートナーには内緒で自分だけ護身用の武器を懐にしまったとか。「相棒」などと言ってはいますが、主人公がパートナーのことをどう思っているかが次第に明らかになってきましたね。さて、次のカードは…。

そのチェックは希望をつなぐ伏線か、それとも…

確かにゾンビに有効そうな武器を独り占めした俺もほめられたものではない。
だが、相棒だって人のこと言えたものじゃないぜ?
俺は見た。奴が何かをポケットにしのばせるのをな。
だがそれもいい。裏切ったりしたら報いを受けるのは奴なのだから。
--------
■疑心暗鬼

Day.4/カード「傷」

何か文章が次第に雑になっていくな…(苦笑)。読者の皆様にはお見苦しいところをご覧いただき、少々申し訳なく思っております。

このテストプレイの状況について少しお話ししておきましょう。

「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」は基本的にソロプレイ(1人用)を想定してデザインされているようなのですが、この日は私を含めて3人のプレイヤーが参加しておりました。

とは言え基本的にこのゲーム、めくったカードに従い自分だけの物語を紡いでいくだけですので、プレイ中は試験中の学生のごとく、ただひたすら紙に向かってカリカリカリカリ書いているのみです(ゲームしてる最中にしてはかなり異様な光景ですよこれ)。

PHOTO ACより

別に時間制限があるわけじゃないし、自分の物語は自分だけのものなので、そういう意味では他人を気にする必要は特にないのですが、でもやっぱり他のプレイヤーの進行状況とか気になるものなんですよ。私、じっくり書き込み過ぎてみんなに後れをとっているんじゃないかとか、どうしても気になるものなんですね。

そうなるとついつい勢いで話をでっち上げてしまい、整合性とか伏線とかはその辺に置いといて、とにかく何でもいいから書いてしまえ的な感情にどうしてもなってしまい、その結果出来上がったのがあの有り様という次第なのです。いやまぁ、そんなん言い訳にもなりゃしませんけどね。

整合性とか伏線って言えば、このゲーム、カードによって導かれた先によっては、「○○○○にチェック」を付けるよう指示されることがあるのですね。私の場合、Day.3では「ポケット」に、Day.4では「疑心暗鬼」にチェックを付けるように指示がありました。なので、とりあえずそれっぽい話を何とかでっち上げるように書いたのですが、これが何かの伏線だとして、この先で回収できるように話がまとまるかなぁ?

クライマックスに向かう物語

所詮、タワマンの屋上にたてこもるなんて考えが甘かったのだ。
ここはすぐにゾンビの群れに囲まれることとなった。
相棒が火炎放射器で応戦するも、次から次へと登ってくるゾンビがその数を減らすものではない。
俺のマシンガンの弾薬も尽きそうだ。
相棒が持っていた火炎放射器を打ち捨てた。燃料が尽きたようだ。
さて、どうしたものか…。

Day.5/カード「銃」

「さて、どうしたものか…」ってのんきに日記書いてる場合かよお前!…ってツッコミのひとつも入れたくなる場面ですよねこれ。自分で書いといて言うのも何ですが。

もちろんこれを書いてる時点ではこの話がハッピーエンドかバッドエンドか分からないので、こんな詰ンデレ…もとい!詰んでる展開を書いてしまって後のことがどうなるかなんてことはまったく考えてません。締め切りブッチしまくって編集部の担当に詰められ、無理くり原稿書いてる小説家の心境はこのようなものなのか?「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」とは物書きの悲哀を体験できる稀有なシミュレーションゲームだったのか!?

無理やりな物語はクライマックスへ。
結末は、カードだけが知っている!!

振り返って思う…これはゲームなのだろうか!?

結果から言うと、俺達は助かったのだ。
理由は、相棒がパラシュートを先程拾っていたからだ。
相棒はパラシュートを開こうとした。が、開かない。
開かなければ脱出も何もない。
どうするか。
その時、俺は先程ふところにしのばせた銀製の短剣を思い出した。
迷っているヒマはない。
俺はすぐに短剣を取り出すと、パラシュートを閉じているヒモを解き、相棒を抱えて地上へとダイブした。
地上にはゾンビはおらず、俺達はあの地獄からの脱出に成功した。
俺は相棒に疑っていたことを謝った。
が、よくよく聞けば、奴も俺のことを疑っていたらしい。
俺達はお互いにバーで1杯ずつおごり合うことでノーサイドとしたのだった。

Day.6/カード「愛」

ということで、かなり強引ながらハッピーエンドに持っていきましたとさ。何か某メロスみたいなエンディング(笑)。最後に引いたカードが「愛」で良かったねぇ。パラシュートってポケットに入れられるような大きさなんでしょうか!?そんなことは知りません。とにかく物語はここで終わりです。お疲れ様でした私!!

私が今回テストプレイで書いた物語(原文)。
まさに「書き殴った」という感じですよね…

フタを開けてみれば、3人の中で一番早く書きあげたのは私だったみたい。ゾンビに襲われて頭がどうかしてたとはいえ、いくら何でももうちょっと丁寧に書くべきだったと反省しています。最後はみんなが書いた物語を順繰りに発表し合い、お互いの作品を称え合ったのでした(私の左隣の方、「彼岸島」みたいな設定の泣けるお話で凄く良かったです!!)。

そして振り返ってあらためて思うのです。
「はたしてこれはゲームなのだろうか!?」と。

確かに引くカードによって状況が変化するという面はあるものの、やってることはただひたすら書く、与えられた状況をもとにお話しを作る、これだけです。これはゲームと呼べるものでしょうか。

これについては賛否両論あることでしょう。
私なりの見方を言えば「ゲームと呼べないこともないんじゃないか」というのが、本作をプレイしての正直な感想です。

確かに、ゲームを「勝敗を決する手段(遊戯)」という向きで見るならば、これをゲームと見なすのはいささか無理があるかも知れません。

ですが、じゃあRPGはどうなのか?マーダーミステリーなどはどうなのか?昨今のイマーシブ体験、あれだってプレイヤーの選択によって結末が変わることがあるから、ゲームって言えなくもないよね?これらのジャンルに共通して言えるのは、様々な要素があれども、最終的にはそこに何らかの物語が生み出されることをひとつの狙いとしていること。ならばこの「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」にしても、そこに至るまでの手段が異なっているだけで、根っこの部分は同じなのではないでしょうか?

(そう言えば、ファミコンで「ドラクエ」が発売された頃も「あんなものはゲームではない!」という輩が結構な人数いた気がするなぁ…)

とは言え、「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」はそのプレイ感覚や体験内容が、これまでのどんなアナログゲームとも異なっています。青春時代の大半をRPG(主に「TRPG」)に捧げてきた私ですら、そこに戸惑いを感じてしまったのは否定せざるべき事実なのです。

そういう意味では、この「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」をゲームとして世にリリースしようとしている米光さんに対し、その思い切りというか勇気に強く心を動かされました。「エモーション・ストーリーメイクゲーム」と呼称するこの試みが、アナログゲーム界における新たなジャンルへの道を切り拓くことを期待します。

「ゆぃかセレクションゲーム会」についてご紹介

ところで私が本作に出会えたのは「ゆぃかセレクションゲーム会」というのに参加したのがきっかけでした。これについて紹介しておきましょう。

このイベントは、“一緒に遊べるアイドル”として活動しているゆぃかさんが、ボードゲーム作家諸氏を会場に招き「作者直々にインストしてもらえるゲーム会」というコンセプトで開催しているボードゲーム会です。

今回取り上げた「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」の作者である米光さんは、本イベントの初期から関わっておられたようです。

一般のプレイヤーからしてみれば、ゲーム作家の方とお会い出来るうえに、そのお方直々に遊び方をご指南いただけるという大変ありがたいイベントでありますが、作家の側からみれば今回のようにリリース予定のゲームをロケテストできる貴重な場でもあるわけです。

ちなみにゆぃかさんが「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」をプレイした印象は「自分が天才かもしれない!!と錯覚出来るゲーム」だそうです。

なるほどそういう見方もあるのか…。私は自身の書いたあの有り様の作文を見て、むしろあまりの文才の無さに絶望した次第ですが、普段ストーリーを書くような機会があまりないので、そういう意味では自身の新たな可能性を見出したと言えるかも知れないです。

そんな気付きを得たところで、本稿はこれにて締めたいと思います。

まったく新しい物語創作体験「ジャーナリング・オブ・ザ・デッド」。次回のゲームマーケット(2024秋)にて頒布開始とのことなので、気になった方はぜひチェックしに来てみることをオススメします。それこそ作者ご本人様に直接お会いできる機会ですので!

(了)

いいなと思ったら応援しよう!