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古典文法講義4 中古文法

古典文学といったときに、その作品は平安時代のものもあれば、江戸時代のものもある。明治時代や2000年代の作品は古典文学とは通常言わない。

特に学校教育では古典文学とは、江戸時代までの作品を指す。

だから、福沢諭吉の『学問ノスゝメ』や森鴎外の『舞姫』が、いくら現代人の我々にとって馴染みの薄い文体であっても、これらを古典文学とはあまり言わない。

それでは、「古典文法」はどの時代の文法なのか。

言葉は時代によって変わっていく。単語の意味や発音が変わっていき、それまでは用いられないような言葉の構造が現れてくることもある。そのため、もちろん文法も変わっていく。

ところが、学校で教えるためには、ある程度目安が必要である。平安時代と江戸時代とでは、言葉の意味も発音もかなり違う。それらについて詳細に論じるのは難しいだろう。

そこで、学校で「古典文法」と言ったときには、基本的には「中古文法(ちゅうこぶんぽう)」を扱うことになっている。

中古とは時代区分の呼び方の一つで、概ね平安時代のことである。つまり、学校では平安時代の文法を、「古典文法」と言って教えている。

もちろん、平安時代の文法ひとつとっても、さまざまな学者がさまざまな学説を立てている。ここでも、「学校文法」というものが作られて、それをひとつの「正解」として、学校で教えているのだ。

学校で扱う古典文学は、平安時代の作品だけではないので、時にはこの「古典文法」が通用しない場合も出てくる。奈良時代や江戸時代の古典文学を解釈するときに、この「古典文法」では説明がつかないものも当然出てくるのである。

とはいえ、最初に触れたように、学校教育の中で古典文学を理解するのに、厳密な古典文法は必要ない。

百歩譲って、古典文法を通して作品を分析し、味わうこともあるが、その際にもこのある意味で不完全な「古典文法」で十分なのである。

さらに書籍や大学で研究したいといった場合には、他の時代の言葉や、さまざまな学説を知ることで、より興味深い考察をしていくことになる。

そうでない多くの生徒にとっては、この「古典文法」で十分である。というか、文法書や文法テキストに記されている内容は、古典文学を楽しむには多すぎると思う。

言語学(この場合、特に国語学と言ったりする)的に古典文学を楽しむのでなければ、「古典文法」はいらない。


(執筆者)吉村ジョナサン
作家。高校や学習塾などで長年国語科教育に携わる。Podcast番組「吉村ジョナサンの高校古典講義」で古典文学作品を紹介している。著書に『10分で読める高校古典文法』『50分で読める高校古典文法』など。

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