日本の100名城制覇!(埼玉県編/鉢形城、川越城、忍城、杉山城、菅谷館)
【鉢形城】
鉢形城は寄居駅から徒歩約25分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。
鉢形城は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に、天然の要害として山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したと伝えられています。
その後、小田原の北条氏康の四男・氏邦が大修築しますが、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めで豊臣方の大軍に囲まれてしまいます。
1か月余りにおよぶ籠城の末、氏邦は城兵の助命を条件に城を明け渡しました。
そして、開城後に間もなく廃城となりました。
【川越城】
川越城はJR「川越駅」からバスで「札の辻」まで行き、そこから徒歩約8分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。
川越城は扇谷上杉持朝が家臣の太田道真・道灌父子に命じて築城したことが始まりとされています。
江戸の「大手」は小田原城、「搦め手」は川越城といわれるほど江戸にとって重要なお城で、江戸時代には徳川の譜代大名が代々城主となりました。
知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が藩主となると、城を拡張改修して城下町が整備されました。
ちなみに、川越は「小江戸」と呼ばれ、蔵造りが並ぶ「蔵の町」として岡山県倉敷市、福島県喜多方市と共に「日本三大蔵の街」に選ばれています。
スターバックスも川越仕様でした!
【忍城】
忍城は秩父鉄道「行田市駅」から徒歩約15分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
関東七名城のひとつに数えられた忍城は、室町時代に築城されたとされています。
上杉氏や北条氏の侵攻を幾度となく退け、1590年の豊臣秀吉による小田原平定の際には石田三成率いる2万3000の軍勢に水攻めされましたが、これに耐え「浮き城」と呼ばれました。
小田原北条氏の降伏後に忍城も開城され、徳川家康が関東入りすると譜代の有力な大名が入れ替わり入城しました。
そして、忍城の城主は江戸時代中期まで老中など幕府の要職を務めました。
【杉山城】
杉山城は東武東上線「武蔵嵐山駅」から徒歩約40分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
杉山城は戦国時代の山城で、高度な築城技術が使われていることから「築城の教科書」と言われています。
一方で、城主や築城年代については諸説あり、不明な点も多いお城となっています。
発掘調査の結果、戦国時代中期に山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗するために築城したという説が有力となっています。
【菅谷館】
菅谷館は東武東上線「武蔵嵐山駅」から徒歩約15分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
菅谷館は鎌倉幕府初期の有力御家人であった畠山重忠の居館と伝えられています。
重忠が執権北条氏に謀反の疑いをかけられて討たれ、滅亡した後、山内上杉氏が館跡を菅谷城として再興し、16世紀前半まで拠点としました。
その後は後北条氏によって使われたという説があります。
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇