スーパーで見かけるエトセトラ
家事をこなしている主婦にとって、食材を調達するのは必須の事であり、少しでも安くて良い品を手に入れるために、気が抜けないものだ。
私の場合は3日に一度に買い物するのがパターンなのだが、最近は買い忘れが多くて結局は毎日のように行ってしまう。
個人商店が少なくなった今、スパーマーケットへ出かけることが日常であり、時には2件ハシゴをする日もある。
それだけ主婦にとっては馴染みの深い場所であり、どこの何が安いとか、これはどこの品が良いとか、地域の基本情報は頭に叩き込まれている。
最近は卵が高騰して、とうとう一人1パックのみという購入制限までされるようになった。
ー卵があればなんとかなるー
つい半年ぐらい前までは、もう一品足りないなと思う時、卵さえあせばちゃっちゃと何かを作り足すことができたのだが、最近は考えもなしに卵を使えないようになった。
言いかえれば、今まで価格には油断できていた卵も、今はしっかり価格の確認をしなければならない存在になった。
主婦にとって日常の買い物は、世の中と連動して変化する真剣勝負であり、男性の仕事の取組みと同じぐらい気合の要る事である。
さて、前回、自転車に関して気付いたことを書かいてみたが、今回はしょっちゅう行くスーパーでの気になることをまとめてみたい。
scene1:売り場にて
どんだけ選るの?
果物や野菜、お肉や魚など、底のほうにあるものまでいちいち確認している人がいる。
特売日の混雑している日には、それぞれが持つカートだけでもかさが高いというのに、一つの商品の前に陣取っていつまでも立ちはだかるのだ。
大いに邪魔である。
例えばジャガイモが山積みされていて、「Lサイズ4個100円」の時、わざわざその山をほじくるようにして内側の底にあるものまで出して確認している。
上にあるジャガイモも、底から引っ張り出したジャガイモも、私の目には同じに見えるが、当人には違って見えるのだろうか?
見える範囲だけでも相当な数のジャガイモがあるのだ。その中から選んでも十分ではないか?
一つ一つの商品をそんなに丹念に調べて、買い物にいったいどれだけの時間をかけるつもりだろう?
ー私はせっかちであるー
買い物は真剣勝負だが、無駄な時間は一切かけたくはない。
ジャガイモだけにそこまで時間はかけてはいられないので、見える範囲で確認するだけである。
サッサと選んで、その場所を空けてほしいものである。
カートが行く手を遮っている
商品を選るのに夢中になって、自分のカートを手放し、完全に横向きになって通路を遮っている時がある。
離されたカートは制御不能だ。
そばを誰かが通るたびに、少しずつ動いて90度以上も回転しながら、位置も変わってゆく。
時には、迷惑すぎる位置に停止してしまっているのだ。
人だかりができているので、カートを手放してしまうのもわかるが、そだからこそ商品選びは短時間に済ませるべきだ。
scene2:通路にて
話し込んでいる人がいる
偶然出会ったのか、売り場内の通路の真ん中でおしゃべりに夢中になり、先に進みたくても進めない時がある。
久しい人と偶然に出会うことは確かにある。
話したい気持ちもわかる。
しかし、他の人がカートを押して近づいてきたら空気を察するものではないか?
「私たち邪魔だ」と暗黙に理解して隅によるのが普通である。
もっと言えば、通路ではなく、売り場全体の隅っこへ速やかに移動するべきだと思う。
知り合いを見つけたら避ける
久しい人とバッタリ会って話をする場合もあるが、逆にわざと避ける場合もある。
決してその人が嫌いなわけではなく、時間がないのだ。
フルで勤務していた時は毎日が時間との勝負である。
買い物して家に着くのは早くて18時。
遅い場合で19時になる。
そこから主婦としての怒涛の家事をこなして、入浴まで済ますとすでに22時。
スーパーで話し込んでしまうと、その後のすべての予定の段取りが狂ってしまうのだ。
幸い視力は良いので、遠くからでも人物の特定はできるため、話し込んでしまいそうな人を認識すると、そっと通路を変えて難を逃れていた。
ただし、正面からバッタリ出会ってしまったら、そこは観念するしかない。
scene3:レジにて
フォーク並びが理解できない人
フォーク並びとは、複数のレジに対して、一列に並び、そこから早いレジに順に行くというものである。
決して一つのレジごとに一列に並ぶのではない。
この方法だと公平に順番が回ってくるため、今やスーパーだけでなく、コンビニや銀行のATMでも当たり前のルールである。
これはお年寄りに多いのだが、いまだにそのルールを理解していない人がいる。
大きなスーパーには、床に「立ち位置」と「進むべき方向のガイダンス」があるので比較的マシなのだが、小さいスーパーだとそのガイダンスがない。
しかも店内は狭いため、暗黙のうち皆がフォーク並びを実践しているにもかかわらず、まったく無視して1列並びをする人がいる。
特にお年寄りの場合、店員さんが説明しても理解できず、また上図の×位置に並ぶ。
後ろにズラッと並ぶ大阪のおばちゃんたちの一人が再度言っても同じだ。
ここで渋々移動する人と、あくまでも理解できない人とがいる。
理解していないフリしているのか?
本当に理解できないのか?
シレっと順番抜かしを試みたのか?
このうちのいずれかに属するわけで、どうにも疑わしい人も多い。
セルフ精算機の操作ができない
スーパーのレジのパートをしている友人がボヤいていた。
「セルフ清算機が導入されてから、かえって忙しいねん。」
使い方がわからない人が意外にも多くて、いちいち呼ばれるというのだ。
中には、つきっきりにならざるを得ない人もいるらしい。
機械はモニター付きで、しかも日本語の大きなフォントで指示が出ている。
ただ画面の誘導通りにすればよいだけなのだが、下部の現金投入部分ばかりを見ている人が多い。
今は、当初に比べれば、ほとんどの人が使えるようになったが、最初っからやってもらうという姿勢で臨む人もいる。
年寄りだからという問題ではなく、
完全に自分でやろうという気がない。
銀行のATMでも見かけるが、はなっから自分でやる気がなく、ひとつの機械を占領して、列を長くする要因を作る。
巷には教訓がいっぱい
以前までは、「年寄りはかなんわ~」
と思っていたが、自分も今や還暦を超えた。
昔なら、十分年寄りで、戦国時代であればすでに寿命の尽きる年である。
もはや他人ごとではない。
今後、若い世代に呆れられないように、すぐに「できない」と言ってはいられない。
日常の電子化、機械化は今後はもっと加速するだろう。
目まぐるしい世の中の変化についてゆけるよう、日々、頭の鍛錬は怠らないようにしないといけない。
※記事中の指定外の画像はすべてパブリックドメインQよりDLしました
🌸本文中のラインはTOMOさんよりいただきました。
今後も時々使わせていただきますのでよろしくお願いします。
🌸monakaさんが奈良訪問の記事で何気に上手く使われているのを見て、一目ぼれしたものです。
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