家康、「たぬきおやじ」覚醒
「信長を殺す」
家康が家臣たちに告げた胸のうちは、あまりにも唐突でサラリと言い放ったものでした。
というか、急に穏やかになった家康にどうにも違和感は大アリだったのですが、最後にオチましたね。
数々の辛酸を舐めてきたきた家康は、とうに堪忍袋の緒は切れて、心の奥底には真の怒りが煮えたぎっていたのでしょう。
それでも表情には一切見せない。
そんな芸当を会得したのはこのあたりからなのか。
ここに、後々まで「たぬきおやじ」と陰で言われる所以となるスタイルはここに誕生しました。
今後、「関ケ原の戦い」や「大坂の陣」でしたたかな采配を見せる素地が出来上がったのです。
ここから、本来の家康らしい本領が発揮されるのでしょう。
妄想、築山・信康事件
メルヘン?リアル?どっちのタイプ?
過去のどんな作品においても「悪妻」として描かれていた瀬名が、今回は初めて良妻賢母として描かれていました。
これは当初から面食らった部分の一つで、何より「築山事件」がどう描かれるかが、大きな見せ場だと期待せずにはいられませんでした。
ところが、
「奪い合うのではなく、
与え合えば良いのです」
このセリフは夢物語すぎて、見ている現代人の私でさえ、「へ?」と固まり、虚を突かれてしまいました。
というのも、それまで、思慮深く大きな視野をもち、常に冷静に現実を見てきた瀬名が、急に何言ってるのだろうと思ったからです。
そんなの無理に決まってる。
食うか食われるかの戦国の真っ最中に通るわけがない。
そうするためには誰かが天下を治めて、システムを変えられるほどの力を持たなくてはならない。
それまで超がつくほどリアル主義だった瀬名が、急にメルヘンを語るなんて、ちょっと無理があったように思います。
いつからそんなメルヘンチックになっていたのだろう??
瓜田に履を納れず、
李下に冠を正さず
瀬名が悪妻だったのか良妻だったのか、どちらにしても、彼女が紛らわしい行動を取った事に違いはないのでしょう。
今回の大河の設定も、疑われて当然の行動であり、それまで思慮深い瀬名が、急にこんな詰めの甘いことをするなど考えにくい。
このあたりは、もっと突っ込んだ辻褄の合う筋書きが欲しかったと思わずにはいられません。
まるで強く・優しく・潔くの3拍子揃った聖人のような瀬名でも、人を信じ切った甘さで身を滅ぼしたということですか?
今一歩、強い理由が欲しかった。
実際、この事件の詳細な記述は残っておらず、武田方と内通していたかどうかはわかりません。
その分、妄想し甲斐があるのですが、あと一歩のところで辻褄が合わず、1ピース足りないパズルのような感じがします。
五徳との嫁姑問題だとか。
信康が粗暴で夫婦仲が悪かったとか。
理由は様々に取り沙汰されていますが、確定できる史料はなく、すべては闇の中。
築山殿(瀬名)を悪女とするものは、後世の江戸時代に書かれたもので、北条政子や日野富子がそうであったように能力ある女性はたとえ権力者の正室であっても悪女として描かれがちです。
それを思うと、大河における瀬名の人間像もあり得ない事ではないのかも。
その一方、
瀬名はとうとう家康の居住する浜松城に同居することはなく、信康とともに岡崎城に居続けたのは、どう考えても不自然です。
この事は家康との夫婦仲はとっくに破綻しており、瀬名の精いっぱいの反発だったとも取れるのではないでしょうか。
そしてこれが家康と信康との父子の間も遠ざけ、関係が悪化する要因となったはずです。
このことから、現在では信長の命令だったという説よりも、家康自身が二人の殺害を命じたとする説を有力視しています。
さて、本当のところはどうだったのでしょう。
最初にばら撒かれた伏線が、ここにきてソレなりに回収されたようですね。
今後の回収劇も見もの
さて、家康が家康らしさを覚醒させ、ある意味生まれ変わった今、すでに様々な伏線が見えてきました。
「本能寺の変」の黒幕は誰?
このタイミングでの冒頭の家康の発言は、間近に迫る「本能寺の変」の黒幕は家康ではないかと匂わせています。
それとも、何かの魂胆が見え隠れする羽柴秀吉なのか?
明智光秀の独断か?
一般的には他にも複数の黒幕説はあるものの、今年の大河ではカットされているので、この三者に絞られました。
もし、家康が首謀者だったとしたら、信長の誘いを受けて安土を訪れた後、畿内を遊行したり、命からがら落ちのびた「伊賀越え」をどう結びつけるのでしょうか?
家康が画策した事なら、当然ながら自分の帰路ルートも用意周到に考慮していたはずで、呑気に畿内を巡っている場合ではないはずです。
三者三様の思惑をどう絡めてくるのか、大きな見どころを迎えました。
私が歴史に目覚めた大事件
過去の大河ドラマをはじめ映画でも、何度も「本能寺の変」は描かれ、それぞれの描き方に違いはあっても、大きく軌道を逸することはありませんでした。
しかし今回の脚本家の古沢さんは、意表を衝く展開が多いだけにどのように仕立て上げたのか、非常に楽しみです。
何を隠そう、まだ小学生だった私が高橋英樹さん主演の「国盗り物語」での「本能寺の変」で衝撃を受け、歴史にハマるきっかけとなりました。
それをどう解釈して、どうオチを付けるのか、楽しみでなりません。
登場人物も、時代設定も、歴史的大事件も全てが使い古された定番の物語を、どのように描くのか、今後の古沢さんの手腕に着目しましょう。
松山ケンイチの再登場は?
気になる見せ場の一つ、本多正信こと松山ケンイチの再登場も気になります。
三河一向一揆で追放されて、すでに久しく、そろそろ再登場するはずですが、それがもし秀吉との対決である「小牧・長久手の戦い」であるなら、残念ながらもう少し先ですね。
今や家康は「たぬきおやじ」へと変貌しすっかり様変わりしています。
そんな家康と、飄々として掴みどころのない正信との対話も大きな見どころかと思います。
例え主君の家康であっても物怖じせずズバリと意見し、「裏切り」の前科を持つ上、今後もいつ裏切るかもしれない正信を、どういうやり取りがあって、重用してゆくのかも大きなポイントです。
そこには家康VS正信の世紀の一戦があるはずです。
これもまた、とても待ち遠しいシーンです。