それぞれの修学旅行事情
前回の記事で、少しだけ奈良・法隆寺に触れたところ、いただいたコメントの中に、修学旅行が奈良だったという記述がお二人ほどおられ、私は地味に驚きました。
というのも、私が奈良へ行って、修学旅行と思われる団体に遭遇した事はなく、逆に京都ではしょっちゅうで、海外からの修学旅行生も見かけるほどでした。
そう言う事もあり、近畿圏への修学旅行候補地は京都が定番なのだと思い込んでいました。
考えてみれば、住んでいる地域や、年代によって修学旅行先は千差万別で当たり前なのだと、今さらながら気付かされました。
その矢先、maruさんがご自分が体験した修学旅行についての詳細を記事にしてくださいました。
読ませていただくと、実にしっかり記憶されているのには驚かされました。
中学の修学旅行が「日光」だった事が、私にはとても羨ましい。
大阪から日光へ行くにはかなりの決心が要ることで、先日の犬山のようにはとてもいきません。
さて、私はと言えば、一生懸命思い出してみても断片的にしか記憶になく、なんとも曖昧であることを恥じ入るばかりなのです。
そんな貧しい記憶でも、なんとか搔き集めてみたいと思います。
私の修学旅行
大阪の人間にとって、京都や奈良の市内は基本的に遠足圏内です。
奥まったところ以外は、宿泊してまで行くところという感覚はなく、個人的にも日帰りで行くのが当たり前のところなのです。
では、大阪人はいったいどこへ修学旅行として出向くのか?
ひとつの例として、私の体験を書かせていただきます。
●小学校は「伊勢」
もちろん、「伊勢神宮」へも行ったはずですが、まったく憶えていない💦
木々が生い茂っていた事と、砂利道?だけの記憶しかなく、そこが日本の総氏神であるという認識などは皆無で、静謐な空気さえ、つゆほども感じていませんでした。
ただ記憶にあるのは、「夫婦岩」で、傾きかけた夕日を背に縄で繋がれた二つの岩です。
おそらくその周辺の旅館に泊まったはずで、何より楽しかったのは、就寝前の「枕投げ」で、先生に怒られた事や、夜中まで見回る先生の様子などが妙に思い出されます。
●中学校・高校は「九州」
中学校は地域の公立で、高校は私立だったのですが、偶然にもどちらも「九州」でした。
正直、高校の時は
「またか…」と、贅沢にもテンションは下がったのを憶えています。
出来るなら全く違うところに行きたかったと思ったわけです。
確か次の学年から「北海道」になったと聞き、すごく残念に思いました。
一応の違いは、中学は「北九州」だったのに対して、高校は「九州一周」という区別はありました。しかし決して一周したわけではありません。
長崎~熊本~宮崎と、斜め縦断?だったと記憶しています。
長崎県の「グラバー邸」や「雲仙地獄めぐり」も行きましたが、それが中高のどちらで行ったか?それとも2回行ったのか、思い出そうとしてもさっぱりわからない。
おそらく写真を見ればわかるのでしょうが、押し入れの奥深くにしまってあるので、今、探し出す気合はありません。
感動したのは熊本県の「阿蘇山」。
快晴で火山の状態も安定していたので、河口付近まで登る事ができ、その時の光景は今もしっかり目に焼き付いています。
大自然の驚異的な営みを無条件に感じてしまいました。
力強い、絶対的なものの前に、自分の存在など、ほんの小さなものだと思い知らされました。
あとは宮崎県の日南海岸で見た「鬼の洗濯板」も見入ってしまった景色です。
延々と続く、岩の芸術には単純に感心して、ここでも自然の不思議さを感じました。
息子たちの修学旅行
さて、平成生まれの息子たちの修学旅行はというと、同じ大阪からでも、内容はガラリと変わっています。
●小学校は「広島」
長男・次男ともに、宮島の「厳島神社」、「原爆ドーム」や「平和記念資料館」などです。
いつから広島になったのか知りませんが、おそらく戦争を知らない世代の方が全体人口の過半数を占めるようになった頃からでしょうか。
戦争という歴史的事件を風化させないための取り組みなのでしょう。
その後の授業にも、「戦争」に関して話し合う機会があり、班ごとにレポートを大きな模造紙にまとめて、参観日で発表していました。
それぞれ買ってきたお土産が、
長男がもみじ饅頭3箱。
そんなに誰が食べるねん。
次男が宮島の景色を描いたシブい立て絵。
そんな絵、どこに飾るねん。
極端に違う趣味に、親としてはなんとも形容しがたくツッコミどころ満載でした。
●中学校は「島根」、「長野」
長男は島根県。
次男は長野県。
二人とも地域の同じ中学だったのですが、3年差で行先は変わったものの、内容は同じ「民泊」です。
その土地の風土や自然に触れて、地元の方々の自宅に分宿し、生活丸ごと体験するという趣旨の修学旅行です。
二人とも、初体験のこともあったので、なかなかの刺激になったようで、学ぶことが多いものでした。
「民泊」を私自身が未経験なので、どんなものか想像し難いものでしたが、現地の人と触れ合う事で、初めて知る事も多かったことでしょう。
●高校は「ドイツ」
二人とも、地域ではない同じ私立高校へ進学しました。
しかも修学旅行の行先は「ドイツ」。
ついに修学旅行も海外へ行く時代なのだと、しみじみ感じたものでした。
早々と1学年の3学期に長崎県・五島列島の「小値賀島」か「ドイツ」かのどちらかを選択し、行先に応じた費用の積み立てが開始されました。
小値賀島もなかなか魅力的な美しい島なので、二人ともかなり迷った理由は小値賀島では民泊なので、また中学の修学旅行のように楽しい体験の予感がしたからなのです。
悩んだ挙句、結局「ドイツ」にしたのは、まだ未体験の事に興味が大きく傾いたからのようです。
一週間に及ぶ日程で、ドイツを満喫して、やはり、行ってよかったと笑顔で帰ってきたのを見ると、親としても高い旅費を出して行かせた甲斐はありました。
名所めぐりは
「猫に小判」だったかも?
過去記事にも書かせていただいた通り、小学校で大河ドラマに目覚め、日本史には興味はあったものの、断片的にしか理解していないこともあり、なかなか点と点が線で結びつかない状態でした。
長崎のグラバー邸へ行っても、幕末の商人の屋敷だと認識はありましたが、それが坂本龍馬や倒幕運動とリアル繋げることはできず、ただ花壇が美しいとか、屋敷内の調度品が素晴らしいとか、今から思えば”歴史”などまるで見えていませんでした。
しかも、神社仏閣や宗教に関しても全くの無知で、神道と仏教の区別さえ定かではない子供に、「伊勢神宮」の値打ちなどまったくわからないのも無理のないことでした。
そんな子供たちに、そのような行先にする意味があるのだろうかと疑問に思います。
現に、肝心なところの記憶はないのに、どうでもよい事は克明に憶えていますから。
今なら、伊勢神宮もグラバー邸もくまなく歴史を見て堪能できると思いますが、それは私の人生経験もあるからこそでしょう。
神社仏閣や歴史名所は、興味が出来てから行くべきだと思うのです。
ところが、息子たちの時代には内容や目的はあきらかに変化しています。
体験型あり、グローバルな取り組み、そして近代史に目を向けて未来を考えさせるような行先を選択しているように思います。
ハッキリ言って、私たちの時代は、まだ認識がついていかないうちに、やみくもに日本を押し付けられた感はありましたが、子供の世代にはむしろ未来をどうすべきかという課題の見える修学旅行になった気がします。
ただし、そこまで子供たちが理解しているとは思えませんが、おそらく何年、何十年先に思い出して、何かの役に立ててくれたらいいなと願うばかりです
チョットしたお願い
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お住まいの地域や世代で、修学旅行の違いを比べる事は意外にも地域性や様々な意図、そして時代の変化が垣間見え、とても興味深いものを見ることが出来そうです。
そこで、
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